第76話「ようやくの秘め事暴き」
夜遅くにも関わらず、山と積まれたクッキーを食べ続ける聖女。
精神的負担でやつれているということもなく、むしろ怒りを収めるかのように口の中いっぱいに甘味を詰め込んでいた。
一人だけ部屋を通された魔導騎士は、安堵と疑問と驚愕などの感情がごちゃ混ぜになったせいで、最初の言葉が思いつかなかった。
ただ婚約者の美しくも困った微笑に、男装女騎士の熱弁など、情報は留まるところを知らない。
壁際で静かに立ち尽くす若侍女の無事も確認し、女性しかいない空間に入り込んだことに少しだけ引け目を感じた。
しかし好機だった。決意を固めて一歩進み、聖女へと近づいていく。
「聖女様、ご無事で……」
「ケイジさん、第二王子の横っ面叩く算段を立てましょう!!」
拳を固め、片足をソファの背もたれにかけて立ち上がる聖女。身につけている異世界の制服はスカートが短いため、うっかり見えそうになったことに魔導騎士の足が止まってしまう。
さっ、と男装女騎士が聖女の聖域を守るように立ち塞ぎ、壁際から移動した若侍女が大きな布地を持って壁を作る。
「……キトラ」
思わず溺愛している婚約者の名前を呼べば、いつもなら華やかな微笑みに氷のような冷たさが潜んでいることに気づく。
「聖女様と同意見です」
哀れ、第二王子。
どうやら女性の敵として認定されたようである。
「あれ?ライムさんは?」
暴れる小怪獣のような勢いが、疑問によって落ち着いたらしい。
きょろきょろと視線を巡らす聖女は、何度も魔導騎士の周囲を確認している。どうやらいつの間にか二人一組として認識されていたようだ。
ソファから身軽に降りた聖女の、桃真珠色のローブマントがふわりと揺れる。針型杖を手にして、軽やかな足取りで近寄る。
「ライムさんにお礼を言いたかったんですけど……」
「ああ、助けてくれたと」
「元の世界に戻る方法を教えてくれたんです!」
満面の笑みを浮かべる聖女の言葉に、何度目かもわからない思考停止に陥る。
ローブマントのポケットから出てきたのは、裁縫道具の一つ――糸切り鋏だった。蹄に似た形のもので、単純で一般的なものと変わらない。
ただし色が白い上に、刃物のような刃渡りが見当たらない。普通のものは鉄製品であるが故に黒い。
「だから戻る前にお礼を言いたくて」
「ま、待ってください!アイツは、そんなものを隠し持っていたんですか!?」
「隠し持っていたんじゃなくて、ようやく渡せたと言ってました」
聖女は特に気にした素振りもなく、魔導騎士が捕まっていた間の裏話を始める。
雷鳴が落ちた瞬間、二の腕を掴んでくれた手があった。
第二王子とは違う、どこかひんやりとした冷たさ。それが力強く走り出すから、もつれる足を動かしてついていった。
目の前が星が瞬くように明滅しているのに、その腕だけが頼りなまま逃げ出す。
頬の痛みは続いていて、胸は不安と恐怖でうるさいくらい。目からこぼれ落ちる涙は止まらないのに、息が生きたいと叫ぶように肺を動かす。
少しずつ風景がぼやけながら戻って来た頃、扉が開いた馬車の前に立っていた。涙で溶けたような視界の中で、白の長髪が動いているのはわかった。
「ハルカ」
名前を呼ばれて、こんなにも嬉しさが更新するのを知ってしまった。
誰が助けてくれたかを理解して、思わず抱きつこうとした矢先。
手を掴まれて、何かを握りしめられた。硬い、金属製の冷たさ。ぼやけながら思えたのは大きな花びらみたいな、道具。
「これで元の世界に帰れる」
青い瞳が認識できるくらいになって、涙が止まったことに気づいた。
理解が追いつかない頭を置いていくように、若侍女が背中を押して馬車の中へと導いていく。
「ようやく渡せた。さよなら」
