18 青き地獄
銀河のほとりに男が2人。どちらも真っ青な顔でうつむいていた。
周防と咲夜の兄弟は目の前を流れる光りにも足下に広がる星の河にも視線を向けず2人は目の前の天使から目をそらし続けた。
周防も咲夜も毎夜、この場所に呼ばれ、ユキや舞依と対話を続けている。神の叡知、宇宙の静寂と迸る生命にダイレクトにさらされて、自分が剥き出しになる感覚を味わっている。
「今日は泣かないの?」舞依が周防に尋ねた。
「でも、何だか辛そうだね」ユキが咲夜の顔を覗き込む。
しかし2人は頑なに目を合わせようとしなかった。
咲夜は隣に立つ兄をちら、と見る。こいつもここに来てたのか…と思ったところで、それもそうか、と考えを改める。舞依は天使だ。当然、導きを得るだろう…自分と同じように。
「今日は泣くでもなく、話すでもなく、静かですね。周防さん」
舞依が不思議そうに首を傾げる。羽根の生えた舞依を初めて見た時、魂が鷲掴みにされるような衝撃を周防は受けた。あんまり綺麗で、手を伸ばしたいけど触れなかった。
女に対して初めて抱いた感情……畏怖……憧憬……思慕……恋、だった。
それ以降、彼は天使に自分を「周防さん」と呼ばせている。
周防の精一杯の矜持だった。
「咲夜も、地球で何があったか知らないけど、天国で暗い顔してるなんて、いただけないよ?」
2人の天使は心配そうに兄弟の顔を覗き込むが、2人は唇を引き結び、拳を固く握りしめたままだった。
ユキと舞依がやれやれ、と顔を見合せる。銀河のほとりという超越した空間でやけに人間臭い振る舞いがどうにもミスマッチだった。
その時、ラッパの音が鳴り響いた。
遥か上空でたくさんの天使が飛び交い、ラッパを吹きならしている。
「時が来た」
「さあ行こう」
ユキと舞依が咲夜と周防の手を取った。2人の天使と2人の人間。
ぐん、と翼をはためかせて空に昇る。咲夜と周防の目の前に、飛翔する天使の群れが現れた。
美しく、柔和で、力強い…しかしどこか無機質なその顔はユキや舞依とは違って見えた。
一人の天使が剣をかかげる。やはり美しいが厳しく凛々しい顔だった。
ユキが咲夜に耳打ちする。
「銀河系を統括している天使長…私達の上司だよ」
舞依も周防に耳打ちした。
「これだけ格の高い天使が指揮を取ってくれるのは、地球があの方の管轄で地獄の見張りも兼ねていらっしゃるからなんですよ」
咲夜と周防はこんな厳格で仰々しい儀式の最中に無駄口を叩いて大丈夫なんだろうかと心配する。職場の朝礼で自分達が喋っている最中におしゃべりしている社員なんて、見つけようものならボーナスカットだ。
天使長を先頭に無数の天使が取り囲む中での式典に対して人間2人が引き合いに出す対象が会社の朝礼…あまりの次元の違いに周防も咲夜も自分達の想像に自分達で苦笑する。
人間2人がクスッと笑ったところで、天使長が抜き身の剣先を2人に向ける。星々の光がキラッと両刃の切っ先に反射した。
そして厳かに「誓いの言葉を述べよ」と2人に告げる。その声は星々の光のように若々しく、同時に太古の昔から続く古い古い時を感じさせた。
星だ…。
星が、喋っている。
理由は分からないがはっきりとそう感じさせた。
途端、ユキと舞依が決意を漲らせた顔でその場にスッと跪く。
羽根が白い光を宇宙に放った。
「我ら2人、たとえ宇宙の塵になろうとも」
「この身、この羽根、この魂」
「地獄の業火に焼かれようとも」
「我が救い」
「我が祈り」
「神の御名にかけて」
「果たさんことを誓う」
ユキと舞依の顔に強い覚悟がほとばしる。
天使長が剣先を2人から背後の宇宙へと向けた。
「行け!己が使命を果たせ!」
背後でラッパの音が鳴り響き、たくさんの天使と共に2人は飛んだ。咲夜と周防も2人に手を取られ、宇宙へと身を投げた。
ぐんぐん、ぐんぐん降りる。とうとう図鑑で見慣れた星々と故郷……青く輝く星が現れた。
外から見れば綺麗だが、あの中は地獄が広がっている。咲夜と周防はそれを誰より知っていた。ユキや舞依よりも深く……深く。
