3 墜落地点
――話は、少年が屑鉄平原の空を横切る飛行物体を目撃した、あの日に遡る。
墜落を目撃してすぐ、ノイエはホバーサイクルを走らせて墜落地点と目算した場所に駆けつけた。大体の距離と方角は間違えてはいないつもりだったが、そこが実際にホバーサイクルで乗り入れられる地形なのかどうかは、その場に着いてみないと分からなかった。案の定、その地点は少し地形が隆起している向こう側にあり、車輪が接地しているわけではないホバーサイクルであってもその斜面を登っていくのは難しそうだった。
となれば、そこから先は徒歩だ。ノイエは斜面のふもとでホバーサイクルを降りると、恐る恐るといった足取りでゆっくりと坂道を登っていった。
斜面を登りながらノイエの脳裏をよぎったのは、墜落した物体と並走して飛行していたはずの、小さい方の飛行物体の存在であった。それが近くにいた場合のことを全く考えていなかったのだが、空を見上げてもそんな飛行物体の影はどこにも見当たらない。では逆に、一体どこへ消えてしまったのかとノイエは不審に思いはしたのだが、だからと言ってここまで来ておいてやっぱり帰るという気にもなれなかった。
傾斜を登りきるとそこから先は平らな地形が続いていた。周囲に余人や外敵のようなものの姿がないのを確認して、恐る恐る歩み寄っていく。
やがて落ちた飛行物体の姿が、ノイエの目にも見えてきた。
それが何かと言われれば……恐らく人であろう、とは思った。
とは言えそれは、目視で確認出来るその形状の一部が、それとなく人間のそれに類似しているというだけの話だ。実際に傷ついた人間が倒れているのだ、という風にはさすがに見えなかった。
それは――それが人であるとするならば、相当に凄惨な光景と言えたかもしれない。下の半身をまるごと失い、左腕もまたまるまる欠損している。けれど傷口の断片は生き物の肉の色をしていなかったし、流された血も赤くはない。色のない透明な、澄んだ液体をにじませているだけだった。もっと言えば、今この場で晒されている現存する全身が、まるで精巧なガラス細工のような透き通した何かを、強い衝撃で破片まで粉々に砕き割ったかのように、まるきり人工物にしか見えなかったのだった。
だからといって、全く痛々しく見えないと言えばそれだって嘘にはなっただろう。人工の造形物であるにせよ無いにせよ、それは確かに破損していたし、それでもなお自律してかろうじて動いていたのだから。
眼下に転がるそれを見やって、ノイエは愕然と立ち尽くしてしまった。
異形の怪物――そのように形容するしかなかったかも知れない。
傷ついているなら、助けるべきか。
それとも血相を変えて、悲鳴を上げながらその場から逃げ出すべきか。
結論はすぐには出なかった。何故なら、それとは別に判断を強いられる事態が、ノイエの身に起きようとしていたから。
頭上から接近しつつあるその物音に、ノイエは思わず天を仰いだ。
響いてくるのは、虫の羽音のような耳障りな音だった。しかも虫のそれだというには、格段に大音量で、しかも図太く響き渡っていた。
それもそのはずだ。ノイエめがけて急降下してくるのは、まるでちょっとした鳥ほどの大きさのある、巨大な羽虫だったから。
その数は二匹。いつの間にそこまで間近に迫っていたというのか。
最初はノイエも、黒光りするその姿をみてカラスか何かかと思ったのだ。だがせわしなく震える透明な羽根はまさしく昆虫のそれだったし、外骨格の節くれだった足も、鳥のそれではなかった。腹部の赤と黒のまだら模様がいかにも毒々しげで、とてもではないが無害で安全な生き物には見えなかった。――実際その禍々しい腹部には、人間の指よりも太く鋭い針があって、虫はそれでもってノイエを狙って急降下して来ようとしていたのだから。
「――!」
咄嗟の事に、身をかがめるぐらいしかノイエには出来なかった。慌てて逃げ出す事も、果敢に立ち向かう事も出来なかった。
そんなノイエの代わりに……動いたのは、墜落地点にいた異形の者の方だった。
それが急に動き出したのが視界の片隅に映って、ノイエも思わず振り返る。
異形の者は一本だけ残された右腕を、まるで助けを求めて天に差し伸べるように高々と振り上げた。見た目は筋骨たくましいわけでもない、細いたおやかな腕だ。
そのまま、手のひらをめいっぱいに広げ、勢いよく地面に振り下ろした。
それはちょうど平手で地面を叩き付けた格好だった。がらくたに覆われた地面を勢いよく叩いて、その勢いでもって異形の怪物はおのが身体を高々と空中に持ち上げた。
目指す先は、数歩先で縮こまっているノイエのすぐ側だった。
「――!」
突然の事にノイエは目を見張るしかなかった。異形の者は迫る羽虫のうちの一匹を手のひらで鷲づかみにすると、そのまま両者もつれるようにして落下した勢いのままに、掴んだ羽虫の身体を力任せに地面の岩の上に叩き付けた。
