モード オブ デルセスター
配下の男が進み出て、答えようとしたが貴婦人が制した。
よく見れば、男の表情は険しく、剣の柄に手をかけている。
(俺のことを無礼すぎると思ったかな?この程度で?やはり、相当な身分の貴婦人らしい。)
ジェフリーは背中を冷たい汗が伝うのを感じた。
「やめなさい。私自身が答えるわ。」
貴婦人は家臣と思しき男にそう言ってから、ジェフリーの方へ向き直った。
「わかったわ。その代わり、そちらが先に名乗りなさい。」
「私が?私はただの衛兵ですよ?」
「ただの衛兵でも何でも、この私に名を問うのであれば、先に名乗りなさい。それが礼儀よ。」
気の強そうな貴婦人だ。
一筋縄ではいかないと思われた。
「それでは……私はジェフリー、ジェフリー=ワーディンガム。ロズベリーアポンフロルの北門詰め衛兵隊で小隊長を務めております。」
「ワーディンガム?どこかで聞いた家名ね?」
「しがない北方辺境貴族の中でも特に小さな家の出です。御方様のような方の記憶に残るような家ではありません。記憶違いでは?」
「しがない北部辺境貴族ですって?私も北部の貴族よ。あなたも北部の出身なら誇りを持ちなさい!南部に染まって卑屈になることはないわ!あなたの中の力強き北部丘陵人はどこへ行ったの?」
「はぁ……」
「はぁ、ではないわ!誇りを持ちなさい!」
美しい。
美しすぎるほど整った顔立ちに、漂う威厳、凛とした声。
(北部でこれほどまで偉そうな人物と言えば……)
「まぁ、いいわ。あなたが名乗ったのだから私も名乗りましょう。私はデルセスター公の娘、モードよ。」
ジェフリーはすぐに片膝をついた。
(デルセスター公の娘、モードだって?そんな高貴な人物がどうしてロズベリーアポンフロルに?!)
驚愕したのはジェフリーだけではなかった。
遠巻きに見ていたランディ小隊やギルド兵もどよめき、慌てて見よう見まねで片膝をついた。
デルセスター公の娘、モードと言えば、メカニア王国でも貴顕中の貴顕だ。
デルセスター家は王家の藩屛で、国王を出したこともある家だ。
時折、王家との間に婚姻があるから、その繋がりも深く、王家の一員のようなものだ。
目の前のデルセスター公の娘、モードもかなり順位は低いだろうが王位継承権があるかもしれない。
そして、デルセスター家と言えば、北部丘陵の南西端に領地を持ち、北部地域ではもっとも大きな貴族で、北部の盟主的存在だ。
(なるほど、デルセスター公のご息女ともなれば、北部辺境貴族の家名くらい諳んじているのかもしれないな……)
不意にデルセスター公の娘、モードが微笑を浮かべた。
それは、それまで纏っていた威厳、高貴さ、高慢さのヴェールを脱ぎ、丁度、重い曇り空の隙間から一筋の陽光が差し込んだかのような微笑だった。
厳しく整った美しい顔が柔らかく溶けた後には、可憐さが広がる。
思わずジェフリーは見とれてしまった。
「思い出したわ。ワーディンガム家。クレイグリーね?」
「はい。私はクレイグリー男爵の息子です。」
「やっぱり!実は私達、初対面でないかもしれないわ。」
「?」
「小さすぎて私は覚えていないのだけど、父に連れられてクレイグリーに行ったことがあるの。」
「デルセスター公がクレイグリーに?」
ジェフリーにそのような記憶はない。
しかし、年の近そうな彼女が小さすぎて覚えていないと言うのであれば、自分が覚えていないのも無理はない。
「クレイグリーが落とされた後よ。あなたのお父様が男爵に叙爵されて自領の復興に努めている時に、父は支援物資を携えて視察に行ったのよ。その時、私も連れていかれたの。もっとも後から聞いただけで、本当に覚えていないの。」
(そうか、あの頃か……)
クレイグリーがデーリア王国の軍に蹂躙された後、ワーディンガム家は周囲の地方領主からの助力を受け、領地を復興した。
その途上にあった頃、客が多かったことは朧げに覚えていた。
「あなたもきっと小さかったでしょう。私達、少しくらい遊んでいたかも知れないわね?」
クレイグリー陥落後、暫くの期間は、あまりの喪失感にジェフリーもショックが大きく、記憶が曖昧だ。
しかし、言われてみれば、そんなことがあったかもしれない……
カンッと言う音がした。
近くに矢が落ちた。
「モード様!」
男達がすぐにモードを守るように囲んで立った。
ジェフリーは一人に突き飛ばされて、よろめいた。
そうこうするうちにも矢が何本か降ってきた。
「御方様、ここは危険です。安全な場所に移動してください。」
「代官館はどこ?」
「ここからは少し離れております。それに……」
「それに、何よ?」
「今は戦闘中で。一人でも多く城壁に上げたいのです。代官館へは落ち着いてから使者を出します。」
「では、どこか食事と飲み物を出せる場所に案内なさい!」
(食事と飲み物だと?この忙しい時に!)
