1.
その朝、水瀬紗良は目覚ましが鳴る前に目を開けた。雨の音がしていた。窓ガラスを叩くほど強くはない。けれど、細い雨が途切れずに降り続く日は、右足の奥が重くなる。
痛みというほど鋭くはない。けれど、骨のまわりに水を含んだ布を巻かれているような、鈍い重さがある。紗良は布団の中で右足をほんの少し動かし、膝の裏からふくらはぎにかけて突き抜けて走るこわばりを確かめた。
今日は時間をかけたほうがいい。そう判断して、紗良はゆっくり上体を起こした。枕元の目覚まし時計は六時二十分を示している。いつもより十分早い。十分あれば、洗面所まで急がずに歩ける。階段を下りる前に足首を温めることもできる。
ベッドの脇に置いたサポーターを手に取る。肌色の布は何度も洗われて少し柔らかくなっていた。紗良は右足の膝下にそれを巻き、指先で留め具の位置を確かめる。強すぎると血流を圧迫しすぎて一日中痺れる。弱すぎると階段で不安定になって支えが効かなくなる。その加減は、誰に教わったわけでもなく、何年もかけて身体で覚えた。
制服に着替える前、紗良は鏡の前で一度だけ足を止めた。右足の皮膚は、左足とは違う色をしている。移植した皮膚の境目がまだらに残り、古い傷跡は光の角度によって白く浮く。見慣れている。見慣れているはずなのに、雨の日の朝はそこだけが他人の身体のように見えることがあった。
黒いタイツを両手で広げ、慎重に足を通す。布が傷跡に触れる瞬間、紗良は無意識に息を止めた。痛いわけではない。ただ、そこに触れられるという事実が、身体の奥にしまってある記憶を少しだけ揺らす。
タイツを履き終えると、右足は左足とほとんど同じに見えた。少なくとも、教室で誰かが一目見て気づくほどではない。紗良はそのことに安堵する自分と、安堵しなければならない自分のどちらにも疲れていた。
朝食の席で、祖母はいつものように味噌汁をよそってくれた。紗良は事故のあと、母方の祖母と二人で暮らしている。祖母は右足の調子を毎朝聞くことをやめていた。それが優しさなのだと、紗良は知っている。心配していないのではない。聞かれなくても答えなくていいようにしてくれているのだ。
「雨、弱くなるといいね」
祖母はそれだけ言った。
「うん」
紗良もそれだけ答えた。二人の間には、言わないことで保たれているものがたくさんあった。痛むのか。病院にはいつ行くのか。次の手術はどうするのか。十年前のことを思い出したのか。そういう言葉を毎朝確認しなくても、一日は始められる。始めなければならない。
学校へ向かう道では、傘を差すほどではない霧のような雨が残っていた。紗良は歩幅を少し小さくして、駅までの道を進んだ。急げば電車には一本早く乗れる。けれど、急ぐと夕方まで足がもたない。何を優先すれば一日を最後まで保てるかを考えることは、紗良にとって歯磨きや鞄の中身を確認することと同じくらい当たり前になっていた。
教室に着くと、いつものざわめきがあった。新学期の二日目。まだ席替えの名残があり、誰がどの委員になるか、どの先生が厳しいか、そういう話題があちこちで細かく弾んでいる。紗良は窓際の席に座り、鞄から教科書を出した。




