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4時間近くゲーセンや近くにあった卓球場で遊び尽くし、流れで晩御飯も三人で食べに行ったので、帰る頃には22時を回っていた。
これだけ遊んだというのに更にカラオケでオールしたいと言っていた林田には、呆れを通り越して感心する。
結局乗り気にならなかった俺達に拗ねて一人オールカラオケに行ってたが、あいつ明日実習があるの忘れてないだろうな。
トントン…と暗いアパートの階段を上り、自分の部屋の前に立つ。
鍵穴に鍵をさし込もうとした時、ふと隣の部屋を見ると明かりがついていないことに気がついた。
少し早いが、渚はもう寝たのだろうか。
実習の日は疲れて21時に寝ることもあるから、今寝ててもおかしくはないが……。
途中で何回かLINEが来てないか確認していたが、今もう一度確認しても何もメッセージはない。電話をかけてみても、出る気配がない。
普通に考えたら渚は今部屋で寝てるはず。
なのに、この言い切れない不安感はなんだ?
合鍵は持っているので入ろうと思えば中に入れるが、さすがに理性がそれを制する。
だがどうしても確認したくて、最後一緒にいたはずの山城に電話した。
『森山? 何、こんな遅くに』
「悪いな、山城。少し、確認したい事があって。今、渚と一緒にいないよな?」
『は? 渚なら、バイトのヘルプに呼ばれたからだいぶ前に別れたわよ。何でわざわざあたしに確認するのよ?』
「な……っ! 渚はバイトに行ったのか⁉︎」
『はぁ⁉︎ まさか、渚がヘルプで呼ばれたこと知らなかったの⁉︎ 森山に連絡するって言ってたのにあの子は……!』
嫌な汗がじわりと滲み出る。
居ても立っても居られず、電話を切って走り出した。
渚のバイト先までは徒歩で15分程度。今は22時を過ぎているので帰っている途中の可能性が高い。
渚といつも通っている道を辿り、脇道に誰かいないか確認しつつ走って行く。
半分を過ぎても姿が見つからないことに焦りを感じ、胸が締め付けられるように苦しい。
鬼気迫る表情で走る俺を見て、通り過ぎる人の中には何事かとこちらに目線を向ける人もいる。
その中の一人、スマホを持っている人から着信音が聞こえてハッとする。
講義以外では通知が来たらわかるようにマナーモードを解除するように言ってある。なら、電話をかけて近くにいたら着信音が聞こえてくるはず……!
焦りで震える手を動かし、渚のスマホに電話をかける。
すると、微かだがよく知っているアニソンが聞こえてきた。
音を頼りに走ると、大通りから一本外れた路地から音がクリアになってきたアニソン、そして苛立った男の声が聞こえてきた。
「さっきからうるさいスマホだなぁ。せっかく渚チャンと二人っきりになれたのに、何回邪魔するんだよ」
「んんっ……!」
聞きなれた名前とくぐもった女の人の声にぞわりと胸が騒ぎ、急いで路地に入る。
薄暗い路地の壁際には、小太りのベタついた髪の男が苛々した表情で水色のスマホを見ている。
その男の腕の中には、手で口を塞がれて踠いている渚がいた。
その光景が目に飛び込んできた瞬間、全身がカッと熱くなるのを感じた。
気付けば男から渚を引き剥がし、男目掛けて持っていた鞄を投げ飛ばしていた。
鞄は男の肩に当たり、予期せぬ衝撃で男はたたらを踏む。
渚を後ろに隠すと、振り返った男がこちらを睨んできた。
「渚、怪我は? 何かされてないか?」
「うん、大丈夫…」
「いたい…なんだぁ? って、オマエは! ボクの渚チャンを盗ったヤツじゃないか!」
「お前か。渚を付け回すストーカーは」
「ストーカー? 人聞き悪いなぁ。ボクは最初から渚チャンのファンだったんだ。ずっとずっとずっとずっと、渚チャンだけを見てきたんだ。なのに、いきなり出てきたオマエにボクの渚チャンが惑わされたんだ‼︎」
「……っ!」
男の執着するようなねっとりした視線が後ろにいる渚に向けられ、渚の体が震えるのが背中越しに伝わる。
「あんなにカワイイ笑顔をボクに向けてたじゃないか。渚チャンはボクのモノだろう? なのに何でソイツと一緒にいる? 何でソイツと手を繋ぐ? 何でソイツに向けて楽しそうに笑いかけるんだ‼︎」
「自分勝手だな。自分の気持ちばかり押し付けて、渚のことは何も見ていない」
「うるさい! オマエさえ……オマエさえ出てこなかったら‼︎」
ゆらりと男の体が傾き、喚いて襲いかかってきた。
左腕を掴んできた男の手を、勢いを受け流し腕に力を入れて捻り上げる。
「……っ、いてぇ…!」
「お前は渚を付け回し、無理矢理路地に連れ込み、俺に手を出してきた。これだけやらかしたんだ。警察に引き渡せば、何らかの形で捕まるだろうな。あとは……渚、男の財布から免許証か何か取って写真を撮ってくれ」
「う、うん……」
逃げようと俺の腕を離した男の手を掴み、再度違う方法で捻り上げる。苦痛で顔が歪む男の胸倉を掴み、目の前に引き寄せた。
その間に、渚は財布から運転免許証を見つけて写真を撮った。
「これでお前の素性は把握した。今逃げようと、お前はすぐに捕まる。わかったら、もう二度と渚に手を出すな」
「ひ、ひぃい‼︎」
男の顔は一気に青ざめ、転がるようにその場から逃げて行った。
男の姿が見えなくなり、肩の力が抜ける。
念の為にと護身術を動画で見て練習しておいてよかった。見様見真似だったが、実践で役に立つとはな。
一息ついて安心すると、今度は別の感情が込み上げてくる。
ゆっくり後ろを振り返ると、目線が合った渚の瞳が揺れる。
「あの、優……その…」
「何で連絡しなかった‼︎」
自分でも驚くほど大きな声が出て、渚の体がビクリと震える。
このままだと渚を恐がらせる。頭ではそうわかっていても、胸の奥からせり上がってくるこの熱情を抑えることはできない。
「ストーカーの事があるから、帰りが遅くなる時は連絡しろとあれほど言っただろ! 俺が来るのが遅かったら、もっと酷い目に遭っていたかもしれないんだぞ!」
「でも、SNSで優達が楽しそうに遊んでる写真がアップされてたから、邪魔しちゃいけないと思って…」
「そのせいでどれだけ心配したと思っている!」
涙目で縮こまる渚を、耐え切れず手を伸ばして抱き寄せる。
「渚が襲われているのを見つけた時、心臓が止まるかと思った。……無事で、良かった」
「優……」
「渚はいつも肝心な時に限って頼ってこない。……頼むから、もっと俺を頼ってくれ」 「うん、ごめん。ごめんね、優……」
そっと背中に腕が回されたのを感じ、俺は更に抱き締める力を強めた。
アパートに帰ると、事情を察していた山城が仁王立ちで待ち構えていた。
恐い顔で「二人で話させて」と言った山城は、渚を引きずって部屋の中へ入っていった。
内容はわからないが、壁から聞こえてきた声で1時間以上はみっちり説教したらしい。
渚も大変だとは思うが、今回ばかりは味方になれない。これで少しは反省したらいい。




