1 嵐来たる(その1)
ハイシティの街並みの方角から、けたたましいサイレンの音が鳴り響いてきたのは、それからほどなくしての事だった。
旧市街で鳴り響いたサイレンを受け、クレーター湖のほとりにある工場街の警報が一斉に鳴動を始めると、それを聞きつけた屑鉄平原の業者たちが順番に四方に向かってサイレンを鳴り響かせる。周り巡って屑鉄平原じゅうの廃材業者たちが一斉に警笛を響き渡らせるに至って、屑鉄平原のあらゆるところでそれの聞こえない場所はない、というまでにどれほどの時間もかからなかった。
それが意味するところは住民であれば誰しもが承知していた。その日、ハイシティと屑鉄平原には、七年ぶりの〈ブリザード〉が訪れようとしていたのだった。
グラン・ファクトリー一行がイゼルキュロスの案内でたどり着いた場所が、街からほど近い場所だったのは何よりだった。ひらけた場所に出てみると、同じように街に引き返そうという車両が列をなして走っているのが見えた。
屑鉄平原で作業している廃材回業者の中には、元々街との往復を諦めて、屑鉄平原の真ん中に仮設の住居をつくって拠点にしている者も少なくなかったから、そういう者達はそこに籠もって〈ブリザード〉をやり過ごす事になる。逃れるあてのない者がいれば受け入れる事もあったし、街に帰り着くのが間に合いそうな者はなるべくその帰途を急ぐのだった。
旧市街の足元は、廃虚の高層建築群がある程度の風避けにはなっているとはいえ、それで被害が軽微で済むというわけにもいかず、戸外に出ているものはみな大慌てで自宅に引き返し、難が去っていくまで閉じこもるのだった。
風向きから言えば、〈ブリザード〉はその後クレーター湖を越えて工場街へ向かっていき、そして屑鉄平原へと順番に到達していくのが常であった。屑鉄平原のどの範囲まで及ぶのかは風向きと風力次第だったが、どのみち工場街までは難を被るのは避けられなかっただろう。必ずしも屑鉄平原の全域が危険というわけではなかったが、座して待って確かめるわけにもいかなかった。一も二もなく、ノイエたちも工場への帰途を急いだ。
工場街の街並みが見えてくるころには、高層廃墟の向こう側に、分厚い雲が間近に迫っていた。
気まぐれな季節風は時折風向きを変えて、自由国境地帯に今も渦巻く汚染物質を、人の暮らす版図のぎりぎり端にあるハイシティにまで運んでくる。それが何年かに一度の事とはいえ、そのような災害――そう、それは災害と呼んでよかっただろう、それと隣り合わせに暮らしてゆかなければならないのが、彼ら最果ての土地に住む者たちだった。
工場街に戻ってきた彼らのトラックは、大慌てで工場に飛び込んでいった。誰もいないかと思いきや、そこにはジョッシュの姿があった。
「フランチェスカ! やっぱり一緒だったのか」
「ジョッシュ、ごめんなさい。いそいでお店に戻らなくちゃ」
「そんな猶予はなさそうだから、ここに厄介になる。……いいよな、エル?」
「仕方ないわね」
ノイエは工場の大扉から顔を覗かせて、旧市街の方を見やった。雲のように見えてそうではないものが、白い怪しげなもやとなって、今や旧市街の上空をすっぽりと覆い尽くしつつあったのだった。
威圧的にそびえ立つあの高層建築の廃虚の姿が、もやの向こう側にすっかり溶け込んで、見ているうちにすっかり覆い隠されてしまうのだった。一緒になって見ていたフランチェスカも、その光景には圧倒された。
向こう側で、再びサイレンがけたたましく鳴り響いた。
「旧市街のサイレンだ。到達したっていう合図だ」
ジョッシュが、〈ブリザード〉を初めて経験するフランチェスカにも分かるようにそう説明するのだった。もちろん旧市街が白いもやに包まれているのは見れば分かる事だが、〈ブリザード〉がこれから先順番に到達するであろう工場街に、さらには屑鉄平原の方まで、その到来の事実を告げるべくサイレンは鳴り響くのだった。
「ジョッシュ、手伝って」
「おう、分かってるよ」
そう言って、エルとジョッシュは正面の大扉のそれぞれ左右に向かう。
