20 一つ目の枯れ枝
舞依はここでユキに背を向ける。周防と共にまっすぐ廊下を進んだ。
突き当たりの部屋の入り口を見て、周防の顔が青く…そして、白くなる。
扉まであと数歩というところで彼は止まった。既に紙より白い。舞依も止まる。周防を見上げた。
「……なあ、舞依。あのさ、行く必要……ある?」
舞依は何も言わない。くるりと踵を返すと扉のノブに手をかけた。それを周防が力ずくで引き剥がすと舞依をドンっ!と廊下に突き飛ばす。
「行かなくてもいいって……言ってんだろ!殺すぞ!」
彼は舞依に向かって震える手で拳銃を突き出していた。舞依はそれを冷徹な眼差しで一瞥すると立ち上がる。
震え上がり、上擦った声で周防が「来るな!来るんじゃねえよっ!」と叫ぶ。
しかし舞依はそんな男の悲痛な叫びなどいっこだにせずノブに手をかけた。周防はその場にずるずるとへたり込み、泣きながら首を振る。
「……やめてくれ……お願いだ……見ないでくれ……見ないで……」
舞依は静かに部屋に入っていった。
部屋の中は案外とさっぱりしていて小綺麗だった。少年の部屋に相応しい…のかどうかはわからないが世界地図が貼ってある。地球儀もあった。本棚とその奥を見ればベッドルーム。
ふと、舞依の足がそちらへ向かおうとして、ぐん、と止まる。服の裾を震える手で周防が白くなるまで力一杯握りしめていた。
何も言わず、顔も上げず、へたり込んだまま…。
舞依は静かにその場にしゃがみ込む。周防を優しく抱えると耳元に囁いた。
「さあ……迎えにいこう」
「……え?」
周防が初めて顔を上げる。
それを見て、舞依が周防をぐん、と立たせた。信じられない力だった。今までずっと見てきたから知っている。でも、150cmが190cmを立たせている。
一瞬、呆気に取られた隙に舞依が周防と共に部家に入った。
湿った息。蠢くシーツのかたまり。中から男の呻く声。
「ああ…ああ…最高……最高だ……もっとだ…もっと……締めろっ……ううっ…」
びっくりするくらい兄弟にそっくりの……凌辱。
違う、兄弟が彼に……そっくりなのか。
男が感極まった様子で一気に上り詰める。肉の音が部屋に響いて……男は果てた。
ごそごそ、とシーツの中から洒脱な男が這い出てくる。先ほど使用人を凌辱していた男。妻の横で葉巻を燻らせていた男。この屋敷の主。
ベッドの中から力なく腕が1本突き出している。細く、干からびた。血管はいびつに浮き出ているが張りがない。
まるで老人のようなそれを男は痛々しげに撫で下ろす。手のひらを重ねると、1本1本を絡め合わせた。指先を唇に持っていくと囁く。
「もっと食べなくてはだめだぞ。私は肉付きがいいほうが好きなんだよ」
するりと手を離す。身支度を整えて軽妙な足取りで出ていった。もちろん、天使と隣に立つ周防にはきづかない。真横をスッキリとした満足そうな、幸福そうな顔ですれ違っていく。
すぐ脇を通り抜けたとき、周防が弾けるように一歩後ずさった。
ベッドの中から泣き声が聞こえる。途端、隣に立つ周防が舌打ちした。
「泣いたってしょうがねえだろ、誰も来ねえんだ」
しかし、声も姿も見えず聞こえない泣き声の主はそのまま泣いた。
「……かみ、さま……おれ……を……たすけて…」
「……っ!だから!誰も来ねえ!!」
周防の怒鳴り声を尻目に舞依が1歩動いた。
ベッドの端から突き出た枯れ枝のような手を取ると、宝物のように撫でる。そうして指先に口づけた。
あの男と同じことをしているのに…何故こんなに違うのだろう。
周防は呆然と立ち尽くしてそこにいた。
舞依は手を祈るように自分の額に当てる。そうして小さな神に対する歌をまた、歌った。
天に、願いは届いた。
厳かに舞依が口を開く。
「あなたの願い、天使舞依が引き受けました」
その時、舞依の背に純白の羽根が戻る。周防が一言「……きれいだ」と呟いた。
しかし、この奇跡をシーツの中の子どもは知らない。枯れ枝のような腕を必死に伸ばし、天に、神に祈っても……神は沈黙で返した。
彼はもう、誰にも祈らない。誰にも……。
枯れ枝の名前は、橘周防といった。




