第99話「暴露語り」
二本の糸がそれぞれ別の場所へと伸びていくが、大神官以外は視認できない。様子を見守っていた神官長でさえ視線は固定されたまま。
硝子扉の中で糸車がカラカラと回る。白炎は変わらずに揺らめいて、金粉のような輝きを散らし続ける。
赤い目の瞳孔が縮小していき、瞼がぱちぱちと動く。その体を支えていた骨壷騎士の手の平で、心臓が跳ねたかのように胸が震えた。
「……ケイジ様?」
婚約者の体の上で涙を流し続けていた令嬢が、白魚のような指先で口元を押さえた。
右胸に刺さっていた剣が絨毯の上に落ちても、血が噴き出ることはない。裂けた衣服の下には透明な糸で縫われたような傷口。
その光景に見覚えがある男装女騎士は瞠目し、洋燈の硝子扉を静かに閉じる人型スライムへと振り返る。
「夕焼けの街で」
目に痛いほど真っ赤に染まった人間の住処。綺麗と感じることはなく、ただ早く終わればいいと願ったあの日。
腕が千切れて水分を失っていく体にスライムとしての生存本能と、女神からの頼まれごとをこなすために。
聞き入れてもらえないだろうと高をくくって、嘲笑うように命乞いしたはずだった。
「助けてもらった恩は返した」
愚かな人間。騎士としての務めも忘れたのかと思えば、幼馴染すらもお人好しで呆れ返った。
しかしそこから短期で上手く事を運ぶ策略は人型スライムにはなく、仕方ないと長期計画へと切り替える。
懐柔して二人目の神子――聖女の下へ。適度に切り抜けて、早々に終わらせるつもりだったのに。
頼られて、信じられて、助け合って。
そんな人間らしいことなど味わいたくなかったというのに、人型という体構造に引っ張られて意識がそれに沿ってしまった。
擬似的な魂の器。人型を動かすために必要な感情や心を真っ新な状態で詰め込んだのが悪かったかもしれない。
「お前のせいで失敗した」
文句を垂れる。計画が台無しになった責任を押しつけた。
床にうずくまったまま怯えている第二王子のように、救いようのない愚者であれば心底清々しかったのに。
「そうか。ざまあみろ」
不機嫌そうな人型スライムの額にデコピンし、魔導騎士は意地の悪い笑みを浮かべる。先ほどまで死にかけた人間とは思えない明るい表情だ
小さな衝撃が残る額を指先で触りながら、人型スライムは深々と息を吐く。
「ほーん、ちなみに命惜しさで嘘ついてるとかは?」
「ならば好きにしろ。その方が自分は好ましい」
国王の言葉に対し、人型スライムは洋燈をすんなりと差し出す。
鎖の先で揺れる洋燈は美しいままで、その中にある白炎に未練がある大神官が密やかに受け取ろうとした。
「女神もそれを望まれています」
貴族の人波からするりと抜け出してきたのは、大神官に負けず劣らずの美しい男だった。
大神官が中性的で男女両方から惚れ込まれるような外見だとするならば、その男は清潔感と真っ直ぐな背筋から溢れる仕事ができる男という雰囲気である。
その顔を見た神官長が驚きのあまり大声を出して、ぶるぶると震えながら男の顔を指差す。
「貴様は拝聴者!何故老けていない!?」
「少々事情がございまして。お久しぶりですね、神官殿。
出世されたようですが、固い頭を柔らかくできましたか?」
深々と直角のお辞儀を行う拝聴者は、微笑みすらも優雅で気品に溢れていた。
後ろに流した銀髪に、理知的な緑色の瞳。金縁の片眼鏡は素材が最上級であることは輝きが物語っている。
しかし狼狽する神官長への言葉は親しみと皮肉が込められており、二人の間に見えない火花が散る。
「し、神官長……本当にこの御方は拝聴者なのですか?」
憧れの存在が現れたことに興奮する大神官は洋燈からあっさり離れてしまい、無邪気な子供のように瞳を輝かせている。
「信仰に厚く熱心な神官殿に、詐欺師と怒られて教会から追い出されたのがまるで昨日のことのようです」
