#3 銀の刃
治安部隊が突入してきたのは、それから間もなくだった。
表門が破られ怒号とともに先頭の十数人の兵が雪崩れ込んでくる。王都の正規兵だ。鎖帷子に青い外套、兜の前立てには王都の紋章。装備と隊列は整っているが、動きも通り一辺倒だ。彼らはこの建物がどんな場所なのか、何も知らない。
山猫の連中は待っていたとばかりに動いた。
床が跳ね上がる。先頭を走っていた兵の一人が、足元の仕掛けを踏んだ。金属の爪が宙を裂き、悲鳴と血しぶきが上がる。壁の影から弩弓が火を吹く。天井裏からは矢が降り注ぐ。手練れの弓兵が、狙い違わず兵の急所を射抜いていく。
「かかったな、間抜けどもが!」
グレンが笑った。他の連中も閧笑する。彼らは楽しんでいるのだ。自分の手で罠を仕掛け、兵を屠ることを。戦いではなく狩りだ。
治安部隊は統率を失いながらも必死に持ちこたえ、後続がフォローに入る。それでも罠が発動し、矢が降り注ぐたびに一人、また一人と倒れていく。形勢は明らかだった。このままいけば、そう遠くないうちに全滅する。
俺は動いた。
「グレン」
声は静かだったが、グレンは聞き取った。酒を飲みながら戦況を眺めていた男が、ゆっくりとこちらを振り返る。
「どうした新聞屋。見ての通り順調だぞ」
「話が違う。やりすぎだ。死人は抑える約束だったはずだ」
「ああ? そんな約束、知らねえな」
グレンはにやついた。周りの連中も、俺を値踏みするような目で見ている。
「頭目は来ていない。お前の独断か」
「頭は関係ねえよ。俺たちが好きでやってることに、いちいち口出しされる筋合いはねえ」
とうとう武器を捨てて退く者や床にうずくまって動けない兵にまでとどめを刺し始めた部下たちを尻目に、グレンはことも無げにそう言ってのけた。
「それは、俺たちと結んだ誓約を、正式に破棄すると。そういうことで良いんだな」
俺は一言ずつ区切り、念を押す。グレンはふんと鼻を鳴らし、杯を置くと腰を上げた。彼我の距離は三歩。彼の右手はすでに腰の剣の柄に触れている。
「誓約だと? 偉そうに。後ろ盾がなけりゃ何もできんブン屋風情が、調子に乗るなよ?」
凄みのある声だった。騎士団の士官だっただけのことはある。殺気を纏うだけで、空気が変わる。周囲の連中も手を止め俺たちを見ている。
俺は表情を消した。
「本当に何もできないか、試してみるか」
押し殺した声でそう言い、懐に手を差し込む。
後見人たちは、山猫が約束を守らない可能性を当然ながら考慮していた。いざとなれば頭目、いなければその場に居る中で最高位の幹部を見せしめに始末し、ダークタウンの番人をコケにした代償を払わせる。
俺が密かに背負った、もう一つの役目だ。危険極まりない任務だが、俺ならば完遂し生き残れる――彼らはそう判断した。
頭目を筆頭に手練れ揃いの幹部陣、その中の誰が来ても確実に仕留められるよう「特別な準備」もしてきた。内ポケットの小瓶と金属が、掌でひやりと冷たい。
グレンの目が据わる。望むところだと、彼もまた息巻いた。互いにとって致命的な一歩が踏み出される。
その刹那――
広間の空気が、変わった。
風が吹いた。そう錯覚するほどの速さで、何かが動いた。
前線が崩壊しつつあった、治安部隊の後方――彼らの頭上を、一人の兵が跳び越えていく。いや飛んだのだ。人一人の背を踏み台にし、次には別の兵の肩を借りまるで水の上を跳ねる石のように、戦場の只中を駆け抜けていく。
体格からして女か。治安部隊の正装。兜。顔の下半分を覆面で覆っている。兜の隙間から、銀髪がわずかにのぞいた。ブラウンの瞳が燭台の灯りを映して光る。無言だった。
まず、弩弓を構えていた壁際の射手の頭が胴体から離れた。次に天井裏から矢を射かけようとしていた弓兵の腕。それから、給仕に扮していた女が懐から暗器を射出するより早く、その胴を両断する。
援護射撃の担い手達を瞬く間に一掃すると、女は駆け抜けながら山猫の主力部隊を一方的に屠っていった。
何だ、あの武器は。
サーベルだった。細身の刃。だがその斬れ味は尋常ではない。鎖帷子を裂き、兜を割り鎧ごと人の躯を薙ぎ払う。金属がまるで野菜のように断ち切られていく。矢も、槍も、剣も、彼女の前では意味を成さない。斬られるとき、金属が悲鳴のような音を立てる。一太刀ごとに、鮮血が壁を染めていく。
女が刃と一体化して、嬉々として踊り狂っている。そう見えた。無言のまま。しかし刃は喜んでいる、そんな錯覚を覚えるほどに、その剣技は完成されていた。
一人、また一人。今度は山猫の構成員達が、まるで熟れた果実が落ちるように次々と倒れていく。
広間が静まりかえった。誰も動けない。俺も、動けなかった。あの速さ、あの太刀筋の中で、一体どうやって加勢すればいい? いや、そもそも加勢する必要があるのか?
グレンも、剣の柄に手を置いたまま凍りついていた。この男も、目の前の光景が信じられないのだ。騎士であった彼が、これほどまでに圧倒されるとは。
「な……何者だ、貴様!」
グレンが叫んだ。その声は、恐怖で震えていた。
女は答えなかった。ただ、サーベルの柄を握り直し静かにグレンへと歩み寄る。その足取りは、先ほどの疾風のような動きからは想像もできないほど、静かで優雅だった。
俺は、背筋が凍るのを感じていた。




