第8話 日常
引っ越しを終えたサンドラは、毎日のように彫金師ギルドに顔を出した。
知り合いがほとんどいない場所だから、指名の依頼というのはまだ来ない。だから、無指名の依頼をよく受けていた。
「こちらの依頼の品、修理が完了しました」
「ああ、ありがとうございます。相変わらず仕事が速いですね。はい、報酬の銀貨になります」
「ありがとうございます」
礼を言い、会釈をしてサンドラはギルドを出る。
対応していた職員が、その背中を見送ってぽつりと呟いた。
「すげーなあ。あれでもうちょっと愛想がよかったら、お客さんもつくと思うんだけどなあ」
「こーら、下世話な想像しないの」
後ろを通りすがった同僚がその頭を小突く。
「えー、いいじゃん、本人に聞こえていないんだし」
「あの人、呪術師でもあるんだよ? 幽霊と交信して噂話を拾っているかもしれないじゃん。で、気に入らない噂を流している人を呪ったり……!」
「やめろよ! 寝られなくなるじゃん!」
青い顔で震えあがった職員に、同僚がケラケラと笑った。
「あはは。ま、それくらい気を付けて接しておいた方がいいかもってことよ。呪術師って黒い噂が絶えないからさ」
「え……ああ、そう」
どんな噂か好奇心がうずいたが、本当に寝られなくなりそうなので聞かないことにした。
さて、そんなやり取りが繰り広げられているとは露知らないサンドラは、今日の食事の買い出しに来ていた。
ベーグルは腹持ちが良いので助かるが、毎日だと飽きる。なにより、外食はお金がかかるのだ。せっかくキッチンがあるし、仕事も忙しくないので自炊していた。
「こんにちは。おすすめの野菜はあるかしら」
「いらっしゃい、今日はズッキーニがいいぞ。それにトマトが豊作だ」
サンドラがマーケットに顔を出すと、野菜を売っていた店主が答えた。彼が示した野菜たちは、たしかに他の野菜に比べて専有面積が広い。だけど、それ以外の野菜が見劣りしているようには見えなかった。
「美味しそうですね。ではズッキーニとトマトを一つ、それからパプリカも二個ください」
「あいよ。どんなおかずにするんだい?」
「トマトの煮込みですかね」
お肉を入れると途端に豪華になるが、収入が安定していないので我慢する。口コミで常連客がついてくれるまでは、野菜と黒パンでしのぐのだ。
独り立ちして間もない頃を思い出す。あの頃は野菜すら買えなくて、一日に薄いパン一切れで乗り切っていた。
「へー。ついでに俺のズッキーニも味見してくか?」
「切れ味のいい包丁を最近購入したんですけど、試し切りにちょうど良さそうですね」
店主のセクハラにサンドラが間髪入れずに答える。店主が固まり、別の人を相手にしていた奥方らしき女性が豪快に笑った。
「あっはっは! いいねえ、アタシもその包丁を試してみたいよ!」
「ごめんなさい、奮発して買ったものなので、他の方にはちょっと……」
「あらそうかい? 機会があったらぜひ見せておくれ! はいこれ、サービス」
「ありがとうございます」
女性と金銭の授受をして、紙袋に野菜とおまけを入れてもらう。
「馬鹿がごめんね! また来てくれると嬉しいよ!」
「はい」
片腕で旦那の首を絞めている女性に会釈をし、サンドラは自宅に帰る。
「ただいま」
と言って返事が返ってくるわけではない。だが嫌ないびきや不機嫌な声が聞こえてくるわけでもない。
それを確認すると、サンドラは緊張していた体をふぅと緩めることができた。
「さて、暗くなる前に作らないと」
ただでさえ奥まった場所にあるため、すでに室内は暗い。サンドラは最低限の蝋燭を付けると、買ってきた食材を手早く切って鍋に放り込んだ。
トマトを潰して、水を入れ、煮立ったら塩とハーブを適量散らす。
昨日買ってきた黒パンは、冷たくカチカチになっている。それも放り込んで柔らかくしたら完成だ。
「いただきます」
小さなダイニングテーブルにランチョンマットを敷いて、野菜とパンのスープを食べる。味は薄めだが、トマトの酸味と甘みがいいアクセントになっている。ハーブの香りも良い。
遠くでは町の喧騒が聞こえる。それが心地よかった。
(ただオンシエン王国に近いからって理由でここにしたけれど、正解だったわ)
世の中、いい人ばかりではない。三十年近く生きていればそれくらいわかる。その対処法もサンドラは身に付けている。
あれくらいのセクハラ、サンドラにとって砂粒が舞う風程度だった。こちらがちょっと反撃すれば相手が怯むのがわかる分、ただの風よりもやりやすい。
それに、結婚適齢期をすでに過ぎている。適齢期前のセクハラの方が、対処の方法がわからなかった分不快だった。
(それに、仕事はあるし、お礼ももらえるし。常連さんができるのも時間の問題ね)
口伝てだが、サンドラの腕を評価してくれる人も中にはいる。そういう人たちが、いずれはギルドを通じてサンドラを指名し、やがて直接依頼をしに来てくれるようになる。
(来づらい場所に店を構えちゃったのは、申し訳ないと思うけど。呪術師ギルドに申請すれば、道に呪術を張れるかしら)
掛け合ってみる価値はある。
明日は先にそちらへ顔を出して、相談してみよう。
「ごちそうさまでした」
そう思いながら、サンドラはスープを完食した。




