大道芸人親子
その日は流石に古き清泉亭に客は来なかった。
敵軍に包囲された初日だ。
衛兵達は勿論のこと、近所の住人も多くがギルド員だからギルド兵として動員されている。
酒場に来れる者がいなかった。
酒場に来ようと思う者もいなかった。
以前から泊まっていた宿泊者は慌てて、旅立ってしまった。
アガサもマリーも南門からの角笛を聞いた時から、それを察していたから元々ほとんど仕込みをしていなかった。
「今日はいつまで開けてても誰も来ないでしょう。」
アガサの一言で早めに店を閉じることにした。
ダグはモードが出て行った後、すぐに北門に戻って行った。
今夜は戻らないだろう。
「アリス。冷たい水が飲みたいわ。水を汲んできておくれ。」
「わかったわ。お母さん。」
もう外は暗かったから、アリスは店内の卓上にある蠟燭を手に取った。
裏口から出ようとした時、外から話声が聞こえてきた。
ラルフでも叔父一家の誰かの声でもなかった。
どうやら井戸端で話をしているらしい。
アリスは戸に身を寄せて聞き耳を立てた。
「もう食料はこれだけです。」
「前の宿でもらった干し肉のあまりか?」
「はい。暫く野宿が続きましたので。」
「そなたの責任ではない。さ、半分食べさせて。」
「殿下が全てお食べください。」
「ダメだ。お前も食べろ。ずっと我慢しているじゃないか。」
「私なら我慢できます。育ち盛りの殿下は少しでも多く食べなければいけません。さぁ、この井戸の水はひんやりして、美味しいですよ。この水と干し肉をお召し上がりください。」
「せめて、一昨日摘んだ木苺が残っておればな……」
話声は一人は大人の男性、もう一人は少年のようだった。
アリスが裏口の戸をあけて蝋燭をかざすと井戸の向こう側にある『椅子』と呼ばれている丸太の上に親子がいた。
突然の戸の開く音と蠟燭の光に驚いたようだった。
「あなた達、誰?」
父親の方が立ち上がった。
「あ、あの、すみません。」
「何をしているの?」
「そ、その……他に座って休めるところが見つからず、他人様の敷地内とは思ったのですが……」
『椅子』は井戸端でおしゃべりをする時や薪割りの合間に休めるよう、ダグが数年前にどこからかもらってきた丸太の上の部分だけ樹皮を剥いで、削り磨いたものだ。
確かにケラー家の敷地内であるが、近所の者もここに座ってお喋りすることもある。
「いいわ。どうぞ、座って。」
「ありがとうございます。私達は旅芸人でして……」
(そうでしょうね。)
アリスも彼らを一目見て、親子が大道芸人であることはわかった。
体に張り付くようなぴったりとしたシルエットの左右色違いの服につま先の尖った靴、『椅子』の脇に置かれた肩掛け鞄、その上に広げられた肩布付き頭巾の尖った先につけられた鈴。
そして、蠟燭の光を受けて光る無数の巡礼バッジ。
大道芸人は一目でわかる人達だ。
それでなければ仕事にならない。
「本当ならどこかで芸をしてお金をいただくか、宿屋の食堂で芸をして泊めていただくところなのですが……」
「わかるわ。ツイてないわね。寄りにも寄って戦争の始まった日に来るなんて。」
「えぇ、私達も戦が始まるなどとは露知らず。この町の北門まで来たところで衛兵さんに早く入るよう言われ、意味もわからないままでして……」
(北門?そう。じゃ、北か西から来たのね。)
アリスは自分では気づかないままにジェフリーの思考に染まり始めていた。
「遠くから角笛や鐘が鳴っているとは思っていたのですが……」
(南門の角笛ね。あら?それを聞いても引き返そうとは思わなかったの?それはどうして?それとも、角笛や鐘を聞いても気にせずに町に来るものかしら?どうなんだろう?あぁ!ダメ!私はジェフリーじゃないわ。彼みたいに推理できない。ただの可哀想な大道芸人にしか見えない。)
アリスは大道芸人親子を見た。
蝋燭の光で僅かにしかわからないが、疲れ切っているようだ。
子供はまだ幼い。
十歳にはなっていないだろう。
とび色の髪の下から大きな瞳がこちらを窺っている。
父親は息子を気遣っているだが、どこか距離感が遠いように思える。
(さっきの会話、言葉遣いがおかしいわ。でも危険な親子には見えない。それにお腹を空かせているのよね?こんな小さな子が……ジェフリー、あなたならどうするの?私なら……)
「それに申し訳ございませんが、井戸の水も夜なのに勝手に戴いてしまいました。」
「いいわ。この井戸は町の共有財産ではなく、うちの井戸なの。だから、私が良いと言えば、罪に問われないわ。」
「あなたの家の井戸?すごいですね。ありがとうございます。あまりに喉が渇いていたので……それにしてもおいしい水ですね!」
(そうよね。折角、長旅の末に町に入ったのに食事にも寝床にもありつけないなんて……こんな小さな子には可哀そうよ。それにこの親子は何かおかしいわ。危険には思えないけれど……)
「さぁ、いらっしゃい。」
「?」
「私の店で芸を見せて。そしたら今夜の食事と部屋を提供するわ。」
(ジェフリー。そのうち来てくれるでしょう?だったら、この親子は引き留めておくわ。きっとあなたならこの奇妙な親子を見れば何かわかるでしょう?あなたの考えの助けになる気がするの。)
古き清泉亭にはアガサ、マリー、ラルフだけでなく、アリスの叔父一家も集まった。
叔父自身はダグと一緒にギルド兵として招集されてしまっている。
「今宵はこのような場を設けて頂き、光栄の極み。」
父親が大袈裟に、滑稽にお辞儀をして見せる。
横で息子も同じことをして見せるのがアリスには可愛らしかった。
(何だか、他の大道芸人よりも素敵なお辞儀ね。どうしてかしら?)
