#7 ドレンツ
午後、俺は後見人の窓口へ足を運んだ。
表向きは古書店。王都の下町、大通りから一本入った静かな通りに面している。看板には「ノックス書店」とある。創業は百年以上前、と聞いている。
もちろんそんな歴史は嘘っぱちだが、店の造りだけは本物だ。天井まで届く本棚埃の匂い、年代物の革装丁。客はほとんどいない。だが潰れもしない。そんな店だ。
店の奥、帳場の裏に扉がある。ノックを三回二回、三回。しばらくして扉が開いた。
「よく来たな」
低い声。初老の男が立っていた。恰幅が良く、白髪混じりの髪を短く刈っている。顔には深い皺。だが、その目は鋭い。年の割に背筋はまっすぐで動きに無駄がない。長年の修羅場をくぐってきた男の目だ。
ドレンツ。副長の一人に仕える護衛であり、俺の目付け役でもある。もう十年近くの付き合いになる。
「久しぶりだな、ドレンツ」
「そうでもないさ。先月も来ただろう」
「そうだったか」
「お前さん、年々そういうところが抜けてきてるぞ」
ドレンツは笑いながら俺を中へ招き入れた。奥の部屋は応接間になっている。質素だが品のある調度。ドレンツは椅子を勧め、自分も腰を下ろした。
「それで、報告を聞こうか」
俺は頷き、昨夜の経緯を話した。
山猫の根城に着いたこと。グレンがいたこと。頭目はいなかったこと。罠と待ち伏せ。治安部隊の突入。山猫が誓約を破り、殺傷の手を強めたこと。グレンに詰め寄り、脅しをかけたこと。彼を殺す決断をしたこと。そしてーー
銀髪の女が乱入したこと。
「一人で、ほぼ全滅させた。サーベル一振りでな」
ドレンツは腕を組み、静かに聞いていた。その表情は動かない。だが、目がわずかに細められた。
「治安部隊の格好をしていた。兜に覆面。銀髪にブラウンの瞳。年は三十には届いてない、といったところか。武器も腕前も異常だった。鎧ごと人を両断する。煙幕も一振りで吹き飛ばされた」
「煙幕を、か」
「ああ」
ドレンツはしばらく黙った。それから深く息を吐いた。
「よく生きて帰れたな」
「たまたまだ」
「たまたまで十年生き延びられると思うなよ」
ドレンツは立ち上がり、棚から瓶とグラスを出した。琥珀色の液体を注ぎ、俺の前に置く。
「飲め。疲れてるだろう」
俺はグラスを受け取った。一口含む。強い酒だ。喉が焼ける。
「グレンはどうした」
「山猫の別動隊に引き渡した。俺たちの拠点に連れ込もうかとも思ったが、やめたよ。あの状況で幹部を拘束なんてしたら、どんな言いがかりをつけられるかわかったもんじゃないからな。グレンには貸し一つだと念を押して放ってやったよ」
「ふむ」
ドレンツは自分の分も注ぎ、一口含んだ。
「それは正解だったかもしれんな」
「どういうことだ?」
「実はな、昨夜は別の場所でも修羅場があったんだ」
「別の場所?」
「副長が山猫の頭目に呼び出された。俺も護衛として同席した」
俺は眉をひそめた。
「頭目が直接?」
「ああ。滅多に表に出ない男だ。それだけ今回の件がご立腹だったということだ」
ドレンツはグラスを置き、苦笑した。
「『今回の一件、お前たちの仕業か』と詰め寄られてな。当然、あの場にいた全員が否定したよ。俺たちに何の利益がある? そもそも、俺たちの流儀じゃないってな具合にな。奴もそこらはわかっていた。
ただ、治安部隊にしてやられたことへの不満をぶちまけたかっただけだ。副長もそれは見抜いていた。適当に受け流して、最後には『お互い様だ』と笑って別れたよ」
「お互い様、ね」
