13.人間
食堂にやって来る思いがけない来店者は、癒々花だけでは終わらなかった。
癒々花と初めて言葉を交わした翌日の夕方、今度は突然、澪二が顔を覗かせにやって来た。
「よっ!」
と片手を閃かせ、表情は笑みに満ちていた。
初めて儀が同じ日になった時は、盆の夜商店で出会った時に笑顔でいた澪二が嘘のように思えていたが、今度は逆で、先日の儀で苦しんでいたのが嘘だったかと思えるほどに、晴れ晴れとした顔でやって来た。
マシロが混乱する中、まだ食堂に数人残っていた客が澪二を見るなり口々に彼の名を呼んだ。
澪二はここの町の全員と友達なのではないかと思うほど、誰かと会う度気さくな表情を浮かべ挨拶した。
「あら澪二くん、久しぶりじゃない」
客たちに混じって、小野も澪二の姿を認めるなり調理場から駆け付け声をかける。
「緑さん、ご無沙汰です!いやぁ、今日も暑いっすねぇー」
「そうねぇ。夏はまだまだ終わらないわねぇ。何か飲む?」
「いいんすか!いただきます!でも俺コーヒーは飲めないんでぇ……」
「そうだったわね。今ならカルピスがあるわよ」
「カルピス!夏っぽいなぁ。いただきます!」
客や小野のやりとりを見ても、一番初めに出会った時の明るい澪二がそこにいた。
だとしたら、今の澪二が本来の澪二なのだろうか。では儀の時に見た澪二は、一体なんだったのだろうか。
内心首を傾げていくら考えても、その答えは出てこなかった。
澪二と話をしたいところだったが、その澪二は客と他愛ない会話をしていて気づくと随分盛り上がっており、そこにマシロが入る余地は微塵もなくなってしまった。
かと言って所在無げに立ち尽くしているわけにもいかないので、マシロは時計を仰ぎ見るや調理場に戻り、店仕舞いに取り掛かり始めた。
そしてしばらくして、最後のコーヒー客たちが次々と帰ってしまった後。ひとり残った澪二が、客の見送りを終えた小野に言った。
「緑さん、ごちそうさまでした。――この後なんですけど、マシロをちょっとだけ借りてもいいっすかね?」
その時マシロは、調理場でコーヒーカップを洗っているところだった。
澪二の言葉を聞きつけるや、首を伸ばすようにしてその方を覗き込んだ。そこからは、小野の姿にちょうど隠れて澪二の顔が見えなかった。
「私は構わないけど。マシロがいいって言うなら、外はまだ暑いしここを使ったらどうかしら。私は先に帰るから」
そう言って、小野はマシロに問うような視線を向けてきた。いいかしら?と言うような目配せがあり、マシロは流れたままの水を手に受けながら、とりあえず頷いてみせた。
そうして小野は一通りの片付けを済ませると、ひとり車で帰っていった。
一方マシロは、これから起こることの予想がつかないまま、若干の緊張を抱きながら残った仕事を片していった。
その間澪二は足を崩し、窓の外を眺めていた。妙な静けさが、広間に立ち込めていた。
仕事をすべて終わらせると、マシロは新しく麦茶を淹れ直し、いつも客が使っているテーブルに自分も座した。
澪二と差し向かうようになり、硬さの残る表情を正面に向ける。澪二は笑顔で麦茶を受け取ると、そのまますぐに一口飲み、コースターの上に静かに置いた。
陽が落ち陰が多くなる頃合いには、空調を切り全開にした窓から吹き込む風だけで暑さを凌げるようになっていた。それだけを見ても、夏本番はもう過ぎたのだと思えた。
風に吹かれる澪二はより一層爽やかに見え、目が合うと、その顔はニカッと笑った。
マシロが座した後二人の間に少しだけ沈黙流れ、澪二の明るい声を皮切りに会話は始まった。
「この間はごめんな!カッコ悪いとこ見せちゃって!」
両手を合わせた澪二が、ウインクでもするように表情を崩す。一瞬、光が散ったように見えた。
