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ホワイトアウト・シティ  作者: 芦田直人(あしだ)
第4章 ブリザード
19/46

1 嵐来たる(その2)

「ね、どうしよう。ノイエを助けなきゃ」

 フランチェスカが泣きそうな声でそう訴えたが、誰も返事はしなかった。

 〈ブリザード〉は小康状態になっている。こういう時のためにこの工場にも全身を覆う防備服が常備されてはいる。それに身を固めて表に出ていく事は不可能ではないが、今更助けの手を差し伸べたところで、猫の命は助かるのだろうか?

 かすかに聞こえる鳴き声が、痛ましかった。次の瞬間、猫は咳き込むように身を震わせたかと思うと、真っ白な口もとからごぼりと血の泡を吹いて、白い地面に赤い染みをつくった。

 その上で、なおもか細い声で鳴き続けるのだ。助けを求めているのだと、フランチェスカにも、ノイエ少年にも、それは痛いほど分かっていたのに。

 フランチェスカは不意に真後ろに気配を感じて、思わず振り返った。

 見ればいつの間にかメアリーアンが背後に立って――いつだったかもこうやっていつの間にか黙って後ろに立っていた――窓の下を一緒になって静かに見下ろしていた。

 眼下にうずくまるものがかつて元気に駆け回っていたその生き物なのだと、彼女の中で果たして認識が出来ていたかどうか。

 メアリーアンはそうやってしばらく窓の外を眺めていたかと思うと、やがて何も言わずに窓から離れていった。生き物の小さな命が失われようとしている事など、彼女にはまだ理解出来ないのだろうか。

 ノイエ少年は窓の外を見やったまま、青ざめた表情のままに黙り込んでいた。彼らの見ている前で、助けを求める鳴き声が、段々小さく、か細くなっていく。

 このまま黙って見ているなんて、フランチェスカには納得出来ないだろう。今すぐ外に出ていってノイエを助けてくれ、と叫び出したいのを必死で堪えているのが、ありありと見て取れた。

 窓の外の小猫を前にして、一行は何も言えないまま、何も出来ないままに、ただ黙って見ているより他になかった。

 そう……メアリーアンただ一人をを除いては。

 不意に、ガチャリ、と重い音が響いた。

 その音で、一同は感傷から現実に引き戻された。見れば彼らの元を離れていったメアリーアンが、いつの間にか正面の大扉の前に立って、ロックレバーに手をかけていたのだ。

「メアリーアン! 何するつもりなの!」

 エルが叫んでいた。メアリーアンはエルが両手で体重をかけて操作していた重いロックレバーを、片手で軽々と引き上げると、両手を扉にかけ……そっとこじ開けた。

 さして力を込めたようにも見えなかったのに、扉は軽々と開いて……開け放たれた表口をくぐって、彼女は誰の制止も聞かずに一人で出ていったのだった。

 扉が開けば、風が吹き込んでくる。風はすでに小康状態とは言え、開け放たれた扉からはちらちらと舞う白い結晶が遠慮なく吹き込んでくる。

 このままにしておくわけには行かなかった。エルはジョッシュと二人、扉にまっしぐらに向かっていく。

 まさかどちらかがこのまま着のみ着のままに飛び出して、メアリーアンを連れ帰ってくるのだろうか? そんな風にフランチェスカはちらりと考えたが、あいにくエルもジョッシュもそんな行動は取らなかった。彼らは開け放たれた大扉に慌ててすがりつくと、二人がかりで大慌てで閉め直して、再度ロックレバーを元の位置に戻したのだった。

 確かに風が吹き込んでくるのは止んだ。だがその場合、今出ていった彼女はどこから入ってくればいいのだろう?

「……メアリーアンは?」

 メアリーアンはどうするの……? フランチェスカが恐る恐る尋ねたが、誰も返事はしなかった。

 今しがた慌てて閉めた大扉の前に立ったジョッシュは、吹き込んできた結晶が肌のどこかに触れてしまったのか、あちち、あちちと大げさに飛び跳ねてみせた。

 ロックレバーを操作したエルにしても、剥き出しの手首をやけに念入りにさすりながらこちらに戻ってくるのだった。

 手の甲が、不自然に赤く腫れ上がっているのが見えた。

「エル、大丈夫なの……?」

「私はね。……メアリーアンは?」

 問われて、フランチェスカは窓の外に視線を向ける。

 見れば、正面の扉から外に出たメアリーアンは、工場の建物をぐるりと回り込んで、先ほどの路地裏に足を踏み入れていた。

 今もなお〈ブリザード〉が舞う中、彼女は平気な顔をして歩いていた。ちなみに足は例によって裸足のままだ。ジョッシュとエルが軽い火ぶくれのような症状を見せるしているというのに、彼女の場合はまるで何でもないかのようだった。……実際、すらりとした手足も端正な顔立ちも、こちらから窓越しに観察出来る限りではまったく無事なまま、全然何事もないかのように見えた。

 彼女は、〈ブリザード〉を何とも思っていなかった。

 そんな光景を、一行は工場の中から、唖然としながら見入っていた。

 あり得る光景ではないのだ。あり得ないからこそ、人々は我先に逃げまどい、自宅にこもって……フランチェスカ達だって、ここから一歩も動けずにいるのだ。子猫が死んでいくのも黙って見ているしかなかったし、メアリーアンを連れ戻しに誰かが飛び出していくことも出来ずにいた。

