19 橘邸
ユキと舞依は歌ってる。止まらない歌。止まらない足。吸い寄せられてるのだ。
「…………小さな神」
咲夜が忌々しく口にした。ユキをこんな風にした奴…この地獄の星に呼んだ奴…吐き気がする。
どこにいるのか。どこから聞こえてくるのか。
分からない。
「…………クソッ」
周防がやはり憎々しげに吐き捨てる。周防も咲夜と同じ、舞依をこんな風にした奴を赦せないし赦すつもりもない。
だが、2人の天使はそんな男たちの苛立ちなど意にも介さず進んでいく。
「…………おい、いい加減教えてくれよ!どこ行くんだよ?」
「…………止まれよ、舞依っ!止まれって………頼むから」
咲夜と周防のがなり声…それから哀愁すら漂うお願いを経て、ユキと舞依がやっと立ち止まった。
朔真と周防はやっと目的地についたのか、とノロノロと顔を上げて……2人揃って恐怖に引き吊らせた。でかい家…でかい庭…豪邸がそこにはあった。
ピタリと足が止まる。周防が喘ぐように息を吸いながら「な…んで…」と囁く。声を出そうとしても出なかった。朔真はか細い、消え入りそうな声で「…ここは嫌だ」と言った。
動けない朔真に頓着する様子もなくユキは歌を歌う。そして朔真を引き摺るようにして中に入っていった。
「嫌だ、嫌だ、嫌だ!ここは…ここだけは」
叫ぶ咲夜を引き摺るようにユキが進む。周防の目が用心深く右、左と動く。隣で歌いながら進む舞依の横にピタリとついて懐から拳銃を出した。
こんな超常現象の真っ只中でこんな物、オモチャにもならないだろうことはよくわかっている。
しかし、この屋敷で燃え尽きた羽根の残骸を晒して歌う舞依の横を歩くのに、オモチャだろうと何だろうと何かにすがらなければ一歩たりとも進むことは出来ない。
「ちっ……みっともなく騒ぐんじゃねえ」
いまだに絶叫しながらユキに手を引かれる弟に眉をひそめる。しかしその声にいつもの張りはなく、額にはじっとりとした汗が滲んでいた。
普段は弱い奴に暴力と性で屈服を強いている兄弟だが、兄の強がりと弟の脆さが浮き彫りになっていた。
通りすぎた部屋の扉が開いていた。中では男達の笑い声がする。咲夜の身体がビクリとすくんだ。ユキが咲夜の手を強く掴み直す。一方周防の指が舞依の指を深く絡める。細く柔らかな指だった。
女の悲鳴が、激しい暴力が聞こえた。「お願いします、旦那様!私には夫も子どももいるんです!」女…使用人が泣き叫ぶ。
男達がますます大きな声で嗤った。ユキと舞依がその部屋を通り過ぎる。次は中から女の悲鳴。
「……っ…ここ……ここで俺は……毎日……」
次の部屋では女が拷問されていた。
「止めて下さい!止めて下さい…奥様!止めて下さい!」
前の部屋で男に囲まれていた20台の使用人。深く残る傷がその頬に刻まれていた。
「黙れ、売女。お前があの人を誘惑したんだろう?そうでなければ……お前のようなゴミに手を出す筈が……ないだろう?」
言って女が数を数えながら鞭を振るった。
「ほうら…13…14……18……」
一振ごとに女の肌が鞭の形で切り裂かれた。顔や耳などは既に元の姿を留めていない。
それを「旦那様」が腕を組ながら見物していた。葉巻を燻らせて、物見高く。
女が背から血を流がしながら息も絶え絶えに気絶する。すかさず控えていた使用人が足元に用意してあったバケツの水を頭からかけた。
呻く女に鞭を奮う女が冷酷に笑った。今のユキも舞依も知るよしもなかったが、それは彼女達の夫の笑いによく似ていた。
「私に殺されるか、自分で始末をつけるか、選ばせてあげる。慈悲に感謝しなさい」
次の部屋では使用人の女が椅子の上に立っていた。首に太いロープが巻かれている。家族の写真があった。
「いつか一緒に遊ぼうねえ」
「や、やめろおおお!」
「舞依っ!見るんじゃねえっ!」
2人、思わず叫んだ咲夜と周防の声は勿論届かない。女は足下の椅子を蹴った。
暫く苦しそうにじたばたしていたが、やがてビクビクと痙攣し、それも無くなった。足下に尿と便が落ちた。女の顔は赤黒く舌が奇妙に突き出ていた。
人の身体は、生きている時はあんなに当たり前に「ある」のに、いざ肉のかたまりになったら、何故こんなにも急に異物になってしまうのだろう。
首が捻れて曲がっている。揺れていた。まるで風に吹かれたリンゴの枝のようだった。
リンゴの木の下で……家族の写真が……笑っていた。
「…………やめろおおお!!」
咲夜が叫んだ。思わず。周防は舞依の上に覆い被さるようにして視界を塞いでいる。唇が真っ青に変色し、震えていた。
咲夜は涙を流してユキに詰めよった。
「見せんな!もう見たくねえ!こんなもん!」
周防は何も言わない。言えない。必死に舞依の目を、耳を塞いでいるようでいて、150cmの小さな少女にしがみついて震えているだけだった。190cmの大きな男が。
「……毎日……毎日見せられた……何回も同じ光景を……笑って……いたんだ」
しかし彼の口からは、ついぞ「俺達みたいに」という言葉は出て来なかった。
窓を見た。庭では小型犬が大型犬に追いかけられて、狂ったように噛み殺されている。
ここの連中はわざと大金を出して愛玩犬を買ってくる。追いかけ回された小型犬が断末魔のように一声「キャーン」と鳴いて、動かなくなった。
咲夜はもう、何も言わなかった。周防も、舞依の手を白くなるまで握りしめていた。
……2人ともただ、泣いていた。




