第97話「第二王子の狂乱」
居心地が悪そうな大神官だったが、粛とした態度で背筋を伸ばす。
美しい顔には凛々しさと共に困惑の表情が浮かんでおり、視線は婚約者に体を支えられた魔導騎士へと向けられていた。
「皆の者も見ていただろう?
あれだけ切り刻まれても、この魔物は死ななかった」
挽肉のような状態から人型を取り戻したスライム。青い瞳には苦痛など一切宿っておらず、状況を把握するかのように視線をきょろきょろと動かしたまま。
魔物共通の弱点は生命核だ。どのような形であれ、それを心臓や脳の代わりとするからこそ骨だけの体であるスケルトンは動けるのだから。
何度死んでもおかしくなかったはずなのに、人型スライムは生き続けている。
「第二王子の管轄で調べても、生命核は一切見つからなかった……そうだな?」
「は、はい!それこそ耳の鼓膜や眼球の水晶体まで調べたので、確実です!」
「……ライムさんが死なないからって、何をしたんですか?」
「魔物に与える慈悲はない!」
聖女の怒りが込められた問いかけに、第二王子は突き放すように答えた。
想像だけで気分が悪くなった貴族達は、何人かが口元を手で押さえた。魔物とわかっていても、人型スライムの外見は人間そのものである。
うっかり自分に置き換えてしまった繊細な感性は、その非道さに耐えきれなかったようだ。
「大神官ハンス・アムダ。その洋燈をこちらへ渡してもらおうか?」
渡すようにと圧をかけるため、国王の手が差し出される。少し離れた位置の神官長が大神官に視線で従えと指示する。
その全てを理解した大神官は国王に向かって歩み出す。歩く姿すらも美しく、荒れた謁見の間でさえ彼のために用意された舞台の如く。
魔導騎士は状況を静かに見守る。人型スライムの視線が、動かなくなっていた。
「国王陛下。こちらの洋燈について少々説明してよろしいでしょうか?」
国王の十メートル手前で立ち止まり、大神官は深々と頭を下げた。
差し出された手が下ろされた。国王は眉をひそめつつも、続きを促すように無言で頷いた。
「こちらの洋燈には女神の力が宿っております」
「証拠は?」
「女神信仰の優秀な魔法使いにしか確認できませんが、内部で女神の力の証明である白い炎が燃えているのです」
「ホラ吹きにしては稚拙だと思うが」
「我が敬愛する女神に誓い、真実のみ述べております」
国王の視界では、水晶の形をした硝子内部は空っぽだ。それは謁見の間に集った王子達や貴族達も同様である。
「教会にて大神官殿とケイジ殿がそう話しているのを聞いております」
「僭越ながら僕も耳にしました。生命核であることは知りませんでしたが……」
骨壷騎士が補填するように告げると、間抜け騎士も説得力に厚みを持たせるために口を挟んだ。
すると国王の視線が魔導騎士へと向けられ、聖女が驚きの表情を浮かべている様子も同時に捉えた。
「え!?その歯車を中心に燃えているの、女神様の力なんですか!?」
「そなたも見えているのか?どんな風か説明できるか?」
「歯車が白い炎の中心で回ってて、金色の粉がキラキラと散っています」
「なぜ、他者に確認しなかった?」
「だって洋燈だから、火が入ってるのは普通じゃないですか」
国王に問いかけられて、聖女は気まずそうに答える。同じものが見えているとばかり考えていたのだから仕方ない。
第一王子には何も見えないのだが、前世図書館に引きこもっている来世の意思が「体の都合だろう」とあっさり答えを出していた。
異世界の少女という特例を除き、国王は改めて魔導騎士へと視点を定める。
「ケイジ・ドラコー。どこまで存じていた?」
「……」
「答えぬのならば、今すぐ洋燈を破壊する」
国王の宣告に慌てたのは大神官の方だが、魔導騎士は絞り出すように吐露する。
「陛下が把握された内容全てでございます」
「秘匿した理由は?それが背信であると理解していたのか?」
鋭く厳しい声音は相手をひれ伏せさせる力があり、魔導騎士の全身に重くのしかかるものだ。
臓器が痛むのを感じながら、新しい血をこぼして魔導騎士は口に出す。
「ライムが俺を信じて、打ち明けてくれたから」