「この者達は私を守って、ここまでほとんど食事もとらず旅してきたの。先ずはこの者達に食事と飲み物を用意なさい!」
どうやらデルセスター公の娘、モードはただ高慢なだけの貴婦人ではなく、家臣のことも思いやれる女性のようだ。
下々の苦労にはあまり思い至らないようだが……
(どうしたものか……)
ジェフリーは辺りを見回した。
ランディ小隊の面々とギルド兵がこちらを見ている。
その中にはダグもいた。
(そうか!)
「ダグ!」
自分が呼ばれるとは思っていなかったダグは自分を指さして、『俺か?』と言う顔をした。
「そうだ。ダグ。頼むよ。この人達を古き清泉亭に案内してくれ。」
ジェフリーはダグが何か言ってくる前に背を向けると、デルセスター公の娘、モードに素早く敬礼すると、門塔に向かって走り出した。
「ランディ。あんたの隊も上がってくれ。ワクソニアの奴らを追っ払おう!」
「おぅ!先に行ってくれ、弓をとってくる。エディのところの連中も引っ張り上げるよ。」
その後ろでは突然、雲の上の人物を任せられたダグが呆然としていた。
城壁の上では、ジェフリーの部下達とライリー小隊が城門近くまで寄ってきたワクソニア兵に向かって弓を引いていた。
ところどころに矢が落ちている。
しかし、負傷した者はいないようだ。
「待たせたな!」
ジェフリーは壁に立てかけていた弓と矢筒を引っ掴むとロニーの横に立ち、弓を引いた。
門が閉まってしまい、立ち往生したワクソニア兵は矢を射ち返していたが、やがて撤退しだした。
「追い打ちをかけろ!」
ライリーが命令する。
ランディやエディの小隊も上がってきた。
赤いグリフォンは追分を越えて北へ後退した。
「止めろ!」
ライリーの声。
まだ放物線射撃ならギリギリ狙える距離だが、敵はデルセスター公の娘、モードを追いかけてきただけの小部隊だ。
放物線射撃は敵が集中している時にこそ効果が大きい。
バラバラと逃げる小部隊には矢が無駄だと考えたんだろう。
衛兵達は弓を城壁に立てかけると一息ついた。
「興奮しているのかな?実戦は練習よりもハードに感じるぜ。」
ロニーが大きく息を吐きながら言う。
「敵も大したことはなかったな。」
「これから、毎日こんな感じなの?耐えられるかな僕?」
ボリスやフィルも好きなことを言っている。
「さてと。代官館に使者を出さなきゃな。ジェフ。」
ジェフリーは他の小隊長達と相談をしていた。
「あぁ。代官の奴、大丈夫かな?」
代官のシェリンガム卿は兎に角、上の目を気にする男だ。
デルセスター公の娘、モードが町に逃げ込んできたと知れば、大騒ぎするだろう。
その時、ジェフリーはふと思い出した。
「あ!」
「?」
ライリー、ランディ、エディが不審な表情になる。
「あの貴婦人から入市料を取り忘れた!」
結局、ジェフリーは『衛兵の責務』を果たせなかったのである。
カラン、カラン。
扉に取り付けた赤銅でできたベルの音にアリスは驚いた。
南門に続き、北門からの角笛も聞いていたアリスは、この町が遂に籠城戦に入ったことを理解していた。
(こんな時にお客さん?)
