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ホワイトアウト・シティ  作者: 芦田直人(あしだ)
第3章 屑鉄平原
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4 屑鉄平原へ(その2)

「……しょうがない、皆でいくか」

 運転するのはエルで、助手席にはフランチェスカ。荷台にノイエとメアリーアンを載せて、トラックは一路屑鉄平原を目指していく。

 心配だったのはメアリーアンだったが、さすがに移動する荷台の上で立ち上がったり手を離したりするのが安全ではない、という事は理解してくれているようだった。最初はノイエに言いつけられたままに、腰を落として両手でしっかり身体を支えていたのだが、ノイエが丁度運転席の真後ろの位置に立ったまま幌を固定するバーに掴まっているのを真似して、彼女もまた同じように立ち上がって前方を見やる。肩にかかるプラチナシルバーの髪が、風にそよいできらきらと輝いていた。

 ちなみに、屑鉄平原に出かけるにあたってさすがに靴を履かないわけにはいかないだろう、とエルがいくつか合いそうなものを探してくれたが、似合う似合わない以前に、メアリーアンはかたくなに靴を履こうとしない。仕方がないのでそのままトラックに乗せたが、荷台に揺られている今も依然として彼女は裸足だった。

 一行はとくに交わす会話もなく、何とも気怠い雰囲気のままに、淡々と屑鉄平原を進んでいく。

「……いやな雲ね」

 ハンドルを握るエルが、彼方の空を見ながらぽつりとつぶやいた。みれば確かにいつもよりも分厚い雲が、ハイシティの街影の向こう側に重く低く垂れこめているのが見える。

 フランチェスカが身を乗り出して、運転席側の車窓を一瞥した。

「自由国境地帯の方角ね? ……ね、国境地帯って、結局何があるの?」

「何がって……なんにもないわよ」

「何にもない事ないでしょう。国境があるんでしょ?」

「国境を引いたところで、人間は誰も立ち入れないのよ」

 エルの言う通り、彼女だってそこを実際に見てきたわけではない。かつて〈旧世紀〉の終わり、世界はその住人たる人間たちがいがみ合って戦争をした結果、そのそこかしこが生き物の住めない土地になってしまった。ハイシティから先もそのようにどの国の領域とも定められない不毛の土地であり、地図上にはっきりと確たる国境線が引かれているわけではないのだ。それゆえに、その土地は自由国境地帯と呼ばれているのだった。

「おかしな話。誰も行った事がないのに、どうして不毛の土地だって分かるのかな?」

「分かるわよ。……ハイシティの人間なら、あの雲が何なのか、誰だって知っている。あんたもよく見ておきなさいな。あれは雲に見えて雲じゃない。土地を汚している汚染物質が、季節風に巻き上げられて上空を舞っているの。それがああやって、もやになって私たちに見えているのよ」

「じゃあ、風向きが変わったらどうなるの?」

「この街にやってくる。それだけの話」

「やってきたら、どうなるの……?」

 恐る恐るフランチェスカが尋ねる。

「どうもならないわよ。通り過ぎるまで、家に閉じこもってじっとやり過ごすだけ。私たちはそうやってこの土地で暮らしてきたんだから」

 エルがそうつぶやいた次の瞬間、トラックが地面のくぼみに車輪をとられて、車体が大きく揺れた。

「ひぁうっ……!」

 助手席のフランチェスカが思わずへんな声を上げてしまう。荷台でどたんという音がしたので振り返ってみると、バランスを崩したメアリーアンが尻餅をついていた。

「ちょっと、大丈夫?」

 エルが窓ごしに問うと、彼女は無言のまま親指を立てて、合図をつくった。

「……どこでそういうの覚えてくるのかしら」

 エルが一人ぼやきながら肩をすくめるのと同時に、メアリーアンの隣にいたノイエが急に声を上げた。

「ちょっと、トラックを止めて!」

「どうしたの?」

「動いている。イゼルキュロスが動いているんだ。……イゼルキュロス?」

(その声は、ノイエね?)

 鞄ごしに、くぐもった声が響いてきた。

 ノイエは慌てて背負い袋の口を解く。鞄の中で、イゼルキュロスは力無く微笑んでいた。

(ここは、どこ?)

「屑鉄平原だよ」

(……私をこれから捨てに行くのね?)

