15 兄、橘周防
橘周防は自室で1人座っていた。丸く削られた氷がグラスに入っている。熟成されたウイスキーがふわりと香った。
ベッドに視線をやると白い肢体が投げ出されているのが見える。満足気に嗤うとベッドに…少女の所に寄った。
「なあ、俺達の結婚式……もう1週間後だぜ?紙切れはとっくにサインしてあるけどよ…やっぱ橘の跡取りは形を整えるんだとよ……めんどくせえなあ」
はあはあ、と息をする少女の背中をつう、と撫でる。少女の手首にはめられた手錠ががしゃん、と揺れた。
「それだって言うのによう……何でお前はいちいち逃げるかねえ……」
周防がほとほと呆れてものも言えない、と言うように首を左右に振った。
「うちの使用人だったお前を……妻にしてやったんだからちょっとは喜べよ?」
少女がベッドの上で口元を笑みに歪める。
「……無理やり、押し倒されて……毎日、毎日、毎日……っ……嫌だって…やめてって…痛いって……言っても……止まってくれなかったです……喜べ?どうやって?」
少女の目尻から涙が一筋こぼれる。唇が怒りと悔しさでわなないていた。まっすぐに周防を睨み付ける。彼女の視線が彼を射貫いた。
周防の喉が上下する。ゴク、と生唾を呑み込む。
「はは…お前…その目は反則だぜ…」
熱が再び下部に集まるのを感じながら周防は熱を孕んだ目で少女を見下ろす。少女は周防の情欲を煽っていることに気づかず睨みながら続けた。
「私…知ってるんですよ。お、母さんだって……事故にあったの、周防さんの…せいですよね?」
橘邸の使用人になるきっかけ……母親の入院費を捻出するため。父はとっくに亡くなり母親と2人暮らしだった。突然、母が事故にあったと知らされて…病院に走った。
医者から意識はもう戻らないだろう、と言われた。
最初は泣いて、泣いて、泣いて……すぐに現実に直面した。そう、お金だ。
入院費は純粋に月10万、そこに経管栄養、人工呼吸器リース料、オムツ交換、清拭、入浴などのケア料、パジャマ、オムツのリース料は日額500円…更に熱が出れば採血、レントゲン、CT、点滴……全部込みで毎月15万近くまで跳ね上がる。
ただの高校生だった自分には無理だった。
真っ暗な気分で病院の医事科を後にした。主治医からの病状説明を聞いた時とはまた違う絶望……公園のブランコに座って呟いた。
「お金……どうしよう……」
日が暮れて夜になるまでブランコに揺られた。
橘のお屋敷で求人が出ていると聞いたのはそれからすぐの事だった。お母さんの病室に行くと廊下で誰かが噂話しをしていたのだ。
給料は破格の25万、住み込み三食つき、仕事内容は雑務全般……飛びついた。罠だった。
面接の為にリクルートスーツを買う余裕もなかったから高校の制服でお屋敷に走っていった。
制服姿で面接に来た自分を面接官の使用人頭も、執事も笑顔で迎えてくれた。
凄く優しくて…面接なのに、事故のこと、お母さんのこと、お金のこと、堰を切ったようにぶちまけて泣きじゃくる自分をまるで我が子のように同情してくれて……私は「お願いします、雇って下さい、お願いします」って泣いてた。
何もかもが全部、おかしかった。
その日から、次期当主橘周防さん付きの使用人として働くことになった。そうして、その晩…私は…周防さんのモノになった。
「全部、おかしかったんです。今から考えたら…全部が。何もかも、仕組んだんですね?そうですよね、周防さん!」
問いに対して周防は心から愉快そうに嗤うと、黙ってベッドに上がる。周防はもう、限界だった。
唇を噛みしめて、噛みしめて、端から血が流れた。周防が優しい手つきで唇の血を拭うと覆いかぶさって目尻の涙をペロリと舐める。
「……甘いな」
それからゆっくりと熱を押し込んだ。少女の顔が一瞬で強ばる。
「……で?探偵ごっこは終わりか?」
熱くうごめく少女の身体に周防の熱も応えようとしている。喉を鳴らして嗤うと囁いた。
「じゃあ、次は妻として抱かれようか?なあ、舞依」
「……あ、やだっ……やだっ!」
逃げる場所などどこにもない少女を楽しそうに追い詰める。
少女の顔は、銀河の果てに居たもう一人の天使マイと同じ顔をしていた。
全部終わって、周防は愛おしそうに舞依の頭を撫でていた。
「舞依、お前は少し辛いことがあったせいで、色々追い詰められてんだよ。俺はお前の母親の件は知らねえ…信じられないか?」
周防の言葉には少しだけ悲しそうな響きが宿り、目にもその色があった。舞依はのろのろと顔を上げて彼を見上げる。
「……周防さん」
もし、本当に母を襲ったのが彼ではなかったなら、自分は…誤解をしていたことになる……。
「お前に信じてもらえないのも分かる。俺はお前にこんなことをする男だ…惚れた女にまともな告白一つ出来ねえヘタレだ………ごめんな」
周防の真剣な声と言葉に舞依は唇を噛んだ。
「……本当に、お母さんに手を出してないんですか?」
「ああ」
即答。じゃあ、母は本当にただの事故で……。
「……信じられないですよ、そんなの」
「ああ、そうだよな」
迷いを即決で受け入れる。舞依の目が揺れた。
……罪悪感で。
「……私も……誤解、してたみたいです」
「いいさ、当然だ」
周防は舞依の頭を抱えるようにして、撫でながら言う。
「なあ、舞依。別に俺を愛さなくてもいい。殺したいほど憎くていい。だからこの結婚、母親の面倒を見るのと引き換えなんだって思えねえか?お前が俺の所にいるのは……母親のためなんだって思えれば少しは楽だろ?」
舞依は声もなく泣いた。悲しいのか、悔しいのか、憎いのか、よくわからない。
ただ、周防の声が優しくて……泣いた。
泣き疲れて眠る舞依を見下ろすと手錠に触れた。ベッドから降りるとローブを羽織って部屋を出る。
「……おい」
影の中に黒い服の男が1人いた。黙って立っている。
「舞依の母親跳ねた運転手…始末したか?」
「獄中死しました」
黒い服の男は静かに、何でもないことのように答える。
「そうかよ。随分と役に立ってくれて、感謝してるって墓石に伝えとけ」
「彼も喜ぶでしょう」
嬉しそうな周防と事務的な黒服の男が対称的だった。
「きちんと依頼通りに跳ねてくれて、ありがとうって伝言入りでな」
「承知致しました」
周防が1人、肩を揺らして笑っていた。




