#9 自由までの距離
ある日の午後、俺は古い台帳を引っ張り出していた。
二階、王都の鷹の書庫、埃をかぶった本棚の奥。普段は触らない。だが、確定申告の季節が近づくとどうしても目を通さなければならない。
手続き自体はリネットに任せているが、売り上げや税引き前利益など、オーナーとして最低限把握しなければならないことはある。
二重チェックの時に慌てて持ち出しても、間違いの元だ。
税金は、この街で最も誠実な制度だ。逃げようがない。だからこそ、嫌でも正確に向き合う。
ページをめくっていると、古い数字が目に入った。十年以上前の記録。
俺がまだ荷役と配達で体を酷使していた頃のものだ。その数字を見て、ふと昔のことを思い出した。
俺は孤児だった。
正確には、物心ついたときにはもう孤児院にいた。両親の記憶はない。顔も、墓も、名前すら聞かされていない。
ただ院長が一度だけ「お前の両親は立派な人だった」と呟いたことがある。それが本当なのか、子供を慰めるための方便だったのかはわからない。今でもわからない。
孤児院は、王都の外れにあった。古い石造りの建物で冬は隙間風が酷く、夏は湿気が篭った。子供が四十人ほどいた。
食事は粗末で、服はお下がりばかり。だが国が定めた最低限の教育課程だけは、きちんと受けさせられた。
読み書き、算術、簡単な歴史。教師は厳しく怠ければ容赦なく罰を与えた。だが俺は、それに感謝している。文字を読めることは後に決定的な武器になった。
ただ、俺は教室より外にいる方が好きだった。早く働きたかった。頭より体を鍛える方に力を注いだ。理由は単純だ。
体を動かせば、余計なことを考えずに済む。孤児だと言われて胸を痛める暇もなくなる。
粗暴ではなかった、と思う。だが孤児だからと舐めて喧嘩を売ってくる者には、容赦しなかった。
殴られれば殴り返し噛みつかれれば噛みつき返した。そうして身につけたのは、痛みに耐える力と相手の急所を見極める目だった。
十五歳で学校を出ると同時に、孤児院も出てすぐに働き始めた。昼間は港の荷役場で、朝と夜は街の配達をした。体力の許す限り働いた。
眠る時間は、四時間もあればいい方で、たまの休日には泥のように眠った。それでも疲れを感じなかった。
むしろ、体を動かしている方が自分が生きていると感じられた。
孤児院で読んだ本の中に一冊だけ印象に残ったものがあった。貧しい少年が毎月わずかな金を貯めやがてそれを元手に商売を始めるという、ありふれた成功譚だった。
ーー収入の一部を必ず残し、それを働かせよーー
俺は主人公の言葉に従い、毎月必ず一定の金額を残して貯め続けた。一回の額は多くなかったが、十年経つ頃にはかなりの額になっていた。
その大半を海運貿易商人が発行する資金融資の証文と、古びているが何とか住めそうな賃貸用家屋に変えた。
それらから得る定期収入は、日々の生活費はおろか荷役や配達から得る金額をゆうに超えていった。
俺は晴れて労働から自由の身となった。そして、新聞店を開いた。
――なぜ新聞だったのか、と人は訊く。俺は決まって肩をすくめて答える。「紙とインクの匂いが、港の匂いに似ていたからだ」
それは嘘ではないが、本音でもない。本当のところはただ、自分だけの場所が欲しかった。
誰にも指図されず、誰にも急かされず自分のペースで何かを作り出す場所が。
それがなぜ新聞だったのか、正直なところ自分でもよくわかっていない。




