06 銀河のほとり
「分からない」とそう言った。
確かにユキには咲夜の言葉は分からないだろう。
言いたくないが片方は東大、片方は高卒。そもそも頭のレベルが違いすぎる。
ユキは隣で自分を抱き締めるようにして眠る咲夜の顔をじっと見た。
「…完全か」
ユキには全く理解できない雲を掴むような話だ。
そんなよく分からないもののために咲夜は犯罪を犯した(これは犯罪だ)。そうして、自分を酔わせて家に連れ込み、監禁し、殴ったり慰めたりしてコントロールしているということなのか…。
そもそも、咲夜がそのよく分からない「完全」とやらを求める理由も分からない。
そんなもの、無くたって人は十分に生きていけるじゃないか……。食べて寝れば次の日になる。
「頭いいって大変だなあ……」
結局、ユキの感想はそこに落ち着いた。
そして自分も眠った。咲夜は途中から起きていたがユキが「頭いいって大変だなあ」と呟いて寝息を立て始めたのを確認して、そろそろと起きる。
腕の中でユキが寝苦しそうに身をよじった。腕の力を緩めてやる。
彼女の温もりを感じて、咲夜も目を閉じた。
ユキの意識は身体を離れ、地球を見下ろす。美しい。
ただ、美しい。青くぼんやりと輝く大気に星と宇宙は境界をなくしながらも存在していた。
不意に…ユキは空を見上げる。遥か彼方の先の先。そこはあった。
意識は浮かび上がり、昇っていく。
彼女の背には純白の羽根があった。
星、星、星、渦を巻くガスと無数の星々。足元に流れる河は銀河だった。川沿いをユキはゆっくりと飛ぶ。銀河のほとりに降り立つと、ユキは咲夜の独白を思い出していた。
「そこには完全があった。俺の世界も完全になった。手に入れなければいけないんだ」
ユキは微笑んだ。言いたいこと、全部分かるから。
彼は半ば本能でユキを選んだのだ。
その呪いのような祈りが狂気を伴い形となって天使の受肉体を捕らえた。ユキは背中の羽根を広げると宙を舞う。
そして歌った。神の歌を。
この歌も、この場所も、自分の本当の姿も、目覚めたら全て忘れる。何もかもぜんぶ、神を忘れて人になる。
ユキが仲間と共に旋回し、伸びやかに、魂から神を讃える歌を歌った。
この銀河のはるか先に神の玉座がある。ユキはそこに行ったことのある天使だ。
そこは宇宙を内に孕んだ海があり、抜けるような青空が広がり、海にそびえ立つ山があり、その頂上で瞑想する神が音を出している。その音が海に広がり、新たな宇宙を産み出し続けていた。永遠に。
この宇宙は、神の産んだ音の形。声の姿。それをユキは知っていた。
地球を忘れ、ただひたすらに歌う。肉体であった記憶も、感覚も何もかもが無くなり、歌と共に銀河に溶けた。
神よ、神よ、愛する神よ、我が神よ
神と私は共にいる
神と私は不可分なり
私が宇宙に溶け込んで
神様あなたになったなら
苦しくないよ
悲しくないよ
寂しくないよ
辛くもないよ
一元…一元…大本の…
神様、共にいつもいる
見れば天使はユキだけじゃない。はるか頭上に無数の天使が旋回し、歌っている。美しく、神聖で、荘厳な祈りに満ちた場所だった。
天使の群れが宇宙の果て、銀河のほとりのその上で神を讃えて合唱する。
天使のビブラートが宙を満たし、星々は歓喜に震えた。
そうして何度も何度も歌うと、次に調子が少し変わる。旋律が変わる。まるで幼い子供に語り掛けるような、子守唄のような響きだ。
泣かないで
泣かないで
小さな神様、泣かないで…
私と貴方はおんなじで
神様あなたとおんなじで
辛くないよ、悲しくないよ、寂しくないよ
小さな神様
泣かないで
この2つの歌を天使達が交互に歌う。
歌って、歌って、歌い続けて、ユキはパッと目が覚めた。
何一つ覚えていない。銀河も、天使の群れも、神も、何一つ。
ただ、微かに歌だけがユキの中に残っていた。
そして、咲夜の求める完全が何なのか、ユキには全く分からなかった。