そして、開けられた扉を振り返って、更に驚かされた。
そこには見たことないような美しく、高貴な貴婦人が立っていたのである。
「ふーん。」
モードは古き清泉亭に入ると値踏みするように店内を見回した。
「失礼するわよ。」
アリスの返事も聞かずに店に入ると
「さ、あなた達、座りなさい。疲れたでしょう。」
と卓を指差して部下達に行った。
彼女の後から男達がずかずかと入ってきた。
「あ、あの……あなた達は?」
流石のアリスもいつもの勢いは身を潜めた。
いかにも高貴そうな貴婦人のあまりに堂々とした態度に、どうして良いのかわからなかったのだ。
そして、最後にダグがおずおずと入ってきた。
(もう!お父さん!どうして自分の店にそんな遠慮して入ってくるのよ?主でしょ?)
アリスにはすっかり怖気づいている父親にもどかしく思ったが、自分もどうして良いのかわからなかった。
「ちょっと?あなた?」
「は、はい?」
「はい?じゃないわ。さっさとこの者達に食べ物と飲み物を用意なさい!」
「あ、あの……」
「何?」
「あなたはどなた……どなた様なのでしょうか?」
モードの高慢な態度が逆にアリスを立ち直らせた。
アリスは背筋を伸ばして、見知らぬ貴婦人に対面した。
「こら!失礼な態度は……」
ダグが後ろから言うのを、モードは手で制した。
「人に名前を聞きたいのなら、先ずは自分から名乗りなさい!さっきの男と言い、この町の人間は礼儀を知らないの?」
しかし、アリスは貴婦人の咆哮に怯まなかった。
貴婦人の強い視線に負けることなく、自分も堂々と見返した。
「私はアリス。この店の娘です。あなたはどなた様ですか?」
モードは微笑した。
先程、ジェフリーを魅了した微笑である。
その愛らしさには女性であるアリスもドキドキした。
「あなたはアリスね。良い目をしているわ。私はモード。デルセスター公の娘、モードよ。」
「!?」
流石にアリスでもデルセスターの名は知っていた。
とても、自分の店にやって来るとは思えない人物だ。
「モード様、いらっしゃいませ。」
それでもアリスは背筋をのばしたまま答えた。
モードはまた微笑した。
アリスは再びドキリとする。
(うらやましい。なんて素敵な笑顔なの。)
思わず、アリスは視線を落とした。
するとモードの美しく白い手が視界に入った。
形よく削られた爪、すべらかな白く、細く、長い指。
思わずガサガサの自分の手を背に回して隠してしまった。
しかし、モードはそれには気付かず、扉近くの窓際の席に座った。
魔法道具屋のアイザック爺さんが指定席にしている席だ。
窓から外を覗き呟いた。
「そうなの。庶民はこのようなところで乾杯するのね。悪くないわね。」
そんなモードの独り言がアリスの『看板娘』として矜持を呼び戻した。
「御方様、食べ物と飲み物をご所望ですね?ほとんどの食べ物はまだ用意ができておりません。直ぐにお出しできるのはスープとチーズ、パンと言ったところですわ。飲み物はエールをお持ちいたします。」
「エールですって?この者達は過酷な長旅で疲れているのよ?スぺラン産のワインとは言わないわ。せめてグルートくらい出しなさい!」
「申し訳ございません。グルートはお出しできません。」
「なんですって?グルートすらないの?」
「お、おい……アリス……」
ダグが慌てて言ったが、アリスは無視した。
「いいえ。グルートはございます。ですけれど、この町は包囲されてしまいましたわ。これから厳しい籠城戦が始まります。多くの怪我人や病人が出るでしょう。その人達の為にグルートは必要です。」
(ジェフリーが言っていたわ。籠城戦になれば疫病が流行る恐れもあるって。この綺麗な貴婦人には申し訳ないけれどグルートは出せないわ。)
アリスはふとジェフリーを思い出すと勇気づけられるのだった。
モードは高貴な自分に怖気づくことなく、本人は自覚していないかもしれないだろうが、強い視線を返して堂々と答える娘を興味深げに見返した。
「なるほど。そう?デルセスター家の命令よりも町の庶民の方が大切と言うのね?」
「お、お待ちください。すぐにグルートを……」
ダグが慌てて言った。
しかし、ダグが店の奥に行こうとするのをモードは再び手で制した。
「いいわ。あなた達、エールで我慢してくれる?」
男達は黙って頷いた。
(エールで我慢?クレーネを飲んでもそんなこと言えるかしら?)
