5 取引(その1)
不意に響いてきた、その声に――。
アシュレーは反射的に銃を抜いていた。見れば隣でミハルもまったく同じ反応をしていた。
視線を向ければ、閉ざされていたはずの部屋の入口のドアが、いつの間にか薄く開かれているのが分かった。声はその向こうから聞こえてきたのだ。
「誰だ」
アシュレーは誰何する。
調査団は〈王都〉に一時撤退し宿舎は無人のはずだった。管理人であれば、ノックもしないで不躾に会話に割り込んでくることはないだろうし、そもそも声色がまったく別人だった。
アシュレー達の知らないところで管理人が他に避難者を受け入れていて……というなら話は違ってくるが、声の主は明らかに足音を忍ばせ、彼らの居室に密やかに近づいてきた上で、頃合いを見計らって不躾に声をかけてきたのだ。警戒するな、という方が無理がある。
アシュレーの問いかけにまるで無言で応えるかのように、ドアがゆっくりと押し開かれていく。
その向こう側に直立していたのは見知らぬ一人の少年であった。
とはいえ、確かにドアには施錠はされていなかった。目の前でこれ見よがしに鍵をかければアイボリーら来客が――とくに幼いライナがことさらに不安を感じて怯えるかも知れないという配慮から、敢えてそのままにしてあったのだ。だから第三者の侵入を許したのはアシュレーにも手落ちのない話ではなかったが、それにしても彼のみならずミハルまでもがまったく気配を察知出来ていなかったとあれば、二人が強く警戒する理由としては充分だったろう。
アイボリーを見やれば、多少面食らってはいたものの、とくにいぶかしむ風でもなかった。追われる身のはずの彼女たちがアシュレーらに示した以上の警戒を示さないのであれば、少年の正体はおのずと明らかなように思えた。
アシュレーはそれでも銃は突き付けたまま、侵入してきた少年に問う。
「……お前が、〈サラエサラス〉なのか」
「ご明察。……初めまして、〈追跡者〉さん」
そういって少年は、向けられた銃口に何ら怯むでもなく、ひらひらと笑って答えた。
「隠れ家に戻ってみたら誰もいなかったから、何かあったのかと思ってわざわざ探しに来たんだよ。君たちの気配を感知して、こうやって来てみれば、まさか敵に厄介になっていたとはね」
「こんな嵐の中、ライナを歩かせるわけにもいかないでしょう……それより、何かあったの?」
「〈イゼルキュロス〉に接触してきた」
さらりと言った言葉に、アシュレーは思わず目を剥いた。今しがた彼女の名前が、アイボリーとの会話に上がっていたばかりではなかったか。
アシュレーは色めき立ったが、その発言を聞き咎めたのはアイボリーも一緒のようだった。
「どういう事なの?」
「どういうも何も、ばったり遭ったからさ。……でも、答えは前とおんなじだったよ。一方的にやられちゃって、今日の所はそれで終わりさ」
「……その話、私にも詳しく話してもらえるんでしょうね?」
「それはもちろん、そうさ。……でもアイボリー、君の方こそなんでまたこの人たちと仲良さげに世間話をしているの。僕の名前まで知ってるようだし」
「色々と訊きたいことがあったのよ。……それにこの人たちは最初から、私たちの名前を三つとも知っていたわ」
自分が教えたわけではない――彼女はそう言って、悪びれるでもなく肩をすくめたのだった。
お互いに軽口を叩き合っているのを見やれば、彼らが仲間同士なのは確かなようだった。とはいえ話し合いのため自らの判断で招き入れたアイボリーはともかく、音もなく忍び寄ってみせたサラエサラスが大人しく話し合いだけで済ませてくれるのかどうかは、保証の限りではなかった。
成り行き次第ではこの場で荒事の一つでも起こるかも知れない。アシュレーは銃を構えたまま、慎重にサラエサラスに話しかけた。
「イゼルキュロスと接触した、と言ったな。……俺たちはそのイゼルキュロスを追ってきたから、詳細は気になる。どういう事なのか、よければ教えてくれないか」
「どうもこうもないでしょ。僕らは試作被験体、彼女も試作被験体。あなたよりも、僕らの方がよっぽどイゼルキュロスと仲良くする資格があるはずだよ。……あ、僕らが試作被験体だってのは、もうアイボリーから聞いてる?」
考えなしにそう喋ってしまったのならばあまり思慮深い性格とは言えなかったかも知れないが、むしろいざとなればここにいるアシュレーとミハルぐらいは簡単に口封じ出来るという算段もあっただろうか。BEE以外に彼らがどのような攻撃を仕掛けてくるのか分かったものではなかったし、実際のところそれを否定出来ないのが歯がゆかった。
「話を聞くに、すでに君たち試作被験体同士で、一度ならずイゼルキュロスには接触済みのようだな」
「先に攻撃してきたのは、彼女の方だよ」
単に「彼女」というだけでは、それがメアリーアンを差すのか、それともイゼルキュロスを差すのかさえ分からなかったが……アシュレーの質問に対する答えとしては、是正と捉えて間違いなさそうだった。
そもそもイゼルキュロスとは別に、メアリーアンの存在を彼らが把握しているのかどうかも分からない。その点を追及したものかどうか内心迷っていると、アイボリーが補足するように横から話を継いだ。
