第17話 呪詛返し
念を入れて、身代わりの木は三本用意した。それを金庫にしまっておいているから、家を突き止められても持ち出される心配はない。ウルシヅタで巻かれた木なんてかぶれるだけだから、誰も触らないと思うが。
サンドラはバッジの納品日まで、いつもどおりに振舞った。
朝になればギルドで依頼を受け、材料を買って家に戻る。近くの通りの金属卸の店は相手の息がかかっているらしく、急に取引を断られた。仕方ないので別の通りの同じ店を頼る。こちらは快く引き受けてくれた。
夕方まで作業をして、その日のうちに完成すればギルドに納品する。帰りにパンなどを買って帰るが、近くの通りの店は使えないので、また別の通りの店に寄る。ミーシャ夫妻が経営する店のパンが買えないのが、地味に痛手だった。
パパに言いつけてやる、と息巻いていた女性は、不思議なことにあれ以来見ていない。取り巻きによる嫌がらせも最初の一度きりだった。
石や食べ物を投げつけられるといった、古典的な目には遭っていない。
(父親は自分の家が傷付くのを恐れたのね)
賢い人だ、と素直に思う。
娘に泣き落とされて通り一帯の店に圧力をかけられる人だ。店主たちは逆らえば自分たちの商売が悪くなるから、従うしかない。同時に、その権力が暴走した時に返ってくる反動は強くなる。
サンドラ一人を指名手配して、懇意にしている店すべてで彼女を出禁にすることもできよう。だがそんなことをすれば人々は「なぜ」と疑問に持つ。
人はうわさが好きだ。そしてその内容が真実かどうかに関係なく、面白ければ面白いほど広まりやすい。
(私の呪術師的な面を面白おかしく言えば相手に有利になるでしょうが、そうすれば呪術師ギルドを敵に回すことになる)
呪術師ギルドは中立だ。依頼があるから呪うだけ。依頼主の感情に興味ない。
だから、感情で敵対を表明された時も、淡々と自分たちは手を引くだけなのだ。
呪術師が怖いなら、利用しなくて結構。こちらは消えるだけだから。
(呪術師ギルドって、貴族のお得意様も多いから。ギルドが消えたら犯人探しが大変でしょうね)
そうして貴族の情報網で事の次第を知ったなら、商人とは比べ物にならない貴族の権力を以て潰しにかかるだろう。
(――ってところまで想像できていると思うから、娘の機嫌を良くするためにこの通りにしか圧力をかけていないのよね)
サンドラはそう結論付けた。
(客商売で一人のお客に売り上げを左右される人は、表通りにほとんどいない)
見てきてわかったことだ。彼らはこの町で強固な地盤を築いている。サンドラが買い物に来なくたって、売上の差は微々たるものだ。
(我慢比べで先に音を上げるのは、あちらでしょうね)
癇癪持ちはどこにでもいる。
そういう人は、えてして気が短いのだ。
「なんでよ、パパ!」
実家の書斎に乗り込んだセルマはテーブルを力いっぱい叩いた。
「なんであの年増を潰してくれないの!?」
娘の金切り声に、書斎の主である男――セルマの父は呆れたような視線を向ける。
「セルマ。彼女に関わるのはやめなさい」
「なんでよ!?」
「彼女は呪術師だ。呪いのエキスパートだぞ。逆恨みでどんなことをしてくるか」
「そんなの関係ないでしょ!?」
「いいや、ある。呪術師ギルドにこの話が広がれば、ギルドが撤退するかもしれない。そうなったら、今度はこちらが貴族に目をつけられる」
「なんで? なんでそこで貴族が出るのよ?」
「貴族と呪術師の関係を甘く見るな。あそこは呪い呪われが当たり前の世界だ。憎い相手を蹴落とす術を奪われた貴族が、今度はこちらを潰しに来るぞ」
「パパの力でどうにかできるんじゃないの?」
「できない。力関係で言えば圧倒的にあちらの方が強い」
セルマの父は、娘の肩を掴んでこちらを見させた。
「セルマ。どうやら父さんたちは、お前を甘やかしすぎたようだ。彫金師としての仕事もさぼっているようだな。今すぐサンドラ女史に関わるのをやめて、真面目に働きなさい」
「嫌よ! 私はアクセサリーを作って売りたいの! 掃除や水汲みをするためにあんなところに入ったんじゃない!」
「何事も雑用からだ。父さんだって最初はお茶出しや小間使いから初めて――」
「ああ、もう! そういうのを聞きたいんじゃないの!」
セルマは父親の手を振りほどいた。彼が自分のことを「父さん」と言って語り出す話は苦痛でしかなかった。
「いいよっ! パパなんか知らない!」
「おい、セルマ! 話はまだ――」
乱暴にドアを閉め、セルマは走り出す。
自室のベッドの裏に作らせた隠し金庫の中から、ずっしりした革袋を取り出す。
安月給だった――それどころか無給の時すらあった――工房から得た、セルマが貰うはずだった「正当な報酬」がたっぷり入った袋だ。
「これさえあれば、あんなババア追い出してやれる……!」
起き上がった彼女を映す鏡台には、醜く歪んだ女の笑顔があった。
――バキン!!
「あら」
夕食時、不意に作業台の奥から乾いた音が響いた。
サンドラが食事の手を止めてそちらに向かう。
金庫を開けると、中に入っていた身代わりの木の一本に異変があった。
「来たのね」
サンドラは軍手をして、その気を取り出す。
ウルシヅタを巻きつけられた木は、中心からヒビが広がるように大きく割れていた。きっちり結んだウルシヅタも切られ、後ろの皮でかろうじて繋がっている程度である。
「よっぽど大きな呪いをかけたのでしょうね」
そんなに恨まれることをしたかしら、とサンドラは首をかしげる。
ともかく、これで呪いの「攻撃性」は無効化された。
次はサンドラの番である。
作業台に黒い布を広げ、そこに割れた木を置く。
その周りには、魔法文字を刻んだ十二個の宝石を並べる。
木の右上にはグラスに並々と注いだ赤ワイン。
左上には赤いタガネ。
サンドラは一呼吸おいて詠唱した。
「恨み、悲しみ、怒り、妬み。私を傷付けた代償は大きい。晴れぬ嘆きを、お前の最愛へ届けよう」
タガネがその場でくるくると回り出し、左側に切っ先を向けてビタリと止まる。
ワイングラスが震え、そこから見る見るうちにワインが減っていく。
割れた木の奥から、甲高い怨嗟の声が溢れ出る。
――ニクイニクイニクイニクイニクイ! オ前ナンカ出テイケバイイ! 私ガ一番ニナルンダァーーーーッ!!
怨嗟の声が血のような煙となり、突風をまとって飛び出した。勢いに負けた木やグラスが、黒い布ごと引っ繰り返る。
「…………」
突風が止んだ後、サンドラは唖然と煙が消えた方向を見ていた。
「……生きていられるかしら」
本人に返るよりもダメージが大きいと思って「最愛」のものへ呪詛返しをしたが、ちょっと後悔していた。
布と一緒に落ちたタガネが、足元で何度もころころと転がる。
その仕草を「気にするな」のメッセージと受け取って、サンドラは頷いた。
「そうね。呪った方が悪いんですもの」
サンドラは粛々と後片付けをして、少し冷めてしまった夕食の続きに戻った。