黄色い体液をぶちまけつつ、羽虫はあっさりと潰れてしまった。外骨格に覆われた身体はいかにも硬く頑丈そうだったのに、異形の者は負傷した身のまま、それをあっけなく潰してしまったのである。
ノイエに迫っていたもう一匹が、それを見て急に方向転換して、狙いを異形の者に変えた。
迫り来る羽虫を、一体どのように回避するのか……ノイエが見守っていると、いつの間にか異形の者の右の手のひらの指が、まるで一本一本が鋭利な刃物のように尖った形状になっていた。
最初からそんな形状ではなかったような気がするが……ともあれ、その指の刃を綺麗に揃えてつくった手刀でもって、羽虫はすれ違いざまにあっさり真っ二つに切り裂かれてしまったのである。
右と左に行き別れて地面に落下した羽虫を横目にしつつ……異形の怪物もまた自身高々とした跳躍から、放物線を描くようにしてもう一度地面へと転げ落ちていくのだった。
あっという間の出来事だった。取り敢えず彼らの目前に迫っていた羽虫はこの二体だけのようだった。
墜落した物体とその発見者だった両者の関係は、命を助けた者と助けられた者の関係に変わっていた。
何も言えずに無言で見ているだけのノイエに、異形の怪物の方から口を開いた。
(それで)
その一言に、少年はようやく我に返ったように異形の者をはたと見据えた。
(それで、あなたはこの私をどうするつもりなの……?)
「……どうする、って」
(ほどなくして、今の羽虫どもの群れが私を探し出して、ここに降りてくるわ。連中はもうすでに、仲間の虫が死んだ事に気付いているでしょうからね)
その時にこの場に居合わせたら、あなたもただでは済まないわよ……異形の怪物は、そのように告げるのだった。
その言葉が耳に入っていなかったわけではなかったけれど、少年はただ呆然とせざるを得なかっただろう。
――今自分は一体、何と会話を交わしているのだ?
少なくとも、欠落を免れた部分を見やる限りでは、人を模しているのは分かる。人語を解し、少なくとも会話が成立しているのも、容認するとせざるとに関わらず、歴然たる事実には違いない。傷だらけの痛々しいありさまだったとはいえ、一糸まとわぬ裸身は十四歳の少年の目をくぎ付けにするほどには優美ではあった。
その肌はガラス細工のように半透明に光を透き通し、半身を失ってもなおその目に光を失ってはいなかった。その痛ましさに目を背けるよりも、そんな未知の異形のものと言葉を交わしているという異常な状況に、少年は興味をかき立てられずにはいられなかったのだ。
あの羽虫が脅威であることは今近づいてきた二体を見れば理解出来る。眼前の怪物は、この場所は安全ではないと少年に告げているのだ。
みれば、異形の者の傷は手足の欠損にとどまらなかった。とくに酷いのが背中で、異形の怪物がここまで羽ばたいてきたであろう羽根がそこから生えていたのだが、これがぼろぼろに破れていた。さらには背中の皮膚にも、何かを無理矢理引きちぎったように無惨にも肉がめくれている痕跡があったのと、左右の羽根の付け根の位置が互い違いになっていたことから、本来は他にも何枚か同じような羽根が生えていたのだろうと理解出来た。
そんな痛んだ羽根では、ここから再び飛び立つ事も適わないのかも知れなかった。まだ諦めたわけではなかっただろうが、ほとんど余力は残されていないのかも知れなかった。
だとすれば。
一体自分は、どうすればいい。
怪物の言うとおり、きびすを返してそのまま街へ戻って、何も見なかった事にするのが一番いいのだろうか。
どうせ見も知らぬ異形の化け物だ。どこでどんな死に方をしようと、少年には何の関わりも無いことだったし、むしろ普通の人間なら、積極的に関わりを持たないようにしたかったかも知れない。
ノイエはしばし逡巡したのち、きびすを返してその場を離れていった。
怪物がそれを見て、やはり、と気落ちしたように笑った。
だがものの十数秒もしないうちに、ノイエは再び戻ってきた。その手には少年の背丈を半分以上覆い隠すような、ばかでかい背負い袋が下げられていた。
それはノイエ少年が、屑鉄平原に出かける時にはいつも持たされている鞄だった。先程ホバーサイクルを止めた場所に一緒に放り出してきていたのだ。
何をするのかと見ていると、少年は覚悟を決めるように深呼吸をひとつすると、その鞄を手にしたまま斜面を下りて異形の怪物のすぐ側にまで駆け寄ってきたのだ。
少年は袋の口をがばっと開け、口の大きさと袋の奥行きとを、地面に転がっている異形の怪物と比較した。
そして、腰から下がもげてしまった傷口の方を袋の口にあてがうと、ごめん、と一言口走って、今度は怪物の頭をぐいと押して、その中に身体をまるごと、ぐいと押し込めたのだった。
(何をするつもりなの?)