「〈イゼルキュロス〉が私達の仲間になってくれれば、どれほど心強かったことか。でも彼女は私達にあまり協力的とは言えなかった。そのうちにこの街を出ていくというから、サラエサラスとこの子――ライナが、彼女を引き留めようとしたのだけれど、結局戦いは避けられなくて」
「それで?」
「イゼルキュロスは戦いの果てに力尽きて、屑鉄平原のまっただ中に墜落したまま消息不明。……死体は見つからなかったけれど、多分屑鉄平原のどこかに野ざらしになっているはずよ」
アイボリーがそのように説明すると、サラエサラス少年が、それを茶化すような口調で言った。
「ところが、違ってたんだよね」
やけににやにやとそんな事を言うサラエサラスを、アイボリーが睨み付ける。
「その辺は私も初耳になるわね。勿体ぶらないで、説明して頂戴」
「こいつらに聞かせてもいいの?」
「構わないでしょう。この人達はそもそも、そのイゼルキュロスを追ってきたのだもの」
ふうん、とサラエサラスは気のない様子で呟いたかと思うと、まあいいや、と前置きして話の先を続けた。
「工場街の目抜き通り沿いにさ、〈グラン・ファクトリー〉って工場があるの、知ってる?」
問われてもアシュレーもミハルもそもそも知るはずもなかったし、アイボリーもまた釈然としない表情を見せるばかりだった。
「この間から、そこの工場にあんまり見かけない女の子が出入りしているんだ。そこの工場の技師の、エル・グランって人の親戚だって話だけど、これがどうしてだか、やけにイゼルキュロスにそっくりなんだよね」
「……」
「多分その工場の誰かが、墜落した〈イゼルキュロス〉の死体を拾って帰りでもしたんだろうね。だから僕らが探しても、死体は見つからなかった」
「あなたが見つけたというのは、ダミーの人形の方?」
「僕も最初はそっちかと思ってた。どっちにしても気になってたんで、ライナからBEEを一匹貸してもらって、それとなくその工場を見張らせてたんだ」
「今、どこにいるんだ?」
アシュレーが苛立ちを隠しきれずに、両者の間に割って入って問うた。
「まぁそんなに慌てないで。ついさっき……〈ブリザード〉が来た直後くらいに潜伏先だった工場を飛び出して、今は一人きりだよ。接触を試みたけど、やっぱり説得は無理だった。……あの身体能力はダミーじゃない。おそらくはイゼルキュロスそのものだよ」
少年がどのように接触を試み、それがどのような顛末を辿ったのかもう少し詳しく知りたいところではあったが……今この街のどこかに、イゼルキュロスの新しいコピーであるらしい何者かがいる、という事実を知ればアシュレーの心中も穏やかではいられなかった。
事情は分からないが、イゼルキュロスと彼らとは一度は物別れに終わった。彼らだって心があり感情があるのだから、折り合いが良くない、という事もあるのだろう。それがこじれた果てに、殺し合いになるというのは極端な話だったが、そもそも攻性生物という出自といい、逃走実験体という境遇といい、ある意味彼らは生まれた時からそういう殺伐とした環境に置かれているのだからやむを得ないのかも知れなかった。
問題は、その仲違いの構図から見れば第三者であるアシュレーが、そこにどういった形で介入する事を、このサラエサラスたちに求められているのか……あるいはいないのか、という事だった。
「……どうするつもりなんだ?」
「二度も物別れに終わった以上、今更僕らと仲良しになるのは、まああり得ないだろうね。追跡者であるあなたが僕らと一緒にいれば尚更だろうし。……向こうはその気なんだし、こっちから手を打つんであれば、多分今が一番いいタイミングだと思うよ」
少年の物言いはやけに性急であるようにアシュレーには思えた。だがアイボリーの方を振り返ってみても、彼女がサラエサラスをたしなめるつもりはないようだった。
そのアイボリーにしても、サラエサラスが独断でイゼルキュロスの内偵まがいの事を行っていたのは不本意であるようだったし、先ほどのライナを気遣う言葉も嘘いつわりではなかったのだろうが……イゼルキュロスが敵である、という頑なな認識だけは共通であるように見受けられた。
「僕らのことはさておき、あなたの任務はイゼルキュロスの確保ないし破棄処分なわけでしょう。僕らとしても、物別れで終わった以上どこかで彼女とはけりをつけないと行けない。そうなると、僕らとあなた達とは、目的が同じという事になるわけだ。だったら、話に乗らない手はないと思うけど」
つまりサラエサラスはこう言っているのだ。……彼らの邪魔者たるイゼルキュロスを排除するため、結託しよう、と。
「なかなか興味深い提案じゃないか」
アシュレーはここで、ここまでずっと無言のままだったミハルをちらりと見やった。
ミハルもまた、ただアシュレーをじっと見ているだけだったが、その視線がやけに痛かった。機械の彼女がアイボリー達を前にしてこの場でアシュレーを悪しざまに非難する事はないにせよ、彼女なりに状況を分析した上での異論はあるだろう。それでも、そもそもの目的に大きく背かない限りは、アシュレーの言い分には従ってくれるだろうが。
外は〈ブリザード〉、ある意味外界から孤絶しているこの状況で、仮に申し出を拒絶した場合の成り行きについてはあまり想像したくなかった。
アシュレーは小さく深呼吸をすると、意を決して答えた。
「……いいだろう、その話、乗ってみようじゃないか」
答えたその端から、その選択は間違っているはずだ、という確信が彼にはあった。