 なのに彼女は、何でもないような顔をして表を歩いていた。

 やがてメアリーアンは、一行がじっと見入っていたあの窓のむこう側に立って……路地に転がっている、白くうずくまる小さな塊の前に立った。

 彼女の足元に、猫のノイエの姿があった。

 そんな光景に、フランチェスカは一筋の光明を見た気がした。無力な人間たちが何も出来ないのをよそに、生き物の生き死にになど無頓着に見えたメアリーアンが、子猫を救助すべく敢えて危険をおかしてくれたのだ。

 メアリーアンがしゃがみ込んで、結晶に埋もれた毛むくじゃらの塊を、両手でそっと掘り起こす。茶色い毛玉が丸くうずくまっているのが露出した。

 一行が固唾をのんで見守る目の前で、メアリーアンは小さなノイエを、両手ですくい上げるようにして、そっと持ち上げた。

「ね、メアリーアンが戻ってきたら、中にいれてあげてよ。……お願いだから」

 その申し出に苦い顔をしたのがジョッシュだったが、エルはそんなジョッシュの脇腹を強く小突いて、無言のまま力強く首を縦に振った。

 ところが……。

 次の瞬間、フランチェスカは別の意味で、息を呑んだ。

 メアリーアンが猫のノイエの小さな身体をそっと壊れ物のようにすくい上げ、その腕に抱き留める。猫はもう力尽きてしまったのか、鳴き声は聴こえなかった。

 それどころか……メアリーアンの手の中で、毛玉の塊は、ふいにぼろりと崩れてしまったのである。

「――!」

 子猫の身体がまるで無造作に、白い地面に崩れ落ちていった。

 フランチェスカの口から声にならない悲鳴がほとばしった。反射的に後ずさって、そのままもつれて転びそうになるところを、エルが背後からしっかりと抱き留める。

 それでフランチェスカは、目を逸らすタイミングを逸してしまった。

 小さなノイエの身体は、そのままぼろぼろに崩れてしまい、メアリーアンの腕の中からこぼれ落ちていく。

 足元に散らばった子猫だったものを、メアリーアンはお気に入りの玩具を不注意から壊してしまった子供みたいに、寂しそうな表情で見下ろしていた。まだ彼女は、命が失われる哀しさまでを理解しているわけではなさそうだった。

 それよりも彼女が理解したのは……そんな彼女を見やる人々の視線の方だったかも知れない。

 メアリーアンはふと顔を上げる。窓越しに小さなノイエの最期をじっと見入っていた人々と、彼女は思わず視線を交差させてしまった。

 お互いに、どういう表情を見せればいいのか、分からなかった。

 〈ブリザード〉の中で、小さな命は結局は失われてしまった。〈ブリザード〉の恐ろしさを知らなかったフランチェスカは、その非情さを改めて思い知った。

 では今ここで、平気な顔で立ち尽くしているメアリーアンは一体何者なのだろうか。

 彼女が不思議な存在であることは最初から分かっている事だった。そうだと知りながらも、グラン・ファクトリーの面々はそんな彼女を受け入れようと決めたはずではなかったか。

 なのに……彼らは今、目の前にいるメアリーアンを奇異の目で見ることしか出来なかったし、彼女もまた、そんな視線に晒される事のいたたまれなさを、今初めて知ったようだった。

 おのれをじっと凝視する人々の目から逃れるように、彼女は窓の前から、そそくさと立ち去っていった。

 そんな彼女を追いかけて歩き出したのはノイエだった。目の前の窓から去っていったメアリーアンを追うように、少年は隣の窓へと慌てて追いかけていく。

「待って、メアリーアン! 待って!」

 ガラス越しに投げかけた言葉は、彼女には届いていただろうか。

 メアリーアンは振り返らなかった。一番最後の窓の前を、彼女は無情にも通り過ぎていく。ノイエはそれ以上追いかける事が出来ずに、窓ガラスに張り付くようにして立ち尽くしていた。

 そんなノイエの姿を、残る三人は何も言えずに見守っていた。

 正面の大扉は、誰がそこを叩くでもなく、沈黙したままだった。

 メアリーアンは戻っては来なかった。

 工場の中に、重い沈黙が垂れ込めた。

 フランチェスカはエルに抱き留められたまま、恐る恐る、小さな声で問いかけた。

「……メアリーアン、どうしちゃったの?」

 問われたところでエルに答えようがあるはずもない。首をかすかに横に振っただけで、彼女は何も言わなかった。

 作業場の一番端の窓から力無く離れたノイエは、がっくりと肩を落としたまま、エル達の方へととぼとぼと引き返してきた。

「……どうしよう、行っちゃったよ」

 フランチェスカもいつまでもエルの腕に身体を預けているわけにもいかず、何となくノイエの前に歩み出てきたが……言葉にはならなかった。

 そんなフランチェスカがノイエの顔を覗き込むと……白い額に、玉のような大粒の汗が浮かんでいるのが見えた。

「……ノイエ?」

 フランチェスカが思わず問いかける。今気付いたのだが、顔色が真っ青だ。

 その異変にエルも気付いたようで、慌てて少年に歩み寄ると、遠慮なしに額に手を伸ばした。

「すごい熱。あんた、大丈夫なの?」

「うん、大丈夫……」

 そう言って、見せた笑顔がたまらなく弱々しく映った。それ以上立っていられずに、不意にぐらりとよろめいた身体を、エルがはっしと受け止める。

 ノイエの急な異変に、慌てたのがフランチェスカだった。

「ど、どうなってるの? ノイエ、大丈夫なの?」

「大丈夫。……心配いらないから」

 エルは至極冷静にそのように告げると、ぐったりとした少年の肩に手を回して、そのまま二階の自分の寝室へと担ぎ上げていくのだった。

 フランチェスカはジョッシュと二人、黙ってそれを見ているより他になかった。



(次話につづく)

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