「突如教会にやってきて『石板が機能していないようなので、代弁しにきました』とか告げられて信じられるかっ!」
「しかし女神様の運命によって決定された未来をお伝えしたでしょう」
「数年は経たないとわからなかったぞ!」
同い年のような会話ではあるが、拝聴者の外見は男盛りの二十代後半といったところだろう。
すらりと伸びた高身長に合わせた執事服。片眼鏡にも見覚えがある魔導騎士は、珍しく呆けた顔で口を開けていた。
それは聖女や令嬢も同様で、彼らの珍奇な表情を見て愉快そうな拝聴者はいつも通り話しかける。
「生きているようでなによりです、坊っちゃま」
それは老執事のみが使っていた、魔導騎士を指す呼び方。
いきなり若返ったことよりも、普段の老人姿から想像もできない美男子の外観に驚きを隠せなかった。
「あ、あの私、貴方のことを昔から憧れておりまして……」
「ハンス!」
英雄に握手を求める子供のような大神官に、神官長から怒りの声が迸った。普段は穏やかながらも毅然とした性格で、信仰の第一線に身を投じる長の姿とはかけ離れていた。
二人の因縁は他にもいくつかありそうだったが、今は関係ないと拝聴者は人型スライムの横へと移動して足を止めた。
「ライム様、新しい服です」
「そんなアンパンみたいなノリで……」
聖女しかわからない呟きは華麗に無視される。そういえば挽肉のように叩き潰された後、第一王子の上着しか羽織っていなかった。
布袋に入った衣服を受け取る人型スライムだが、着替えるのも億劫になったらしく目立った動きは返さない。
膝の上に布袋と洋燈を乗せて、絨毯の上に座り込んだ人型スライムは問いかける。
「女神か?」
「その通りでございます。暴露役が必要だと」
「勝手にしろ」
三大派閥の中でも国王に次ぐ権力者である神官長の態度により、美男子は拝聴者として受け入れられた。
かつて女神の声を聞いて、教会へと赴いてみたが信じてもらえず、未来の出来事を予言して消えた伝説の男。
それが人型スライムと親しげに話している姿と、魔導騎士の瀕死からの回復。それらがその場にいる人間達に嫌な予感をじわりと滲ませていた。
女神の力で何かが起きている。
その中心にいるのは女神の加護である結界をすり抜けた魔物。
ならば人型スライムは本当に女神の声を聞いて従っているとすれば。
「女神様は我々人類を見放しました」
不安を裏付けるように、拝聴者は淡々と告げた。
神言によって未来を予言した男。感情の起伏を言葉には宿さず、明確な真実のみを伝える。
誰かが衝動的に「嘘だ」と言おうとしたが、国王が黙っているため些細な騒めきが広がるだけだ。
「決定的な原因は一人目の神子様が竜谷で死んだことです」
事件の裏側を語る探偵か、全てを知っていた隠した犯罪者の独白か。
どちらにも取れるような口調で、拝聴者は全員に言い聞かせるように語り続ける。
「女神様がお選びになった素晴らしき神子様を、貴方達は見捨てました」
「……」
「さすが国王様は自覚しておりますね。
人類の策略によって殺されたことなど、天の女神様はお見通しでございます」
運命の歯車を回す、天の女神。その存在の大きさを知っている者は、背筋に冷たいものが走る。
人間を騙すことはできたとしても、女神の瞳は糸を解くように真実を見抜く。
もしも男神を救うため人類に与えた浄化の力――神子を意図的に殺されたとわかった女神が天罰を考えるならば。
「命を大切にしない人類の皆様に御用意したのがこちら」
美しい仕草で人型スライムに注目が集まるように手を動かす。
語りを拝聴者に全て任せた魔物は、青い瞳の奥で始まりを思い出していた。
「人類の自滅装置――人間に転生させたスライムです」
愚かな人類の手で殺されるために生きることが決まった、転生失敗記念日だ。