それにマシロはきょとんとし、いくら考えても適当な返事が思いつかず、顔を小さく横に振ることしかできなかった。
「夜に盆踊りがある期間はさ、カゲの動きが落ち着くから、その時だったら還もできるかなってなったんだけど。――結局、無理だったわぁ」
まるで独り言を言うように、そして他人事を言うように、笑みを浮かべたまま澪二は言った。
マシロは、そんな澪二にどのような顔を向ければいいのかわからなかった。笑うべきか、真顔を崩さないべきか、心配の色を滲ませるべきか、定まらない表情の上で、目だけが僅かに泳いでいた。
「……びっくりしただろ?」
澪二が言葉を継ぐ。その問いにも、マシロはすぐに返事ができなかった。
息を呑むような表情で澪二を見やる。と、先ほどよりも少しだけ笑みが薄くなったような気がした。しかし笑顔はちゃんと残っており、ややあってから、マシロはやっとの思いで口を開いた。
「儀の時はいつも、あのようになってしまうんですか……?」
若干躊躇いながらも、浮かんだ疑問をそのまま口にする。それに澪二は調子を変えずに答えた。
「ううん。誘までならまだ何とかできるんだけど、それ以降がな、ちょっと。でも、誘もみんなよりかは頻度少なめかな。――だからかな、今までマシロと組む機会が全然なかったの。タイミングが合わなかったんだな」
マシロはとりあえず頷いてみせたが、まだまだ話が掴めなかった。
みんなと同じように儀ができないのは、一体なぜなのだろうか。どうしてそうなるのだろうか。あの日、舞の途中崩れ落ちるようになってしまった原因は――……。
「なにか、ご病気とか……ですか?」
少し迷いつつも、おずおずと問うた。しかし視線だけは澪二をしっかりと捉えていた。
澪二は小首を傾げ、一瞬何を見るでもないようにしたが、またマシロに視線を戻すと淡い笑みを浮かべた。
「病気とは、またちょっと違うのかなぁ」
今度はマシロが首をを傾ける。それをちらりと見やって、澪二は続けた。
「……俺、こう見えてめちゃくちゃ緊張しいでさ。あと……不安症?っていうの?いろんなことに対して不安を感じちゃう体質なんだよね」
マシロは目を見開く。
「不安……?」
と訊き返すようにすると、澪二は頷いた。
「こうやったらどうなるのかな、ああなっちゃうのかなって、とにかく悪い方に考えちゃったり、自分のやってることに自信持てなくて、何度も何度も確認したり、過ぎたことも、完結したはずのことも、ずっと頭のどこかに残ってて、実は間違ってたんじゃないか、良くなかったんじゃないかって気になったりする。――例として、金曜日に何か自分のなかに少しでもひっかかることが学校で起こって、土日の間それについてずっと考えちゃって、気づいたらそればっかり考えて休みの日が終わっちゃってた、なんてこともある。――あとは……、誰かがこそこそ話してるの見ると、俺のこと話してんのかなって不安になったり、他人同士の言い争い見て、体が震えたりする。自分のこと話してなくても、それが全く知らない人同士でも、その光景を見るだけで、俺なんかしちゃったかな、俺が悪いのかなってなる。怖くなる。……本当に、馬鹿馬鹿しくもなってくるんだけど、その場に不安要素が何もなくても、過去を掘り起こしたり、周り見渡したりして、自分から不安になること探しちゃうの。……めちゃくちゃめんどくさい奴だろ、俺。アハハ」
澪二の白い歯が、笑みの形をした口の隙間から見える。その顔と話の内容があまりに対照的なので、まるで澪二の口から出されていないかのように思われた。
マシロは澪二が言ったように、いろんなことを気に掛ける澪二を頭の中で想像しようとしたが、どうしてもその姿は作り出せなかった。