 当人にそのように念押しされて、どう答えたものかと一瞬迷ったが……ノイエはその通りだ、と答えた。

「ごめんね。結局なんの力にもなれなくて」

(それはいいの。それよりあなたたちは私をどこに置いてくるつもりだったの?)

 拾った場所に、と答えたノイエに、イゼルキュロスは一言「もっといい場所がある」と返すのだった。

「……何、そのもっといい場所って」

(案内するわ)

 不安げに問い返したノイエに、イゼルキュロスはそのように微笑んだのだった。そのあとで、誰が見ているか分からないから背負い袋の口を閉じろ、と彼女は鋭い口調で付け加えるのだった。

「そのままじゃ見えないでしょう。大丈夫?」

(いいえ、このままで大丈夫。……そもそもこの目はもう見えているわけではないの)

 見えていないとすれば何がどうなっているのか不思議だったが、そこから先のイゼルキュロスの道案内は確かに的確だった。来た道を半分ほど戻る事になったけれど、ノイエ自身もあまり近寄ったことのない、辺鄙な場所に出てしまった。

 業者があまり出入りしていないから、道も荒れているし久しく掘削されていなさそうな丘陵も多い。その丘陵の谷間をすり抜けるように、一行のトラックは進んでいく。

(ここよ。ここの近くよ)

 イゼルキュロスが、目的地への到来を告げる。その次には、助手席にいるフランチェスカの声が飛んだ。

「ノイエ、あれを見て!」

 みれば、丘陵の斜面の上の方に、何か光るものがあった。

 エルがそこでトラックを停め、ノイエが背負い袋を担いだまま荷台から飛び降りて、斜面を登っていく。その場にいなさい、とエルが制止をしたがそれを聞かずにメアリーアンも後に続く。

 そこでノイエが見つけたのは……大きなスーツケースだった。

 小柄な人間ぐらいならすっぽりと呑み込んでしまいそうな、大振りのケースだった。あちこちに穴が開いて破損したまま、大きく開け放たれたままの状態で斜面の途中に置き去りにされていたのだ。

「なんなの、これって」

 あとから続いたフランチェスカが恐る恐る近づいてみる。ケースは開け放たれたまま、中身はからっぽだった。決して土中に埋もれていた旧世紀の遺物が露出しているのではなく、昨日今日と言わず割と最近に遺棄されたもののように見えた。

 ノイエがそれを呆然と見やっていると、背負い袋の中のイゼルキュロスが、まるで見えているかのように、ぽつりと漏らした。

(これよ。これを探していたの)

「……このケースの中に、何かあなたの荷物でも入っていたの?」

(そうじゃなくて。この私が、中の荷物だったの)

 淡々とした口調ではあったが……イゼルキュロスの言葉に、ノイエとフランチェスカは思わず言葉を失った。

(私にはね、もう一人、旅の道連れがいたの。私はもう人間らしい外見を失って久しかったから、彼女が運んでくれなければ、どこにも行けなかった。なのに私は、彼女にとってあまりいい友人ではなかったわね)

 イゼルキュロスはやけに感慨深げに呟いた。彼女とその連れの間に、一体何があったのか……ノイエにもフランチェスカにも、窺い知ることさえ出来なかった。

(ノイエ、私をその中へ戻して。……少し寂しげなところだけど、眠りにつくには静かでいいでしょう)

「いいの?」

(ええ)

 それ以上、念を押しても意味はなかったかも知れない。フランチェスカが成り行きを見守る中、ノイエは言われるがままに、イゼルキュロスの身体を背負い袋から引っぱり出した。彼女をくるんだタオルは、出発時に取り替えてきたばかりだというのに水分を吸ってべったりと濡れていた。まるで彼女の身体は氷で出来ていて、外気にさらされて少しずつ溶け出しているかのようにすら思えた。

 ノイエはそんなイゼルキュロスの身体を、からっぽのスーツケースの内側にそっと横たえた。

 それ以上、お互いに語る事も何もなかった。

「……ここでお別れなの?」

(そうよ。さようなら、ノイエ。フランチェスカ)