たくさんの天使が地球のあちこちに降りていく。天使の誰かがラッパを吹き鳴らした。まるで戦いに赴く戦士を見送るように。
そうして風が吹いた。オゾンの嵐がユキの髪をバサリと持ち上げる。舞依が風に煽られてキュッと眉間にシワを寄せる。
自分たちの番が来たのだと咲夜も周防も理解した。
ユキが、舞依が隣に立つ咲夜と周防の手を繋ぐ。2人の兄弟は思わず指を絡めた。恋人繋ぎ…こんな時に、いやこんな時だからこそ、そうした。
ユキと舞依の目が星を見る。2人の天使に、この美しくおぞましい地獄の星はどう見えているんだろう、と視線を向けて兄弟2人、ハッとした。
静かで揺るぎない決意がそこにはあった。
地球は燃えていた。
空も大気も地も、全てが赤い炎と黒い煙に包まれている。
大気がドロリと臭い。
まとわりつく、何かが。暗く、重く、空は炎で燃えていた。下から炙る熱が、真っ黒の煙が天使の翼を煤けさせる。
ユキの翼も舞依の翼も焼いた。
咲夜は思わず「もういい!もう帰ろう!こんな場所から帰ろう!!」と叫ぶ。周防が「舞依、ここはお前らが来るような所じゃねえ!帰るぞ、銀河のほとりに!」と叫んで腕を力でグイグイ引っ張った。
ユキの翼が黒く、炎に炙られて血が滲む。舞依の翼が炎に包まれ、羽根が焼け落ちる。赤く燃える羽根の先端から、ジュウ、という音がして肉が焦げる匂いが周防の鼻を掠めた。
「「お願いだから!もう、帰ろう!」」
2人は泣いていた。天使の惨状に涙を流している。
しかしユキと舞依はそんな男たちの泣き言など意にも介さず、グン、とスピードを上げると炎の中に急降下で突っ込んでいく。咲夜は周防は「もうやめてくれ!」と叫んでいた。
二組の男女が暗く重たい焼けた大気をまっすぐに進む。咲夜と周防はユキと舞依に引っ張られるだけ…ユキの翼の血が咲夜の頬にピチャッとかかった。舞依の焼け焦げて炭になった肉が周防の肩に当たる。
2人の天使はぼろぼろだった。翼は煤で真っ黒に染まり、折れて羽根と肉が焼けた。天使の羽根は地獄の業火でよく燃える。全く異質のものだから。
もう、羽根と呼べる部分はほとんど残っていない。髪はぼろぼろ、顔のあちこちは傷だらけ。綺麗で、壮麗で、神聖で、荘厳なあの天使様はもうどこにもいない。咲夜と周防は泣きそうな顔でその姿を見た。
空中でユキと舞依は止まった。初めてのことだった。一瞬、自分達の声が届いたのだと兄弟がホッとしたのも束の間、2人の天使は歌を歌っていた。
伸びやかに、力強く…あの小さな神に捧げる歌を。
燃え盛る赤い炎と立ち上がる黒煙。その中に向かって、歌を歌っていた。咲夜と周防の身体がぎゅっと強ばる。同時に憎かった。小さな神、顔も知らないそいつが2人の天使をこの地獄に呼んだんだ。兄弟はそう確信していた。
彼女達はこんな所に来るような存在じゃない。そいつが呼びさえしなければ今も銀河のほとりで神を讃える歌を歌っていられたに違いない。
「……小さな神……ぶっ殺してやる」
周防が怒りに奥歯を噛みしめる。
「……殺す?生ぬるいこと言ってんじゃねえよ……殺して下さいって言うまで痛めつけるのが先だろうが……」
周防と咲夜、奇跡的に意見が合致する。天より地獄の底に降り立った天使さまの隣で、地獄生まれ地獄育ちの兄弟は相変わらずだった。
そんな男たちのやり取りを尻目に、2人の歌声が止んだ。静かで穏やかな目をしている。まるで何かに耳をそばだてているような、そんな目だった。
ふと、匂いが変わったのが分かった。今まで前から横から吹き付けていた焦げ臭い風に甘ったるい腐ったような、腐臭が混じる。周防と咲夜が思わず顔をしかめた。
「……臭え……何だ、この匂い」
「おえぇ、吐きそう」
その匂いを辿ってユキと舞依が進む。ときどき鼻を引くつかせては立ち止まり、聞こえない声に耳をそばだてて、しかし迷いのない足取りでまっすぐに。地獄の炎の中を突き進んでいった。
前へ、もっと奥へ、声を限りに、ひたすらに




