第82話「脅威の目的」
咆哮一つで王都に存在する全ての生命が目を覚ます。
中には恐怖で心臓が止まり、小動物などは気絶してひっくり返ったものも多い。
とある家では老人が泡吹いて倒れてしまい、赤子がひきつけが治らずに息苦しそうに顔を青ざめさせていた。
それは一番距離が近かった壁上の避難所も同様で、騎士達が一斉に剣の柄に手を触れた。
しかし鞘から刃を引き抜けなかった。指が震え、腕全体が使い物にならないくらいに恐怖で硬直する。
第三王子は第一王子の背中に隠れていたが、表の意識を担うケンジは即座に気絶。仕方なく前世図書館に引きこもっていたケンイチ――ユラハンが表に出てくる。
緑色の鱗がエメラルドよりも強く輝き、頭上には槍のように鋭い二本の角。ギョロリと動く黄金の瞳は、虫ケラを見るように避難所を見下ろす。
翼の羽ばたき一つで子供や老人の足が地面から離れるので、騎士達が一ヶ所に集まって身を寄せ合うように慌てて指示を出すほどだ。
太い四つ足で瘴気に溢れた貧民街を踏み、陣取るように着地。その巨体は一般的な家屋二つ分で、鼻から漏れ出る吐息は肌をじりじりと焼くように熱い。
「竜……」
竜神が生み出した生物。
人間とは別種の知的生命体として構築された、空の覇者。
天の女神に牙を剥き、大陸一つさえも滅ぼした脅威の象徴。
前世図書館に刻まれた名前は『ドラゴン』であることを、第一王子は思い出した。
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壁越しにもその頭は街のあらゆる場所から目撃できるほど大きい。
初めて見る本物の竜に聖女は言葉を失い、騎士達もその巨体さに驚きを隠せなかった。
竜自体は珍しいものではあるが、騎士達は見たことがある。竜谷と呼ばれる秘境においては、竜型の魔物も存在するほどだ。
一人目の神子は竜型の魔物に殺されているが、それでさえ馬車ほどの大きさと言われていた。
そもそも竜型の魔物というのは――弱体化している。
幼くして死んだ竜や、蜥蜴のような姿に翼が生えた程度など、その強さは成長した竜に比べれば赤子よりも下である。
では壁越しに頭が見える竜は魔物か。答えは否。
咆哮だけで王都中を震わせられる魔物が、今まであの大きさで隠れられるのは無理だ。
「セ、セバスさん……?」
「あれは計画外の存在でして、何が目的かは存じませぬ」
「でも来ることはわかっていたんですよね!?」
「女神様から伝えられていましたので」
混乱する聖女の問いに答える老執事だが、その内容は「詳細は知りません」と同義である。
どうにか有益なことを聞き出したい聖女だったが、暖簾に腕押しとわかると魔導騎士へと助けの視線を向けた。
「セバス、聖女様は竜自体の情報を知りたいのではないか?」
「なるほど。では僭越ながら、基本的なことをいくつかお教えいたしましょう」
「お願いします!」
竜は体の機能的に瘴気の影響をほぼ受けつけない、生物全体で魔物へと変質しにくいなどを聞いている最中。
美しい婚約者が部屋に入ってきたことを、魔導騎士は確認する。なるべく足音を立てないように進み、花弁のように綺麗な唇を動かす。
「ケイジ様、この後はどういたしますか?」
「……」
魔導騎士は骨壷騎士の監視の下で行動を許されており、聖女の居場所を知ってしまった。
こうなると骨壷騎士は国王へいつでも聖女の所在を報告することが可能だ。少なくとも婚約者の屋敷で隠し通すのは難しい。
口止めするにも脅迫の材料など持っていないし、懇願を叶えてくれるかすらわからないのである。
「あやつ、これを予測していたのか……」
しかし骨壷騎士が漏らした予想外の言葉に、魔導騎士は反応した。
思い出すのは魔導騎士団長の脅迫後だ。一時的に監視から離れて、わざわざ王宮騎士団長へと会いに行っている。
現在の王宮騎士団長は国王の弟であり、堅実で厳粛な人物ではあるが国王のような覇気は持っていない。老獪な魔導騎士団長相手には歯が立たないだろう。
「ハナヤ殿」
「聖女様は一体どこにいるのだろうな」
「……」
「捜索はまだ続きそうだな」
「ええ、そうですね」
彼なりの誠意と、現状を混乱させたくないという意思表示。
見逃してもらえるとわかったことを察知し、婚約者は深々とお辞儀する。
「レイ、お前は聖女様の護衛を続けろ」
「かしこまりました!」
「ドージは俺達と一緒に壁上へ戻るぞ。避難民達が心配だ」
「は、はい!」
屋敷で行うことは全て終えた。聖女の居場所を知ることができたのは嬉しい誤算だった。
老執事の動きや女神達の目的などは気がかりだが、竜が現れた今となっては二の次にするしかない。
聖女が不安そうな表情で振り向き、部屋を出て行こうとした魔導騎士に声をかける。
「ライムさんのことは、その……」
「なんとかします。まだ具体的なことは思いついてませんが」
正直に話す魔導騎士。忘れてはいないし、今も拷問まがいの実験を受け続けている。
しかし生命核は大神官が抱えており、今すぐ即死という事態には陥らない。
それを信じて目前の状況に立ち向かうしかない。すぐさま屋敷を後にした魔導騎士達は見えなくなった頃、聖女はポツリと呟いた。
「……無事じゃないんだ」
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監禁されている場所まで響いた咆哮は、研究者達など大勢の意識を外に向けた。
こうしてはいられないと部屋から飛び出していき、檻の中に残された人型スライムはずるりと体を動かす。
汚れた床に残された水飛沫を舌で舐め取り、砂混じりの感触を歯で味わう。まずいとは思いつつも、贅沢は言ってられなかった。
「あの声は……」
体の奥底、びりびりと痺れる感触を覚えている。
まだ森の中で平和な時を過ごしていたスライムだった頃。森を害する敵に対し威嚇をする時に放たれていた。
水を飲めるだけで満足だった当時は気にしなかったが、人型になってからは女神に確認しながら正体を掴んでいた。
瘴気の森――以前は女神の森と呼ばれた場所を棲家とするもの。
不満そうに話す女神が印象的で、そのことについては深く尋ねた。
竜は縄張り意識が強く、棲家としたものを永住の地にするという。
そのため血縁同士でも争いを行うことが基本で、群れとして過ごすことはない。
卵から這い出た時から強大な孤独者として生きる。それも竜神が彼らとの交流を断ち切ったからだという。
女神は詳しくは話さなかったが、かつて竜神は配下の全てを使って女神を殺そうとした。
竜と神の戦いは天上で繰り広げられ、大地には両者の血だけが降り注いだという。
真っ赤になった大地に残されたのは竜の卵だけ。そして竜神は彼方へと隠遁し、戦いに参加した竜は姿を消したと言われている。
女神の森に住んでいた幼い竜は、その戦いに参加できなかった。
最初は女神も殺してしまおうと思っていたが、これ以上の争いを嫌がった他の神に止められたという。
女神の運命の糸が絡まない、竜神の愛し子達を見逃すことしかできなかったことが屈辱だということは、人型スライムにもなんとなく伝わっていた。
そして森の守護者として成長した竜が、スライムの頃に聞いた咆哮の正体であることを知った。
ならば、竜が王都へと訪れた理由は明白だった。
{神子はどこだ?}
空気を震わせない、しかし王都中に伝わる大声。
愚かな人類の手によって永住の地を奪われた竜による、報復だ。