 彼女がそう言った丁度その時、ノイエは背後に人の気配を感じて思わず振り返った。

 そこに、メアリーアンが立っていた。

 彼女は瓦礫の中を、裸足のまま無言で駆け上がってきたのだ。イゼルキュロスのように透明では無いにせよ、くるぶしまでも華奢な陶器細工のような彼女だったから、瓦礫を踏みしめるその足がやけに痛々しく見えた。

 トラックに戻るように言いつけようとしたノイエだったが……彼女の目はまっすぐにイゼルキュロスを見つめていた。

 未だに上手く口のきけない彼女は、まだおのが感情を表に現すすべもよく分かっていないように見えたが、今この瞬間の彼女の思いは痛いほどにノイエにも理解出来た。

 初めて、彼女に感情らしい感情を見たような気がした。

 メアリーアンはノイエとフランチェスカの間に割って入ると、ケースに横たえられたイゼルキュロスを、無言のまま両手でかかえ上げ、そのままぎゅっと抱きしめた。

 イゼルキュロス、イゼルキュロス……つたない口振りで、その名前を繰り返す。

 そのイゼルキュロスは、壊れんばかりにぎゅっと抱きかかえられた状態で、まるで幼子を諭すような優しい口調で語りかけた。

(メアリーアン、私を下ろして)

「……」

(お願い、もう私を眠らせて。新しいあなたには、もう私は必要ないはずなのよ)

「どうすれば、いいの」

(あなたが、私になってしまえばいい。メアリーアンであり、イゼルキュロスでもある、新しいあなたに)

 それが、イゼルキュロスが最後に残した言葉だった。

 そのまま、まるで時が止まったかのようにいつまでもイゼルキュロスを抱きしめたままだったメアリーアンは、不意に彼女を無言のままケースに戻し、そして立ち上がった。

 それを見ていたノイエが、彼女に問いかける。

「メアリーアン?」

 呼びかけても返事はなかった。その目はじっとイゼルキュロスを見下ろしていたが、そこには何かしら決意めいたものが見て取れた。

「ありがとう、ノイエ」

 やけにはっきりした口調で言うメアリーアン。

 彼女の反応を横目で確かめつつ、ノイエはケースの蓋をゆっくりと閉ざし、留め金をかけた。無惨に開けられた穴からイゼルキュロスの姿が垣間見えてはいたものの、それ以上動き出すわけでもなく、それこそ何かのオブジェのように見えた。

 そのまま、ノイエもその場をゆっくり立ち上がる。

「……いこう、メアリーアン」

 ノイエはそう言って、彼女に手を差し伸べた。

 メアリーアンはちらりと少年を見やって、その手を取った。

 少年に手を引かれて、メアリーアンはゆっくりと斜面を下りていく。フランチェスカはそんな光景を一歩遅れて見やりながら、何だか少しだけ寂しいような、不安なような、そんな不思議な気持ちにとらわれていた。

 イゼルキュロスとの別れが、それだけ奇妙な体験だったのだろう、とフランチェスカは無理矢理納得する事にしたのだが、それで正しかったのかどうかは彼女には何とも言えなかった。

 そんな胸騒ぎを振り払うように、フランチェスカは彼方の空を見やる。

 街までそんなに遠く離れてはいなかった。帰途はそれなりに短い道のりになるだろう。

 だが……向こう側の空を覆う分厚い雲が、先ほどよりもさらに低くのしかかるように広がっていた。

 それを目の当たりにした途端……少年の顔色が変わった。

 ノイエははっとしてイゼルキュロスのケースの方を振り返り、もう一度彼方の空を見て、そしてメアリーアンやフランチェスカたちと顔を見合わせる。

 その慌てぶりに、フランチェスカが何気なく問うた。

「何をそんなに慌ててるわけ?」

「……大変だ」

 そう口走ったノイエの顔は、蒼白になっていた。

「大急ぎで街に帰らなくちゃ」

「どうしたっていうのよ」

「〈ブリザード〉だよ」

 少年の口からこぼれた言葉の意味が、最初フランチェスカには分からなかった。ぼんやりしたままの彼女に念を押すように、ノイエはもう一度、言うのだった。

「〈ブリザード〉が街にやってくるかも知れないんだよ! こうしている場合じゃない!」

 ノイエはメアリーアンの手を強く引いて、エルが待つトラックの方へと斜面を駆け下りていくのだった。



(次章につづく)

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