第25話 ろくでなしの結婚指輪
雪がちらつくある日、サンドラはミーシャのパン屋を訪ねた。
「こんにちは」
「あら、いらっしゃい!」
いつものように挨拶して、パンを眺める。
「……ん?」
おかしなところにすぐ気付いた。
「ミーシャさん、値下げしました?」
「そう、今日からね」
今朝からずっと言ってるよ、とミーシャはけらけら笑う。
「ヤーウェン商会がこの前、店を畳んだの。すぐに別の商会が入ってきたんだけど、そこがまあ新人っぽい感じでね。今までの半分の商会費でいい、なんて言うものだからびっくりしちゃって」
「まあ」
これにはサンドラも驚いた。
商会とは、ギルドとは似て非なるもの。特定の技能を持つ者をまとめ上げるのがギルドなら、それ以外の様々な商人たちを管理するのが商会だ。土地の斡旋からトラブルの仲介まで行う、いわば商人限定のなんでも屋。その保険として、商人たちは商会に定期的に金銭を支払っている。
「その商会とはうまくやれそうですか?」
「まあね。どっちかっていうと、今までこっちが見聞きしたノウハウをあっちに教えている感じ。真面目だけど、いい感じの人よ」
ミーシャが頷いた。
ヤーウェン商会がなにをやらかして店を畳んだのかは知らないが、この通りの店にとって良い方向に進むならいい。
ちなみに、サンドラはヤーウェン商会の娘からの嫌がらせについて、綺麗さっぱり忘れている。
サンドラが買ったパンを渡しながら、ミーシャは耳打ちした。
「ちなみに、例のお守りの受付は?」
「明日から再開します。先着順です」
「よしっ、朝イチでギルドに並ぶわ!」
「そんなに張り切らなくても……」
ガッツポーズをしたミーシャに、サンドラの顔が引きつる。会釈をして店を出て、工房に戻った。
商売繁盛のプレートは、サンドラの看板商品として王都オーカイムに定着した。そこまで気合を入れたわけではなかったが、口コミの力は恐ろしい。この年末年始で王都はもちろん、近隣の大きな街からも依頼が来るようになった。
さすがに王都を離れて直接納品には行けない。だから取り扱い上の注意を綴った手紙を添えて送っている。今のところ、大きなトラブルは聞かない。
それ以外で悩みの種と言えば、タガネの機嫌が定期的に悪くなることか。ここのところ毎週ワインが欠かせない。馴染みの酒店の店主からは深酒を心配されている。
(タガネって酔うのかしら)
ふと思うが、考えても詮無いことなので深くは潜らない。どうやって飲んでいるのかも同様だ。毎回、飲み切ると満足そうにあちこち転がっていくので好きにさせている。
「……あ、郵便」
工房に戻ってパンを置いてから気付いた。
二ヶ月に一回、トゥーナの手紙が来る。そろそろ時期のはずだ。店までの道は呪術で隠してあるから、サンドラが直接取りに行かなければならない。
幸いにもまだ日は高い。サンドラは郵便局へ向かった。
「こんにちは。手紙や荷物は届いていませんか?」
「ええ、ありますよ」
局員が奥から持ってきたのは、手紙と小箱だった。一緒に送られてきたのだろう。紐でまとめられていた。
「たしかに受け取りました」
礼を言ってサンドラは工房に戻る。誰かに依頼や注文したことはない。返品の線も考えたが、こんなに小さな商品を最近作った覚えはない。歩くたびに、小箱の中から小さな金属音が聞こえた。
手紙の宛名には、見慣れた筆跡で自分の名前が書かれている。
(トゥーナさんから? ……なにか頼んだっけ?)