表情をなくしたマシロを見て、なんて顔してんだよ、と澪二は笑う。しかし、マシロは唇の端にも笑みを浮かべることができなかった。
それからマシロは何度か目を瞬かせた後、重い口を開いた。
「……すみません、澪二さんのこと、そういう風には、見えなくて……。――びっくりしてしまって。底なしに明るい方だなと、初めて会った時も思ったくらいで……」
言葉を選びつつ、しかし嘘は言わずに心情を述べる。それを聞き、澪二はまたハハハ、と声を上げた。
「たぶん他のみんなもマシロと同じように俺のこと見てると思うよ。まさか俺がこんな性格してるなんて、思いもしてない。俺も、わざわざ事細かに自分の性格について話したりもしない。それでも、たまに軽く、俺ってこうなんだよねぇって言ってみるこもあるんだけど、必ずと言っていいほど、嘘だぁとか、またまたぁって返ってきて、誰も、全く信じないんだよね。澪二がそんな性格なわけないだろって。だからさ、もう人には言わないようにしてるんだよねぇ。それと、これが不安だあれが不安だって、思っても都度言うことはしてない。言っても仕方ないからさ。他人が解決してくれるわけじゃないし。自分の中でなんとかするしかないから」
マシロの胸に、締め付けられるような感覚が走った。詰まる喉を開き、訊く。
「でも痣子のみなさんは……」
全部を言い切る前に、澪二があぁ、とつぶやいて言葉を継いだ。
「さすがに、痣子のみんなは知ってるよ。この間みたいに、何回か過呼吸とかにもなったりしたし。――でも、知ってても、理解できてるかどうかはわからない」
そう言うと、澪二は終始笑んでいた顔を少し引き締めた。声のトーンもいくらか落ちる。
「儀と関係ない日常でもたまにパニックになることはあるけど、儀は、なんか特別なんだよな。――だって、あの不気味なカゲと対峙するんだよ?刀なんて持ってさ。この現代に。しかも、ちゃんとやらないと災害が起きるとかで。普通に怖いだろ。……怖いものは怖いし、緊張するし、足は竦むし、逃げたくもなる。漫画とかだとさ、俺らみたいな何かに立ち向かうような存在って、何かそれなりの能力があったり、身体能力やばかったり、どこか人間離れしたとこあるじゃん?――でも、俺ら痣子は違うんだよな。至って普通の、人間なの。超人とかじゃないし、超能力も持ってない。普通の、中学生や高校生とかなんだよな」
マシロは虚を突かれたようだった。
よくよく考えれば、そうなのだった。みな佇まいに威厳があって、儀の時は真っ直ぐとした瞳を携え、当たり前のように刀を持ちカゲと対峙しているが、そこには危険が伴い、文也のように、死に至ることだってあり得る世界。
そんな世界に皆身を投じているのだった。ひとかたならぬ精神力がなければ、務められないものだった。
マシロは絞るような声を落とした。
「……僕は今まで、痣子のみなさんはそれを当たり前のようにやっているように見えていました。みんな、それぞれ自分の務めを果たしていて……。弱音も、吐かずに。――それは、表立っては言ってないだけかもしれませんけど……」
聞いて、澪二はひとつ頷いてみせる。
「痣子であることは、変えようのない現実じゃん。誰かがやらないといけないじゃん。一般人には務まらないものだから、痣子がやるしかない。やりたくないなーとか言ってもさ、やらないとこの土地腐っちゃうじゃん。――そんなの俺、嫌だからさ。生まれ育った町だし。大好きな人も、守りたい人も、たくさんいるし。……だから、俺も、もっとしっかりしないといけないんだけどさ。それが俺の定めだって、わかってるんだけど。頭では、わかってんだけど……。どうしても、心と体がついていかない。自分では、どうしようもできないんだよな」