しかし、彼らの芸はお辞儀ほどには見事ではなかった。
ジャグリングは素人でも器用な者ならできそうな程度であったし、無言劇は日頃の鍛錬の賜物か、上手かったが、どこか滑稽味に欠けていた。
パチパチと皆は拍手をしたが、アガサの表情はやや苦かった。
彼女はこの大道芸人に食事と部屋を提供することに初め難色を示していた。
ダグの不在で少し不安になっているようだ。
(あぁ!もう少し芸が面白かったらお母さんも満足するのに!)
アリスは笑顔を浮かべながらも内心ひやひやしていた。
父親の方も自分の技術の程度を自覚しているのか、笑顔に自信がなかった。
大道芸人たる者、客の前ではもっと滑稽で明るい笑顔を浮かべているものだ。
しかし、彼らが物語りを始めた途端に古き清泉亭の雰囲気がガラッと変わった。
テーマは古き清泉亭の誰もが知らない物語だった。
聞いたことのない王子の勲にまつわる物語を父親がフィドルを弾きながら朗々と歌い上げる。
幼い息子の可愛らしく甲高い声が大切なところで合わさる。
皆が惹きこまれていた。
(何が他の大道芸人と違うのかしら?決して上手とは思えないわ。それでも素敵。聞いたことのない素敵さね。)
「おぉ!大杓鷸の物悲しい鳴き声が澄んだ空の下、冷たい荒れ地に響く!」
父親に続いて幼く甲高い声が歌う。
「クー・リィ、クー・リィ!クー・リィ、クー・リィ!」
「名無しの騎士は荒れ地を進む。地位も名誉も名前も失った騎士の進む先には鉛のように思い曇天が被さっている。冷たい風だけが彼の供だった……」
「クー・リィ、クー・リィ!クー・リィ、クー・リィ!」
「やがて、名無しの騎士は灰色海豹の海岸に至る。海も、空も、海豹も灰色……」
アリスには子供の『クー・リィ、クー・リィ!クー・リィ、クー・リィ!』と言う鳥の鳴き真似と主人公の名無しの騎士が旅する湮湮滅滅と表現される荒れ地の様子が忘れられなかった。
前者はあまりの可愛さから。
後者はアリスにもわからなかった。
それでも彼女には何故かその荒れ地とジェフリーが語ったクレイグリーが重なって見えた。
冷たい風が吹き荒ぶ曇天の荒れ地……
その荒れ地に残された去って行った人々の古い砦跡で干し肉を齧る少年……
(ジェフリー……あなたに会いたいわ。)
全てを失った黒騎士が東の果てにある海岸に辿り着いたところで物語りは終わった。
「ご清聴ありがとうございました。」
親子がまた見事な所作でお辞儀をする。
そして頭をあげた父親がニッコリと笑顔を浮かべて付け加えた。
「続きをお聴きになりたければ、明日の夜に!」
つまり、明日も泊めてくれということだ。
古き清泉亭ではずっとこの大道芸人親子の歌声だけが響いていた。
その歌声が途切れた後は暫く沈黙が続いた。
そして不意にアガサが立ち上がり手を叩き始めた。
それを機に他の者も目が覚めたように拍手を始めた。
それほど、この不思議な大道芸人親子の物語りは皆を魅了した。
決して、上手いとは言えないかもしれない。
それでも、そこには何か他の大道芸人には決してない魅力があった。
「さ、ご飯にしましょう!」
アリスが立ち上がって手を叩いた。
マリーが厨房に入って行く。
「お腹空いたでしょ?今、スープを温めるわ。」
アリスが小さな大道芸人の肩に後ろから両手を置くと耳元で言った。
少年は振り向き、アリスを見上げる。
ニッとアリスが笑う。
少年はまた美しい所作でお辞儀した。
「感謝する。」
それは幼い子供が偉い大人の芝居をしているようで、一同の笑いを誘った。
しかし、アリスは内心思っていた。
(あまりに自然だわ……)
それでも小さな子供が古き清泉亭自慢のスープをフーフーと冷ましながら啜っているのを見ると嬉しくなった。
その夜、アリスは夢を見た。
あの湮湮滅滅とした荒れ地をとぼとぼと旅をする黒づくめの騎士。
そして、冷たい風に煽られて頭巾が剥がれ、現れたのはジェフリーの顔だった。
今回の挿絵は大道芸人親子です。
因みにルビについてはジョングルールの方が一般的だとは思うのですがジョングルールはフランス語の響きです。
うちの賢い君(AI)にジョングルールを中英語的に発音するとしたら?と聞いて返ってきたジョゲロウルを使用しております。