ノイエもエルの元へ、フランチェスカも見よう見まねでジョッシュの元に向かって、左右から重い扉をえいやと押して、ぴたりと閉ざすのだった。最後にエルが大きなロックレバーを両手で引き倒し、がちゃりと音がするまで体重をかけて、確実に閉鎖するのだった。
「……これでも密封が完全じゃないから、あんまり近づいちゃダメよ?」
エルがいたって真面目な口調で子供達に語るのに、フランチェスカも茶化す気にはなれなかった。ノイエは元より、ジョッシュまでもがやけに真面目くさった表情で頷いていた。反応がないのは、トラックの側にぼんやりと立ち尽くすメアリーアンだけ。
「ノイエ、念のため窓が全部閉まっているか、確認して」
「分かった」
少年がそう返事をして、二階への階段を駆け上がろうとしたその時。
風が、ごうと唸りを上げるのが聞こえた。
ぐらり、と工場の建物全体が揺れた気がした。それが錯覚でも何でもない事には、高い吹き抜けの天井から、やけに大げさな軋みが聞こえてくるのだった。
風で、建物が揺さぶられているのだ。
窓の外を見やれば、すでに空からは白いものがちらつき始めていた。
〈ブリザード〉という名前の通り、まさに吹雪のような勢いで上空から吹き付けた真っ白い結晶の噴霧が、見慣れた街並をあっという間に覆い尽くしていく。立ち並ぶ工場の四角い建物の群れは、大きいのも小さいのも関係なくみるみるうちに白一色に染まっていくのだった。
「うわぁ……」
素直に感嘆の声をもらしたのはフランチェスカだった。マゼラヴィルで生まれ育った彼女には、これが初めての〈ブリザード〉だった。
「なんか、すごいね。綺麗だね」
「そうね」
素っ気なく相槌を打ったエルは、まったくそれには同意していない様子だった。
びゅうびゅうと吹き付ける風の音が、やけに耳に大きく響いて聞こえた。
そのたびに、工場の建物のどこかが軋みをあげていた。わずかな物音だったが、がらんどうの作業場の中ではそれが随分大きな音に響いたので、外の景色にはしゃいでいたフランチェスカの顔も次第にひきつっていく。二階の戸締りを確かめてきたノイエが階下に戻ってきて、一同はそこで寄り集まって、嵐が過ぎていくのをじっと待つことになった。
「だ、大丈夫よね?」
恐る恐る問いかけるフランチェスカに、エルが空々しく答える。
「大丈夫よ。……たぶんね」
たぶん、という言葉にフランチェスカが覚えた不安に、まるで応えるかのようなタイミングで、次の瞬間ごうとひときわ強い風の音が通り過ぎていった。
工場全体が大きな軋みをあげはじめ、古びた建物はより大げさに、ぐらりぐらりと揺れ始める。その場にいる一同は皆凍り付いたように固まったまま、息を詰めて見守るしかなかった。
しんと静まり返った中、やがて風の音がトーンを下げていく。ごうごう、という恐ろしげな音が、次第にひゅうひゅうと幾分かは控えめなものに変わっていくのが分かった。
フランチェスカは再度窓の外に視線を向けた。一度地面に降り積もった結晶はそのままうずたかく積もり、ほんのわずかな間の嵐だったのに、外の景色はすっかり白一色に染まり返ってしまっていた。
しかも、結晶が空から降り注ぐのが、すっかり止んでしまったわけではなかったのだ。風は止まっていたが、まだかすかに……それこそひらひらと雪でも舞い降りてくるかのように、今はしんしんと優雅に舞い降りてきていたのだった。
どれほどそうしていただろうか。一同が成り行きを見守っているうちに、時刻は夕暮れ時をすっかり過ぎてしまっていた。街はそろそろ、夜の闇に包まれつつあった。
そんな静かな風景を見やりながら、エルとジョッシュがやれやれ、とつぶやきを漏らす。
「今年はやけにすんなり収まったわね。この調子だと、大した被害は出なさそうだけど」
「……七年前は酷かったからなぁ」
呑気な声で呟いたジョッシュだが、その何気ない一言を、エルが無言で睨み付ける。
どうして睨まれなくてはいけないのか、と釈然としないジョッシュに、エルは怖い顔をしたままちらりと目線で合図を送る。その先にはすっかり無口になってしまったノイエの姿があった。ジョッシュも、そうか、と一人納得して黙り込む。
一行の上に、やけに不自然な沈黙が訪れていた。嵐が通り過ぎるのを全員で息を詰めて待っていた時の沈黙とは、ややニュアンスの違う居心地の悪い静寂だった。