マシロの目が、澪二のグラスの側面についていた水滴を追う。す、と真っ直ぐ伝って底に落ちた。じわりと濃い跡をつける。
すると澪二が、沈みかけていた場の空気を持ち上げるように言った。
「でもさぁ。誰も俺を責めないんだよな。かなちゃんみたいに、いつも助けてくれる人もいるし」
「……かなちゃん?」
マシロは落としていた視線を戻す。首を傾げ、そんな人いただろうかと思考した。すぐさま澪二が補う。
「クリス」
言われ、マシロはあぁ、と頷いた。
前回の儀で、取り乱した澪二を介抱していたクリスの顔が浮かんだ。
「栗巣、奏多だから。かなちゃんて呼んでる。俺はね」
「かな、ちゃん……」
マシロは口の中で繰り返してみる。言い馴染みがなく、違和感があった。
「俺は澪ちゃんて呼ばれてるから、じゃあかなちゃんって呼ぶねってなった。そうなった当時、かなちゃんめちゃくちゃ喜んでた。可愛い呼び方だって。だから、かなちゃんってずっと呼んでる」
澪二がにこやかに言うので、マシロもやっと淡く笑んだ。
「仲良いんですね」
「うん。もともとは、姉ちゃんの友達だからね。よく遊んでた。俺の、もう一人の姉ちゃんみたいな感じだな」
「もう、一人の……」
「うん。かなちゃん昔から優しくて、それだけじゃなく、しっかりもしてて、すごく頼りになってさ。……俺こんな二面性持ってるから、どっちが本当の自分なんだろうなって、悩んでたことがあるんだけど。――かなちゃんは、どっちも澪ちゃんだよ、どっちの澪ちゃんも私は好きだよって、言ってくれたんだよなぁ。確かに、俺みんなから明るいって言われるけど、それも嫌々作ってるわけじゃないんだよな。たまに無理することはあるけど、そうしてた方が、みんなの笑った顔がよく見られるし。普通に、その自分も好きなんだよなぁ」
澪二が遠くを眺めるように言う。飾り気のない笑みがそこにあった。
それでか、マシロはどこか胸がすくような思いになった。
自分を見失うことは、心穏やかでないことだと思った。けれど、澪二のそんな思いを汲める存在が、すぐそばにいた。クリスが、澪二を支えているのだった。クリスの存在自体が、今までに澪二を何度も救ってきたのだろうとマシロは思った。
窓の外が、いつの間か濃い茜色に染まっていた。それを見やった澪二が、話の始めにもやったように両手を合わせる。
「ごめんね!重い話して!でもなんかすっきりしたわぁ。――さっきも言ったけど、こんな話、滅多に人には話さないからさ。でも、マシロはたぶん気にするだろうなと思って、いつかは言わないといけないなって、今日話したんだけど……」
澪二の明朗快活な声が、食堂に響き響き渡る。
マシロも、心にあったしこりがいくらか取れた気がして、ふっと緩んだ笑みが出た。
「教えてくださって、すごく助かりました。――今日、この時間がなかったら、僕ずっと悶々とした気持ちで澪二くんを見ることになってたかもしれないです」
「そっか!じゃあ言ってよかった!聞いてくれてありがとなぁ。……今思ったけど、なんか、マシロといると不思議と落ち着くわ。なんでだろうなぁ」
そう言う澪二の顔には、安堵が混じっているように見えた。そのまま澪二が、あっ、と閃いたようにして続けた。
「一回さ、誘の舞、マシロと組にしてもらえるよう恩地さんに頼んでみていい?なんか、マシロと組やってみたいなぁって、今思った!」
願ってもない嬉しい言葉に、マシロは笑みを添え是非、と即答する。それに、澪二も破顔した。
「ありがと!」
そう言って、澪二は身を乗り出すと、マシロの頭をくしゃっと撫でた。
「なんだこれ、めっちゃふわふわやんけ!」
と、その顔もさらにくしゃっと崩れた。