背負い袋が相当巨大だったというべきか、怪物が意外に小柄だったというべきか……怪物の身体は鞄にすっぽりと呑み込まれてしまった。
「少し、我慢していてよね」
少年はそういうと、背負い袋をよいせと持ち上げた。半身が失われているせいか、空を飛ぶ生き物だからなのか、思いのほか重さを感じなかった。ノイエはそれをよいしょと背負い、斜面を駆け上がっていく。丘陵を越えた向こうに転がしてあったホバーサイクルの車体を起こして、慌ててジェネレータを始動した。ここに来るまでは気付かなかった耳障りな異音が響いたが、かまっていられる状況ではない。あわてて飛び乗って、その場をあとにする。
袋の中からは何も見えなかったが、乗り物で移動している事は怪物にも伝わっているようだった。
(……それで、私をどこに連れていくつもり?)
「知らないよ。でもあそこにいちゃまずいんでしょうに」
(それも、そうだけど)
それ以上どのような会話を交わせばいいのか、怪物には分からなかった。何せ少年がそんな行動に出るとは、思ってもみなかったのだ。
少年も闇雲に走って迷子になるわけでもなく、なるべく街の方角を目指すように道を選んだ。警戒するように上空を窺ったが、あの羽虫の仲間のようなものは見つけ出すことが出来なかった。
「……どうやら、何も追いかけては来ないようだよ」
(どうして、私を助けたの?)
「分からないよ。でも放っておけないじゃないか」
ぶっきらぼうにそう答える。
そう言えば、そこに至ってまだ名前も名乗っていない事に気が付いた。
「僕は、ノイエ。あなたは?」
(私は……)
怪物はひとたび言い淀んだが、意を決したようにおのが名を名乗った。
(私は、イゼルキュロス)
よろしくね、と言おうとしたが、呑気に挨拶などしている場合ではなかった。
(……安心しない方がいいわよ)
怪物――イゼルキュロスにそう言われて、ノイエはホバーサイクルを走らせたまま上空を見やった。背後の空に、うっすらとではあったが、確かに何かの集団が密集して飛んでいるのが見えた。
遠目には黒々とした不気味なかたまりにしか見えなかった。
「こっちに近づいてくるみたい。僕らに気付くかな?」
(もしかしたら、ね)
イゼルキュロスは冷静に言い放つ。
(あの羽虫どもだけならともかく、あいつらを操っている者が他にいるの。その判断次第、という事になるかしらね)
ノイエはその言葉に、返事が出来なかった。
今更、関わってはいけない事に関わってしまったという後悔が多少こみ上げてきた事もあったし、思ったほどの重量ではないとはいえホバーサイクルを走らせるにはバランスが取りづらく、運転も慎重にならざるを得なかった。
ともあれ、屑鉄平原を誰かが行き来する事自体は何ら不審な事ではなかったから、何食わぬ顔でゆっくり走っていた方が注目を引かないのではないか、とイゼルキュロスが言うので、ノイエもそれに従う事にした。
やがて、遠目に小さく見えていた黒雲のかたまりは、ノイエの頭上に近づいてくる。群れの仲間が消息を絶った場所から、一番近くにいる動く物体ということで、注意を惹いたのかも知れなかった。
不気味な羽音が、少年の耳にも直に響いてくる。
ノイエは極力何でもないふりを装っていたが、不穏な羽音に付きまとわれて、平静でいられるはずもなかった。
「……あなたに気付いているのかな?」
(もし襲ってきたら、私を放り出して逃げるしかないわね)
彼女はそういうが、今更見逃して貰えるかどうかは分からなかった。
くぼみにハンドルを取られ、派手に転倒してしまったのはその時だった。ホバーサイクルは横転し、ノイエはそのままくぼみの底に溜まったオイルだまりに半身を突っ込んでしまう。荷物を詰め込んだ背負い袋も、半分までオイルに浸からせてしまったのだった。