「そうだ。あのゴロツキ頭領、自分たちが約束を破ったことは棚に上げてな。まあ、ああいう男だ。用心深くて狡猾で、そして自分の部下が失敗すれば責任を押し付ける。典型的な盗賊の頭だ」
ドレンツはそう言って、またグラスを傾けた。
「だがな、寿命が縮んだよ。俺ももう若くない。あんな場に同席するのは勘弁してほしいな」
「生きてるだけましだろ」
「違いない」
ドレンツは笑った。それから、ふと思い出したように俺を見た。
「ところで、昨日の一件はお前さんの新聞に載るのか?」
「載るか」
俺は不機嫌そうに言った。ドレンツは面白がるように目を細める。
「そうか? なかなか面白い記事になりそうだが。治安部隊が盗賊団に大敗、謎の銀髪の女が単身で殲滅。読者は喜ぶぞ」
「誰が書くか。盗賊相手に甚大な被害を出した治安機関。被害どころの騒ぎで済まない山猫。宴にそもそも反対だった後見人。誰もが表沙汰にしたくない。奇妙な連帯ってやつだ。
俺が書けば、今挙げた面々全員が黙っちゃいない。ひょっとしたら昨日のサーベル女が来るかもだ。書くのは趣味だが、自殺願望はない」
「賢明だな」
「当たり前だ」
俺はグラスを置いた。
「なあ、ドレンツ。あの銀髪の女は何者なんだろうな」
ドレンツはしばらく黙った。それから、静かに首を振った。
「さあな。治安部隊にそんな手練れがいるとは聞いたことがない。騎士団の隠し戦力か、あるいはもっと王権の中枢に近い組織か……まあ、どのみち深追いはしない方が身のためだ」
その言葉に、俺は昨夜の光景を思い出した。煙幕を一振りで吹き飛ばした銀の刃。ブラウンの瞳。無言のまま俺を値踏みするような視線。そして、鞘に納めて去っていく背中。
背筋に、冷たいものが走った。
「そうだな」
俺は深くため息をついた。
ドレンツはそんな俺を見て、静かに言った。
「今日はもう帰れ。ゆっくり休め」
「ああ」
俺は立ち上がった。扉に向かい、振り返る。
「ドレンツ」
「なんだ」
「生きて帰れて良かった」
ドレンツは一瞬驚いた顔をしたが、すぐに皺だらけの顔で笑った。
「ああ。俺もだ」
ーーー
その夜、俺は自宅の机に向かっていた。
孤児院にいた頃からの習慣で、その日の出来事を簡潔に記録していく。何があろうと、なかろうと、確かに一日を生き抜いたという確認。
俺はペンを置き、窓の外を見た。
月が出ていた。雲の間から、細い光が差し込んでいる。
あの銀髪の女も、今どこかでこの月を見ているのだろうか。
そんなことを考えて俺は自分で自分に呆れた。柄にもない。記者が感傷に浸る時間があったら、記事を一本でも多く書け。それが商売だ。
俺は机の引き出しから、書きかけの原稿を取り出した。山猫の一件は書けない。だが、別の記事なら書ける。王都の下町で起きている、小さな変化。市井の人々の暮らし。そういうものを、地道に拾っていくのが俺の仕事だ。
ペンを握り直し、俺は原稿用紙に向かった。
窓の外で、遠くの鐘が鳴った。
王都の夜は、いつも通り静かだった。
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それからしばらく、平穏な日々が続いた。
山猫は鳴りを潛めた。治安部隊も動かなかった。後見人は成り行きを静かに、だが抜け目なく見守り、そしてあの銀髪の女も表舞台には現れなかった。
まるで何事もなかったかのように、王都はいつも通りの朝を迎えいつも通りの夜を迎えた。
俺は新聞を刷り配達し、リネットに給料を渡したまに酒を飲んだ。記事にはならなかったが、あの夜の出来事は俺の記憶に深く刻まれていた。
だが、それだけだった。




