2 隠しごと
メアリーアンを迎え入れた〈グラン・ファクトリー〉では、はや数日が経過しようとしていた。
彼女がここにいるという事実は他人には知られないに越したことはなかったが、あいにくメアリーアンが姿を見せたその朝、まずいきなりフランチェスカに目撃されてしまった。
その当日の朝の状況に限って言えば、彼女が連れてきた子猫が何故かメアリーアンをひどく警戒して、フランチェスカの手を飛び出してしまうという一幕があった。フランチェスカとノイエの二人で作業場中をひたすら追いかけまわして、どうにか捕まえるという顛末を迎えたわけだが、それが一段落すれば次はいよいよそこにいるメアリーアンについて、色々と詮索を受ける流れになってしまうのは避けられなかった。
「……親戚だよ」
フランチェスカに問われて、ノイエは手短にそう答えた。問われたらそう返答するようにと、エルとあらかじめ口裏を合わせてあった通りに答えたまでだが、それ以上の委細を事細かに詰めるには圧倒的に打ち合わせが足りていなかった。
そもそも、ノイエが住み込みで働いているのは少年に身寄りがないからだというのはフランチェスカにも周知の事実だったから、その一言ですべてを説明するのはどうしても無理がある。
「親戚って、どっちの?」
「……えっと。エルのだよ。当然でしょ」
「いつ来たのよ。私、昨日はずっとここでノイエが戻ってくるのを待ってたのよ? ジョッシュがトラックで荷物を持ってくるまでだーれも工場には来てなかったけど?」
「君らが帰ったあとで到着したんだよ」
とはいえ昨日はジョッシュとフランチェスカの二人ともがここで夕飯にありついていたのだから、帰りは遅かった。
「いくらなんでも、なんでそんな遅くに来るのよ」
「昨日マゼラヴィルからバスが来てたでしょ。乗り過ごして旧市街まで行っちゃってたせいで、道に迷ってたんだよ。……多分」
ノイエがしどろもどろになってそこまで説明したが、フランチェスカを納得させるには至らなかった。
詳しい話はエルに聞いて、という風に逃げ切ろうとしたが、エルはメアリーアンの顛末がひと段落すると再び奥の作業場にこもりきりになってしまい、昨日ジョッシュが搬入したばかりの発掘機械の作業に戻ったままろくに顔を見せようとはしなかった。だからノイエが引き続き質問攻めにあっては、のらりくらりとかわし続けるしかなかったのだった。
フランチェスカに知られたのであればその保護者であるジョッシュにも内緒にはしておけなかったが、昼過ぎにエルの作業進捗の確認にやってきたジョッシュはと言えば、その件に関しては、分かった、とだけ返事した後は一切細かい事は詮索しなかった。
そもそもフランチェスカにしても、元々はマゼラヴィルに暮らすジョッシュの姉夫婦の娘で、諸般の事情でジョッシュの元に預けられているのだ。姉夫婦の家庭が抱える問題について一口に語るのは難しく、それだって他人に根掘り葉掘り訊かれたい話ではない。最果てのハイシティはそのような訳ありの人々が寄り集うにふさわしい土地とも言えたし、ジョッシュはちゃんとそれをわきまえていたのだった。
「……とにかく。彼女のことはあんまり言いふらさないでよ?」
ノイエは念押しするが、それで納得するフランチェスカではなかった。
とはいえ、あれこれ質問を投げかけようとするのをジョッシュにまで諫められてしまったので、とりあえずその場は大人しく引き下がるしか無かったのだったのだが。
エルが作業に没頭しているとノイエはノイエで、普段のエルの分まで持ち込みでやってくる修理やら点検やらの作業で忙しく、ジョッシュはジョッシュで店の仕事があり、常に暇を持て余しているわけではない。フランチェスカが工場に遊びに来たところで、相手をしてくれそうなのがメアリーアンぐらいしかいなかったりもするのだが、では本人を直接問いただせばよいのかというと、そういうわけにもなかなかいかない。
その肝心のメアリーアンはと言えば、日中は何をするでもなく、ほとんどぼんやりとして過ごすことが多かった。
朝も寝ざめがいいとは言えないし、日中も気ままに工場の中をうろうろしていたかと思うと、気が付けばどこかに座り込んだままうつらうつらと眠りこけているのだった。子猫は相変わらず彼女を警戒していたが、相手がほとんど身動きしないのなら、あとはただ距離を置くのみだった。
そのうち子猫がうろうろと工場の外に散歩に出ていくので、フランチェスカも何となく後ろをついていきながら、工場の周りをぶらぶらと暇そうに歩き回るのだった。
例えばこうやって歩いているさなか、今しがた向こう側で女の子とその母親と思われる二人が、ボール遊びをしているのが見えた。彼らはここ最近になって見かけるようになった気がするが、なぜ工場街にいるのかを詮索したらやはり気を悪くするだろうか?