そんな静けさを破ったのは……唐突に響きわたったフランチェスカの大声だった。
「あーっ!?」
「何? 何なの?」
柄にもなく、エルがその声に驚いてびくりと肩を振るわせてしまった。フランチェスカ自身、自分が挙げた声が思いのほかトーンが高くそれに少し恥じ入りながらも、大人たちに問いかける。
「ノイエは? ノイエはどうしちゃったの?」
「はぁ?」
そんな唐突な一言に、エルは思わずジョッシュと顔を見合わせた。というのは……言うまでもなく、ノイエ少年は彼らの目の前にいたのだから。一体何を言い出すのだろうかこの子は……とエルは思ったが、ジョッシュも、当のノイエ少年自身も、ああ、と納得の声を上げた。
ジョッシュが首を横に振りながら、フランチェスカに告げる。
「俺は知らないぞ。店では見かけなかった。お前が連れて歩いてたんじゃないのか?」
「私が朝出かけるときは、うちにいたのよ? まさか、私を探してこの工場に来てたりしないわよね…?」
ノイエ、ノイエ、と名を呼びながら作業場をうろうろと歩き回るのを見やりつつ、一人事情のつかめないエルがぼそりと問うた。
「何の話よ?」
「ほら、うちで預かってた子猫がいただろう。フランチェスカのやつ、あれにいつの間にか、ノイエって名前をつけてたんだよ」
「だって、そう呼んだら返事をしたもの」
うろうろと探し回りながら当のフランチェスカがそんな風に説明する。何故かジョッシュが、恐る恐ると言った様子でエルの反応を窺うのがノイエ少年には不思議に思えたが、当のエルを見やればその態度も納得だった。
エルは一連の話を聞いて明らかに機嫌を損ねていた。今にも誰かを怒鳴り飛ばしそうな勢いで――誰か、というのはおそらくジョッシュには違いないだろうが――一瞬憤怒の形相を見せたところから、どうにかこらえようと目をつぶって深呼吸し、天井を振り仰ぐ。
「……まあ、あんたならともかくフランチェスカがそう名付けたって話なら、まあ仕方がないけど」
仕方がないけど、といかにも納得などしていなさそうにもう一度呟いて、彼女は口をへの字に曲げたまま押し黙ってしまった。
結局エルが機嫌を損ねた理由はノイエには分からなかった。そうしている間にも、フランチェスカは隅々まで猫の名を呼びながら作業場を歩き回る。返事はどこからも返ってこないように思われたが……一瞬、ほんの一瞬だけ、にゃあ、とかすかに鳴く声が聞こえてきた気がした。
フランチェスカが身を固くして、作業場を振り返る。エルやジョッシュにもそれが聞こえていたかどうか。ノイエ少年はそれを聞き逃さなかったようで、じっと耳を澄ます姿勢をとったかと思うと、一人つぶやくように言った。
「……窓の外だ」
ノイエ少年が固い表情のまま、そう言って指し示すと、フランチェスカは血相を変えて窓辺に駆け寄った。
窓枠には白い結晶がびっしりと付着していて、向こう側の景色は辛うじて見えるばかりだった。
そんなガラス窓の向こう側を、フランチェスカのあとから駆けつけたノイエも恐る恐る見下ろす。フランチェスカでは身長が少し足りないので、背伸びしてやっとやっとの姿勢で、同じ窓から外を見やる。
窓の向こうは、工場の建物の脇を通る細い路地裏だった。これだけ狭い路地だからか、〈ブリザード〉の結晶も完全に路面を覆い尽くしてはおらず、石畳が所々露出しているのが見える。
そんな石畳の上の、真っ白い吹き溜まり……一ヶ所だけ、妙に目立って隆起している箇所があった。
その下に、何か小さな塊が隠れていた。いや、それはよく見れば半分ほどその姿を露出させていたのだ。白い結晶の下にうずくまる、薄茶色の毛玉が垣間見えた。
「ノイエ!」
その小さな生き物の名を呼びかけたのか、傍らの少年に何かを訴えようとしたのか……。
ノイエ少年も、ただ黙って白い小さな生き物の影を見おろしていた。
そこに自分と同じ名前を付けられた小さな生き物がいる。まさに手を伸ばせば届く距離だ。だが、手を伸ばす事は許されてはいないのだった。
「ね、どうしよう。ノイエを助けなきゃ」
フランチェスカが泣きそうな声でそう訴えたが、誰も返事はしなかった。