さすがにまだ物忘れが激しい年頃ではないと思いたい。
首をかしげながら工房まで戻り、まず小箱を空ける。
「…………あー」
納得した。
小箱の中には、黒いなにかが付着した二つの指輪が収められていた。
内側の刻印にも見覚えがある。
「わざわざこっちに送ってくるなんて、ご苦労様」
ひとりごちて、サンドラは手紙の封を切った。
◆ ◆ ◆
「チッ。なんだよ、これしか稼いでこれねえのかよ」
「申し訳ございません、旦那様」
オリンドの舌打ちに、ウルリカは感情のない声で答えた。
トゥーナの援助があるとはいえ、ほぼ一日一食の生活が続けば体にも影響が出る。肌はくすみ、髪はよれ、目からも生気が失われる。結婚して数ヶ月で、彼女は数十年も年を経たような姿になった。
だが、オリンドはそれに気付かないで怒鳴りつける。
「ちまちまやってねえで、一気にどかんと稼いで来いよ。使えねえな」
テーブルを乱暴に叩く音にも反応しない。人形のように棒立ちのウルリカに、オリンドはまた舌打ちした。
「おい、聞いてんのか!?」
「はい、旦那様」
一人掛けのソファから立ち上がって髪を掴んでやると、ウルリカが無機質に答える。焦点の合わないその瞳が気に食わなかった。
「だったら働け! 愚図が!!」
オリンドが投げると、ウルリカは棒きれのように壁に叩きつけられた。
「俺が帰ってくるまでに、財布の中身を十倍にしろ。出来なかったらタダじゃおかないからな」
財布の中の銀貨をすべて取り出し、残りは財布ごとウルリカに投げつける。
返事はなかった。
だが、異変はあった。
「……あ?」
左手が変だ。
薬指が、ぎゅうっと締め付けられるような。
「なんだ?」
そこには指輪が嵌められている。外そうと思っても外れず、自棄になって暴れて、諦めた。
それが、きつい。今までそんなことなかったのに。
「おい、外せ」
ウルリカに命令する。だが彼女は動かない。
指が。指先に血が溜まる。
「おい! 聞いてんのか!?」
ウルリカの頭を踏みつけてやるが、彼女は動かない。
指がきつい。左手の薬指が圧迫されて、痺れ始める。
「おい! なんとかしろ!」
ひたすら蹴った。頭を掴んで床に叩きつけた。
しかしウルリカが反応することはなかった。
指が、痛い。皮膚が膨張して突っ張っている。これ以上は指が持たない。
「おい! おい、起きろ! 愚図!」
オリンドは半狂乱だった。
女が反応しない。指輪がどんどん指に食い込む。
指輪がぎりぎりと音を立てている気がした。骨が軋む。
なんでだ。なんでこうなった。
オリンドはひたすら指輪を外そうと掻きむしった。それができないならとウルリカを殴って起こそうとした。
どちらも意味がなかった。
バツン
爆ぜるような音が二つ、同時に起こる。
濁った悲鳴が、夕暮れ時の住宅街から響き渡った。
◆ ◆ ◆
『――で、あたしが医者や憲兵を連れて駆けつけた時には、家の中が血の海だったの。その場ですぐに治療が施されたんだけど、どっちも左手薬指が根元から千切れちゃったから、焼いて傷を塞いだの。オリンドはその時に暴れて、憲兵を殴ったから逮捕されたわ。ウルリカは意識があったんだけど、まともな反応が返ってこなくて……。療養院に送られたわ。改めて書くけど、とんでもないものを作ったわね。ちょっと、いやだいぶ引くわ。意外と骨の髄まで恨んでいたのね』
「そうかしら……?」
トゥーナの手紙を読んで、サンドラは首をかしげた。
私情で呪いの品を作ったのは、あれが初めてだ。
「ビジネスの延長でやっていたつもりだったけど……。私ってそんなに執念深かったかしら」
まあたしかに、一人で朝から晩まで酒浸りで、妻の稼ぎのほとんどを酒代に溶かし、時には借金をこさえてその返済をなすりつけてくるような奴だから、いい感情は持っていない。
巻き込んだ女に関してはちょっと同情するが、覚悟がちっともなかったのだろうとも思う。
『指輪はあんたが責任を持って処分しといてね』
手紙の最後はそう締めくくられていた。
サンドラはため息をつく。
「しかたない。浄化しますか」
自分が掛けた二人分の呪いを自分で解くなんて、とんだ喜劇だ。
せっかくパン屋が安くなったんだし、明日はちょっと多めにベーグルを買おうか。
サンドラはそう思いながら、小箱を閉じた。