子猫はフランチェスカが後をついてきているのを時折確認するかのように立ち止まって振り返る。そのうち近隣を一周したかと思うと、エルの工場に戻ってくるのだった。
「ここが自分のねぐらだと勘違いしているんじゃないかしら……」
見れば彼女が離れている間にノイエはどこかへ出かけてしまったらしく、作業場に姿が見えなかった。奥からは工具を動かしていると思しき軽い機械音が響いてきて、エルが作業中なのは窺い知れた。メアリーアンはと言えば、元の場所でうつらうつらと眠ったままだった。
フランチェスカは表口をそっと離れたかと思うと、工場の建物の裏手にまわって、二階のアパートメント区画に向かう階段をじっと見上げる。
それとなく辺りを見回してから、意を決して彼女は階段をゆっくりと登っていくのだった。
鉄の外階段は一段ずつ上っていくごとに、足音がやけに高く響くように思われた。もちろん、ノイエが日常的にここを上り下りしているはずだから、鉄の柱がフランチェスカの体重を支えられない事は無いはずだった。とはいえ、ぎしりと不快な軋みを上げるのは心穏やかではいられなかったし、足音を誰かに聞きとがめられたらと心配にもなる。
何より、工場に姿の見えなかったノイエが、もしかしたら階上にいる可能性だってあるのだ。ここで出くわしたならどう言い繕えばいいのかと、内心気が気ではなかった。
ノイエの部屋は階段を上り切った先を曲がって、廊下を進んだ一番奥にあった。元々は工場で住み込みで働く従業員のために用意された住居区画で、過去には空き部屋を人に貸したりという事もあったようだが、今現在は少年の居室以外は空室という話だった。
部屋の戸口に立って軽くノックをするが、じっと耳を澄ませても返事はなかった。ドアノブに手をかけてみると、不用心な事に施錠はされていなかった。
「お邪魔します……よ、と」
締め切ったカーテンは生地こそ厚くはなかったが、外が薄曇りなのもあって差し込む光量はさしたるものではなく、室内は薄暗かった。すっきりと片付けが行き届いた、小ざっぱりと清潔に保たれた部屋だったが、そもそも人が暮らしているにしてはあまりに物が少ない部屋でもあった。
メアリーアンの事だけではない。ノイエはきっと何かを隠している。少年が汚泥まみれになって帰ってきたあの晩、こっそりと持ち帰ってきた何かがこの部屋にまだあるのでは……フランチェスカはそんな風に思いながら、恐る恐る室内を見回した。
同時に、それを見つけてどうするのか、という思いも去来する。大荷物といってもまさかメアリーアンを詰めて持ち帰ってきたわけでもなく、何か見つかったところで証拠でございとノイエやエルに突き付けて詰問するつもりがあるわけでもなく……そのように考えが至ったところで、やっぱり家探しなどするのはばかげている、と思い直して部屋を出ようとした、その時だった。
何かが足首に触れた。
いや――より正確に言えば、何かが彼女の足首を掴んだ。
寝台の下から人間の腕……と言っていいかどうか分からないが、そのように見えるものがにゅっと伸びて来て、フランチェスカの足を掴んでいたのだ。
フランチェスカの口から、おおよそ悲鳴といって差し支えのない金切り声が飛び出した。
それは掴むというほどはっきりとした動作ではなく、単に腕を伸ばした先に彼女が立っていたというだけの事かも知れなかった。
だとしても、一体何が床から腕を伸ばしたというのか?