国王相手への口調も忘れた。答えは最初から決まっている。
生意気で可愛げもなく、別に素直でもない。困っている時に助けてくれるような性格ではないが――憎んだことはなかった。
いつの間にか信頼していた部分もあり、疑いが残りながらも心のどこかで願っている。
「悪いスライムではない」
それが魔導騎士から見た人型スライムの評価だ。
赤い目が優しく細められて、口元は緩やかな弧を描く。
「女神様の加護を受けているから、結界が通じない魔物です。
身元の保証は天の運命が証明しております」
大神官が勇気をもらったかのように国王へ進言し、聖女が同調するように強く頷いていた。
骨壷騎士は黙しているが反論する気配は感じられず、護衛騎士達は力強い瞳で国王の答えを待っている。
そして人型スライムは――信じられないといった表情で呆けていた。
四方八方から響く女神の声には耳も貸さず、人型スライムの青い瞳は魔導騎士を映していた。
老執事の様子から全てを知ったはずなのに、どうしてそんな言葉が出てくるのか理解できない。
「あ、そういえばこの糸切り鋏も女神様の力なんですか?」
状況が変わって安心したのか、聖女がローブマントのポケットから蹄に似た形の道具を取り出す。
「寄越せ!」
すると第二王子が聖女の手からあっという間に奪い去り、距離を取ってしまう。
処刑人の横へと移動し、安全地帯と言わんばかりに邪な笑みを浮かべた。
「ど、泥棒!それは元の世界に変えるために必要な……」
「魔物が渡した道具を頼るのか!?」
「貴方よりライムさんの方が信じられます!」
「っ、処刑人!」
聖女の発言に怒りを滲ませ、第二王子は処刑人へと糸切り鋏を手渡す。
一瞬で床へと落とされて、斧で砕かれる。真っ二つになった道具は塵へと変貌してしまった。
「あぁっ!?」
「これで聖女は元の世界に帰れないなっ!?」
急に動き出した人型スライムが第二王子へと突進し、床へと押し倒す。すぐさま処刑人が大きな手で体を掴み上げ、人型スライムを柱へとぶつける。
首を締め上げながら柱へと縫いつけて、もがく人型スライムの腹へと斧を突き刺した。
「ハルカ、これでわかっただろう!?」
「ライムさん……」
「今すぐこの世界から逃げろ!」
赤い絨毯の上に散らばった――黒い糸切り鋏。
それはただの裁縫道具である。あえて偽物を出した聖女は、迷いながらも白い糸切り鋏を取り出した。
女神の力の象徴色は白。それを思い出した第二王子は顔面蒼白になり、人型スライムへと憎々しげに睨む。
「貴様ぁっ!魔物の分際で!」
「ちょっと、ワシの命令なしで勝手な判断は……」
「うるさいっ、それを寄越せぇ!!」
「ライムっ!」
魔法で作り上げた水球で処刑人を吹き飛ばすと同時に、人型スライムへ水分を与えて傷を修復させる。
聖女へと掴みかかろうとする第二王子を、護衛騎士達が身を挺して守る。大盾に全身を打ちつけた第二王子が床を転がり、骨壷騎士が手を貸そうと駆け寄った。
しかし踵を返した第二王子は骨壷騎士の手を払いのけ、大盾と衝突した際に間抜け騎士の腰から奪った抜き身の剣を持って大神官へと迫る。
「父上!」
第一王子が国王を大神官から離れさせる。戦闘の経験が一切ない大神官が立ち尽くし、恐怖の表情で固めたまま振り上げられた剣の刃から目を離さない。
硬直した体を突き飛ばしたのは駆け寄った人型スライムで、第一王子から借りた上着の袖を腕と一緒に切り裂かれた。
しかし切り落ちるには至らず、深い傷口水がこぼれ続ける手で大神官の腕から洋燈を奪い返す。それを抱えて壁際へと逃げる人型スライム。
目を血走らせた第二王子は、その背中を切りつけた。
大量の水を血のように噴き出した体は崩れ落ちて、手からは洋燈が転がって離れていく。
手を伸ばす人型スライムの目前で洋燈は踏みつけられ、第二王子が勝利を確信した歪な笑みを浮かべていた。
「これでおしまいだ!」
断頭台の如く、真っ直ぐに刃が落ちていく。
その瞬間、人型スライムが初めて見せた表情は――。
天の糸車が回る。決定的な結果が、その場を支配するのに時間は必要なかった。