そう言って、騒がしい王宮の中へと戻っていく背中。声をかけようにも動き出した馬車の音でかき消えて、何も伝えられなかった。
わかるのはまた助けてもらったこと。居場所がなくなったかのような状況で、逃げ道を作ってくれたことが嬉しかった。
ぼろぼろと、涙がもう一度止まらなくなった。若侍女に支えられて辿り着いたのは豪奢な館の一室。案内してくれたのはドラコー家の老執事。
あまり面識のない老執事の背中を追いかけていくと、驚いた令嬢の顔が待っていた。
老執事の説明を聞くと、美しい令嬢は決意したように深く頷いた。その後は誰かに知られないように部屋から出ることも禁じて、ベッドの上で泣き続けた。
頬の赤みを手当てしてもらい、一晩かけて泣き明かした後。沸々と怒りが湧き上がってきたのである。
どうして、私が。
元の世界に帰れるとわかれば、もう何も怖くない気がしてきた。
王族だろうが、なんだろうが――世界を超えて追いかけることなどできない。
頬の赤みが取れても、殴られたという事実は消えない。
心配して街中を走り回っていた男装女騎士が、老執事の案内で再会できた時には嬉しくて抱きしめあった。
そして怒りが共有される。あの第二王子、少し懲らしめた方がいいのではないか。
女子二人の白熱さが美しい御令嬢にも伝播し、誰も勢いが止めることはできなくなった。
元の世界へ帰る前に。人型スライムへのお礼と、第二王子へのお礼参りが聖女の現在の目的となったのである。
今は体力作りという名の食事で収めているらしい怒りの正体を知り、魔導騎士は深々と溜息を吐いた。
美しき婚約者が一本鞭の方が痛みが激しいと熱弁している様子を聞かない振りして、壁際へと戻った若侍女へと視線を向ける。
「……」
理知的な若侍女はあえて沈黙を貫き、家具の一部のように微動だにしていない。
狭い部屋が世界から隔絶したせいもあるのだろうが、女性陣は正当な意見だということで一致団結して今にも王宮へ乗り込みかねない勢いだ。
「聖女様、ライムは……」
事情を告げようとして、言葉に迷う。
伝えてしまえば、聖女の怒りが助長されてしまうのではないか。
第二王子のせいで非人道的な拷問を受けているとの説明は、敵意を増幅さてしまう要因となって事態を悪化させかねない。
「ライムさんは?」
人型スライムの件に関しては冷静さを取り戻す聖女を前に、魔導騎士は言葉に詰まってしまう。
嘘をつけばその場しのぎにはなるが、少女の気持ちに傷をつけるだろう。特に今は難しい状況が続いている。
その中で聖女の信頼を失えば、彼女は容易くどこかへと消えるのだ。貧民街の危機が終わらず、国の中枢を失うかもしれない。
今、人型スライムは――。
「……」
「ケイジさん?」
思考が、何かを掴みかけた。
人型スライムの真意は掴めないが、聖女を中心に動いている。最初から聖女に会いたいと、言葉も確認している。
魔物が聖女を助けることで利益を得るのか。しかし聖女を助けるための道具は、女神が用意したものだとすれば。
どうして腕が千切れて倒れていた。
あんな路地裏でも、街に住む人ならば使うのが普通のような場所で。
水さえ飲めばくっつく体を持っているのに、飲まなかった理由は。
何かが埋まっていく。
聖女に会うため、人型スライムが一番必要としたもの。
今さらすぎて自嘲する気にもなれず、魔導騎士は部屋から飛び出た。
聖女が止める声も無視して、向かう先はただ一つ。
「セバス!」
馬車の整備をしていた老執事へと声をかける。
息を乱した魔導騎士に対して、彼はゆっくりと振り返った。
「ようやくお気づきになりましたか、坊っちゃま」
月すらも隠れる曇り空の下で、秘め事を暴く時がやってきた。