大声を上げたフランチェスカがその場にかろうじて踏みとどまっていられたのは、彼女自身もまた他人の部屋に無断で立ち入り、人目を忍ぶ立場だったのを思い出したのと――ひとたび叫び声を上げてしまった以上今更ではあったが――その腕が人間か動物のそれというよりは、ガラス細工のように透き通った見た目をしていて、まるで造り物のように見えたせいもあったかも知れなかった。これがもっと生々しく人間の腕に見えていたら、そこまで平静ではいられなかったのではあるまいか。
ともあれ……彼女がひとたび発した悲鳴については、それをしかと聞きとがめた者が階下にいたのだった。
無断で立ち入ったその部屋の直下、階下の作業場にいた、エル・グランであった。
「今の、聞こえた?」
「えっ?」
問われて思わず尋ね返したのは、めずらしくエルの作業場で手伝いをしていたノイエ少年だった。
エルが自分の作業に誰かの手を借りることはあまり無いことではあったが、それでも物理的に一人では手が足りない時もある。表の作業場にいたノイエが呼ばれてみると、エルは機械の外装パネルを取り外しにかかっているところで、これが継ぎ目のない一つながりの大きさで、一人で抱えるには若干の不安のあるサイズだったのだ。
ノイエが端を支え、エルがパネルの固定を外す。持ち上げてみればエルかノイエが一人でも持てないことはないくらいに軽量ではあったが、落としたくらいで割れるものではないにせよ、当然スペアなどあるはずがないので、それを試すつもりもなかった。
階上から物音が聞こえてきたのは、ちょうどそれをノイエと二人がかりで床に下ろした、そんな時だったのだ。
普段であれば多少の騒音など気にもかけないエルだったが、人の悲鳴となればそういうわけにはいかない。表の作業場へと飛び出し、まず確認したのはメアリーアンの所在だった。壁沿いの鉄階段に座り込みうつらうつらしていたメアリーアンだったが、作業場の扉から慌てて飛び出してきたエルとノイエを見て、うっそりと半身を起こす。
きょとんとする彼女を見て、聞こえてきた悲鳴には関係なさそうだと分かると、エルはそのままその階段を大股で二階へと駆け上がっていった。上がった先は自分の居宅だ。
「フランチェスカ?」
悲鳴の主がメアリーアンでないのなら、あとは思い当たる人物は限られていた。 念のため声をかけるが、彼女の部屋にはいないようだった。中を通り抜けて反対側のドアから出れば、そこはノイエの部屋のあるアパートメントの廊下に抜ける裏口だった。戸口を抜け、彼女はまっすぐにノイエの部屋に向かう。……誰かが何か用事があって足を踏み入れるとしたら、あとはそこぐらいだった。
エルが勢いよくドアを開けると、彼女の読み通り、確かにそこにフランチェスカはいた。
「あっ、エル! えっと、これは……」
エルの顔を見るなり、彼女が言い訳じみた言葉を並べ始めたのは、本来無断で立ち入るべき部屋ではもちろん無かったからだが……エルもそれを咎め立てするより前に、フランチェスカの足首にゆるりと掴みかかっている一本の腕に視線を止めて、はっとした表情になった。
「フランチェスカ、動かないで」
エルはそういうと、恐る恐るフランチェスカの元まで歩み寄る。その場にゆっくりとしゃがみこんだかと思うと、彼女の足首を掴む手……のようなものに、おずおずとおのが手を伸ばした。
指のような部分を恐る恐るつまみ上げて、外れないかどうかを慎重に確かめる。不気味ではあったが、こういう時にあげるべき悲鳴はすでにメアリーアンの時にあげた後だったので、不思議と肝が据わっていた。
