第80話「転生成功者」
第一王子は憂鬱な気分だった。
馬車の中で落ち込む姿を見られる者はいないが、本人は隠し通した素顔である。
「なんで来世が異世界なんだよ……」
異世界転生成功者である男の嘆きは、馬車の車輪音で掻き消えるものだった。
文武両道というのは生まれ持った素質と前世の培った教育の賜物でなんとかなる。
できれば第四王子くらいの才能が欲しかったが、それはそれで大変そうだと思うしかない。
――――――――;
記憶を思い出したのは十四歳。
学校生活の中で棚から落ちてきた辞書で後頭部を強打し、倒れた先で椅子の背もたれの角へとぶつかって額に傷を作った時だ。
頭部を同時に前後両方から刺激を受けたせいなのか。五十六歳の藤田賢治は理解した。
これは電車中に読んでいた異世界転生物では?
浮かれたのも束の間。十四年間生きてきた少年の意思が、説教してきたのである。
それはもう大の男が涙をこらえてブルブル震えるほどの怒り方で、期待に膨らんだ気持ちは萎んでへこんだ。
しかし怒り終えた第一王子は名案を思いついたと言わんばかりに笑い、挑発するように告げる。
――二人三脚で行こうじゃないか。
――その前世の知識とやらで、悠々自適な生活を送るために。
冴えないサラリーマンだった藤田賢治の異世界転生はそうやって始まったのである。
前世の記憶の最後は早逝した妻の忘れ形見である娘の一人息子が小学校入学してから数ヶ月後。
お祝いもやり尽くして、出世の道から少し外れた時期。孫の成長を楽しみに、一人暮らしを謳歌してた矢先の事故だ。
老いて介護などの迷惑かけるよりはよかったかな、と後悔などはなかった。
それも異世界転生に成功したから故の思考だが、物語の中でしか味わえないファンタジー世界を前に興奮してたのもある。
ワクワクした気持ちを来世の意思に一喝されつつも、十四歳から表の生活を担うのは藤田賢治――ケンジとなった。
第一王子は意思の中にあるという前世図書館で知識を漁りまくり、藤田賢治が培ってきた娯楽などを楽しみながら司令塔として活動するのである。
第一王子の名前だとややこしいので、前世図書館の知識からケンイチと名乗ることにした来世の意思は、中々老獪な少年だった。
父親の影響だと笑う少年の指示に従えば全て上手くいくのである。チートスキル『来世の意思』なんてありなのだろうか……と思いつつも、ケンジはそうやって立派な第一王子を演じ続けてきた、が。
「兄上、たまには表に出てきてくださいよ」
第三王子と一緒にお菓子を食べていた第四王子が、気楽な世間話のように話しかけてきた。
十歳前後で固有名称『魔王』を倒した少年は、何かを考えている様子はない。硬直してしまったケンジの反応に、第三王子は双子の弟が発した言葉を検証する。
結局、双子の弟達に前世についてバレてしまった。ただし異世界であることは伏せるが、第四王子はおそらく気づいているだろう。
秘密を知られてしまった以上、二人には協力してもらう他なかった。
司令塔として思考を伝え続ける第一王子に命令されながら、第三王子を中心に共謀を企てる。
前世の中間管理職経験が来世に活用できる日が来るとは思わなかったが、おかげでケンイチの願いは叶えられるだろう。
――――――――;
そして第一王子は壁の上層部に向かって、巨大な歯車に囲まれた細長く急勾配の階段をゆっくりと登っていく。
若い体は息切れ知らずであり、高性能な身体能力に感謝する。前世の体であれば三分の一も進めなかっただろう。
本当は聖女が召喚された時、その名前を聞き取ることができた。しかし味方になることも、秘密を打ち明けることすらできなかった。
頭の中で来世の意思が、厳しい表情で制してきたからだ。
神子の喪失から、魔法による異世界召喚。
その光景を共有して眺めていた来世の意思は、目を見開いて言い放った。
――繋がった!?
その感覚をケンジも理解した。異世界へと伸ばされた糸が引き寄せたものは、三つある。
一つが異世界の少女である聖女。二つ目は自分自身。最後はぷつりと途切れてしまい、正体を追うことができなかった。
ただわかるのは聖女召喚の際に使われた魔法陣をきっかけに、関連性がある異世界の人間は三人存在している。
生きたまま異世界『転移』した少女。
死んで一足早く異世界『転生』した男。
時系列が歪なのは、初めての異世界召喚が完成していないからだ。
そのせいでケンジは召喚よりも二十年以上前に生まれ、成長してから偶然にも記憶を取り戻したのだ。
少女と面識がない男は、とりあえず彼女が死なないように裏から手を回しす事しかできなかった。
来世の意思であるケンイチには渋い顔をされたが、なんだかんだでローブマントを贈るという案は彼が出したものだ。
二人の第一王子にとって最大の障害は第二王子だ。そして目的を達成するのに必要なのは第三王子。
自然に失脚してくれるならば大歓迎だが、それで同郷の少女を見捨てる選択肢は選ぶことができなかった。
冷たい夜風が吹く壁上は避難民達の不安そうな吐息や緊張感に包まれており、騎士達が動き回ってるせいで安らげる印象はない。
第一王子を目視した第三王子が駆け寄ってくる。その顔には焦りと動揺が浮かんでおり、汗が肌表面を流れ続けている。
「用件とは?」
頭の中にある来世の意思と同じように振る舞い、完璧な第一王子を演じる。
十年以上はこのように過ごしてきたため、呼吸をするよりも簡単なことである。前世図書館に引きこもりがちの来世の意思から文句はない。
その堂々とした振る舞いに騎士達は安堵の顔で敬礼をするが、第三王子は冷たくなった手で誘導してくる。
目の前には石板。
ケンジだけでなくケンイチも読めない。
異世界でも、この世界でも。人間が使う文字ではないからだ。
「これは?」
「貧民街の瘴気噴出の原因と思われます」
「……推測のみで呼んだのか?」
「違います。問題はこの文字です」
大きくて鋭い刃先で刻まれたような文字を指でなぞり、第三王子は絞り出すように告げる。
「神と同等の存在がこの文字を扱います」
ケンジにはピンと来なかったが、表情を引き締めて続きを待つ。
頭の中で来世の意思が教学で言葉を失っているため、相当な問題なのだろうという予測はできた。
「聖女ならば解決できるか?」
「無理でしょう」
静かな断言は諦観を示していた。
少しだけ安堵したのはケンジだった。ただでさえ生贄問題で大変だというのに、これ以上普通の女子高生に重荷を背負わせたくなかったのである。
できればそっと異世界に帰って、平和に暮らしてほしい。このまま行方不明となって、女神が選ぶ神子が現れれば問題解決だ。
「国どころが大陸を滅ぼす相手です。武力すら紙切れですよ」
第三王子の言葉に、ようやくケンジも問題の大きさに気づいた。
そして理解する。前世よりも早く死ぬ時が来たかもしれない。できればそれは回避したい事柄である。
ケンジは来世の意思の願いを叶えた後、静かに消えるつもりなのだ。今の状況を彼は望んでいない。
若人の人生を奪って生き永らえるほどの恥知らずになりたくない。
その言葉を来世の意思に伝えても、特に返事らしいものはもらえなかったが。
とにかく第一王子だけでなく国や大陸自体の危機という規模の大きさに、立ちくらみすら覚えそうになった。
「脅威の名前を教えろ」
努めて声量を抑えて問いかける。
固有名称『魔王』という魔物であれば、第四王子が対処できるが――。
「 」
聞こえてきた名前は、この世界に相応しくも信じたくない類だった。