ジェフリーを思い出して、勇気を取り戻したアリスはいつもの『看板娘』に戻った。
「わかりましたわ。エールとお食事をすぐにお持ちしますわ。」
それは衛兵達をいつも癒す笑顔だった。
そして、アリスは背を向けて厨房に向かうその背中をモードが再び微笑を浮かべて見つめていることは気づかなかった。
果たして、男達は満足げに食事を平らげた上、クレーネをおかわりした。
無口な男達だったがクレーネの味に感銘を受けたことは間違いないようだ。
モードは窓際で外に見える路地に目をやりながらクレーネを口にしていた。
こちらも不満そうではなかった。
「御方様、お口にあいましたか?」
「そうね。悪くないわ。」
「御方様のような方は、日頃、エールなど嗜まれないのでしょうか?」
アリスにはデルセスター家のような王族に近しい者達の暮らしなど想像もできない。
「あら?そんなことないわ。勿論、食事の際はワインを飲むわよ。でもただのどが渇いただけならエールを飲むわ。」
そう言うと窓から目を離してアリスに顔を向けた。
「このエール、何て言うの?おいしいわよ。」
「クレーネです。御方様。」
「クレーネ?素敵な名前ね。ここは北門に近いわね。衛兵達も来るの?」
「はい。衛兵達はここの常連様ですわ。」
「そう?だからね?あのジェフリーという衛兵がここに私達を案内させたのは?」
「ジェフリーが?」
「あら?あなた、彼の名前を知っているの?」
「え、あ、はい。そ、その北門詰めの衛兵はほとんどが常連だから皆、名前を知っております。」
アリスはジェフリーの名がモードの口から出てきたことに動揺した。
そんな、アリスをモードは面白そうに見返していた。
「そうなのね?ジェフリー?彼は無事かしら?私達を送り出すと城壁に上がってしまったわ。」
「城壁に?もう戦闘があったのですか?」
「えぇ。矢が城壁を越えて城門前にも降ってきたわ。今頃、射ちあいかしら?」
アリスはモードの向こうにある窓に目をやった。
窓の外に見えるのは店の前の路地と向かいの建物だけだ。
城壁は見えない。
しかし、アリスはまるで城門が、城門の上に立つジェフリーが見えているかのように見つめた。
「ジェフリー……」
本人も気づかずに思わず呟いた。
やがて、代官館からの迎えの者がやって来た。
迎えの者が扉をノックするまでもなく、窓から外を見ていたモードは気づいていた。
「アリス。素敵な時間をありがとう。クレーネはおいしかったわ。」
男達が立ち上がり、リーダーと思しき男が片手をモードに差し出した。
モードはその手を取って椅子から立ち上がるとアリスを振り返った。
「ジェフリー?彼はきっと無事よ。」
「え?」
「迎えの者が来たと言うことは戦闘が終わって、北門から使者が走ったと言うことよ。確かに矢は城門に届いていたけれど、敵は少数だったわ。それに彼には力強き北部丘陵人の魂があるわ。」
「力強き北部丘陵人?」
「ええ、そう。私達、北部丘陵人の誇り、矜持よ。」
「御方様も北部から?」
「ええ、そう。彼とも幼い頃に一緒に遊んだことがあるかもしれないの。」
アリスが赤面した。
本人は気づかないが、それは嫉妬によるものだった。
「では、行くわね。アリス。またお会いしましょう。」
カラン、カラン。
モード達が出て行った扉に取り付けられた赤銅でできたベルが鳴る。
アリスはその扉をいつまでも見つめていた。
(何よ……)
今回の挿絵は勿論、デルセスター公の娘、モードです。
自分で言うのもなんですが、めちゃくちゃ素敵じゃないですか?
高貴で、高慢、威厳漂う美貌の貴婦人です。
いろんな人の画像を見まくって、参考にしました。
尤も画伯は一発で描いてくれたんですが。
兎に角、私のイメージ通りです。
モード・オブ・デルセスターのモデルはイングランドのモード・オブ・ランカスターですね。
但し、モデルにしたのは名前だけです。
本当は絶世の美女で『白の貴婦人』と謳われたブランシェ・オブ・ランカスターをモデルにしたかったのですが、やはりイングランドの女帝モードが好きなので、名前はモードが良いなぁ…と、それだけですw
※なろうはルビのベースが10文字までなので、無理しちゃいました…
多少の見難さはご寛恕いただけると幸いです。