奇妙な事に、見た目はガラスのように固い素材感なのに、触れてみると確かに生き物のような柔らかみがある。
指をそっと足首から引き剥がし、フランチェスカに戸口まで下がるように手ぶりで示す。少女がそろりそろりと廊下へ出ていくのを横目にみやり、エルはその腕が伸びてきた先……寝台の下を、まじまじとのぞき込むのだった。
薄暗い部屋の、寝台の下の物陰は昼なお暗い。その暗がりの向こうに、じっとこちらを見ている二つの目があった。
「――!」
エルは思わずはっと息をのみ、一歩後ずさった。短くもらした息は声にもなってなかったと思うが、それに反応したのか、床に力なく投げ出された腕がかすかではあったが、びくりと動いたように見えた。
そのまま、どうしてよいか分からずに固まったまま、エルは床に転がる腕をじっと見降ろす。
一歩遅れて、部屋の主であるノイエがその場に駆けこんできた。廊下にいるフランチェスカと、室内で膝をついたまま呆然としているエルを見やって、その場の状況を把握したようだった。
少年はふうっとため息を一つつくと、両名を尻目に寝台の側にすたすたと歩み寄り、かがみこんで寝台の下に隠されていたそれを慎重な手つきで、ゆっくりと人々の眼前に引っ張り出した。
人の半身がそこにはあった。……半透明に透き通ったガラス細工のような見た目は伸ばされていた腕と同じで、腕から先の形状は人間と同じに見えた。腰から下は割れて砕けたように欠損しており、見れば反対側の腕も肘から下は斜めに砕けて損耗していた。
象られた形状そのままの存在であるなら、それは人――人のような何かだったのだろうか。だとしたらその姿はまさしく、明らかに傷ついた姿であるように見えた。
衆目に晒す形で引きずり出されても、それはまったく身じろぎもしなかった。それでも、それが作り物でも死んでいるのでもなく、おそらく生きているのだと思われたのは……その両目が、しっかりとエルの姿を見据えていたからだった。
エル・グランは得体の知れない彫像のようなそれと目を合わせたままの状態で、傍らに控える少年に問うた。
「ノイエ……これが一体何なのか、あんた説明できる?」
問われた少年は、深々とため息を一つつくと、同じ質問を目の前のそれに向かって静かな口調で繰り返した。
「……説明できる?」
(そうね……私が直接説明した方がいいのでしょうね、やはり)
それが人間の言葉を発した事に、エルは身じろいだ。加えて、両者のやり取りを聞けば、これとノイエとは面識があり……その事情を鑑みれば、少年がこの得体の知れないものをこの部屋に匿っていたと見るのが妥当だろう。
「あんたがどこかから拾ってきたの、こいつを?」
「屑鉄平原で見つけた」
「一体何なの、こいつは――」
人の半身をかたどった彫像。下の半身が欠落し、腕も一本しかなく、あちこち傷だらけの、半透明に透き通ったそれを、一体何者と理解すればよいのか……エルはひたすら困惑するしかなかった。
そしてエルがもう一つ困惑を覚えたことに、その女性の彫像――のようなもの――は、階下にいるはずのメアリーアンに、面影が瓜二つだったのだ。
これは一体どういう事だ?
一体何から、そして誰から問いただせばよいのか、エルが困り果てたまましばし思案していると、戸口にさらに新しい人影が現れたことに気づいて、彼女は思わず振り返った。
いったん廊下に避難したフランチェスカが部屋に戻ってきたのかと思ったが、違っていた。
そこに立っていたのは、階下にいたはずの、メアリーアンだったのだ。
「イゼルキュロス」
床に転がるそれを見て、メアリーアンがその名を呼んだ。
「見つけた。そこにいたのね、イゼルキュロス」
(次話へつづく)