「ご、ごめん。イゼルキュロス、大丈夫……?」
(ええ、大丈夫……というか、これは好都合かもね。オイルの匂いで、私の痕跡を多少なりとも消せるだろうから)
その後、ノイエはオイルにまみれたまましばし上空の様子を伺っていたが、やがて羽虫達は諦めたのか、いずこかへと去っていった。
その場で息をひそめてしばし様子を窺っているうちに、太陽は彼方の地平線に沈んでしまっていた。
ジェネレータが異音を発していたホバーサイクルは工場のすぐ手前でついに動かなくなってしまった。日も暮れて暗い中、残りわずかの距離をとぼとぼと歩いて、少年はようやく〈グラン・ファクトリー〉に帰り着いたのだった。フランチェスカは少しいぶかしんでいたようだったが、当日その場について言えば誰からも荷物の中身について追及を受けることはなかった。
自分のアパートに戻って、ようやく荷物を開封する。袋の中までオイルまみれだったが、イゼルキュロスの皮膚はどのようなものなのか、身体にまとわりついたオイルは少し布で拭いただけで簡単に取れてしまった。皮膚を保護するためなのか、しっとりとしたべたつきが全身を覆っているかのような手触りだった。
(……結局、私はハイシティに帰ってきてしまったのね)
ノイエの居室を見回しながら、イゼルキュロスはそのように、しみじみと呟くのだった。
「どうして、屑鉄平原のあんな場所に倒れていたの?」
(あなたも見たでしょう? 飛べなくなって、墜落したの)
「そうじゃなくて。どうしてあんな虫に追われていたのか、って事。誰があなたの命を狙ったりするのさ」
(多分その誰かは、私の事がどうしても許せなかったんでしょうね。……そもそもこのような異形の怪物だもの、石を投げられ当然ともいえるのかも。むしろあなたこそ、どうして私を助けたりしたの)
それは二度目の質問になるが、問われてもノイエには答えようがなかった。成り行きと言えば成り行きだったのは否めないが、そうでなくとも理屈や打算で彼女を助けたわけではないのだから、答えには窮する。
それを察してか、イゼルキュロスはそれ以上理由を問うことはなかった。
「とにかくさ。しばらくここに身を隠していればいいよ。食べ物とかも、必要なものは用意できるし」
(ありがとう。でも食べ物はいらないわ)
イゼルキュロスはそう言って寂しそうに笑った。異形の怪物だったから、人間の食べ物では間に合わないのだろうか……と思ったが、彼女の言葉はそんな予想とはまるで違っていた。
(ひと心地ついたから、身体を休めればもう一度飛べるかと思ったけど……どうも無理みたいね)
「……どういうこと?」
(もしも私が死んだら、私を屑鉄平原に連れていって。どこでもいいから、人目に付かないところに捨ててきて)
「そんな」
ノイエの抗議の声に、イゼルキュロスの返事はなかった。目を閉じたまま、やがて安らかに寝息を立て始めたので、眠ったのかと思ったが……その後どれほども立たないうちに、その寝息も止まってしまった。
これという実感のあるものではなかったが、つまり少年はその生き物の最期を看取った事になるのかも知れなかった。
あるいは、眠っている間に呼吸などはしないのかも知れなかったし、本人はああ言っていたものの単に傷を癒やすために一時的に生命機能が休止しているのかも知れない。
とにかく、死んだ、ということが実際に確認出来るまで――あるいはノイエ自身の気持ちに整理がつくまで、とにかく彼女はこのままにしておこう。そのように考え、ノイエは物言わぬイゼルキュロスを、寝台の下の隙間にこっそりとしまい込んだのだった。
(次話へつづく)




