第75話「聖女の行方」
夕食を食べ終えた後、夜間の礼拝があるからと大神官にそれとなく出ていくように告げられた。
曇り空が星を隠す夜闇に、家屋の内部から漏れる蝋燭の灯り。頬を突き刺す寒さと、不気味な静けさ。商店街の方から賑やかな声は聞こえない。
大神官は洋燈を手放さないまま、中立を保つと言っていた。女神の意志が確認できない内に、下手なことはしたくないという。
「かつて教会に訪れた拝聴者がいれば……」
それは王都内で密やかに囁かれている話で、ある日教会に神言を受け取ったという男がやってきたという。男が話す未来の話は全て荒唐無稽のようで、戦争まで予言した。
石板で神言を受け取る教会は、そんなことは石板に届いていないと男を叩き出した。時間が経過すると、男が告げた内容は全て真実になったという。
教会が改めて男を探したが、見つけることは叶わず。拝聴者と呼ばれるようになった男の存在は、小さな伝説になったのである。
もしも拝聴者が生きていれば、この状況を予見していたかもしれない。
しかし伝説上の人間に縋るほど余裕があるわけでもなく、魔導騎士は大神官の祈るような言葉を無視した。
「さて、これからどうするか……」
人型スライムの現状を考えると良心は痛むが、助けに行くという迂闊さを魔導騎士は持ち合わせていなかった。
骨壷騎士や間抜け騎士も同様のようで、沈黙したまま立ち尽くしている。
聖女の行方不明は継続。人型スライムに手を出すことは不可能。
貧民街については第三王子が調査を進めているだろうが、夜になった今は中断するしかないだろう。
次の手に迷う魔導騎士の耳に、戸惑いがちの間抜け騎士の声が響く。
「あの……浄化遠征で聖女様の命を狙った不届者についてはどうなったのですか?」
襲撃者を見て薄々は勘づいているだろう。もしくは酔っ払い騎士から真相の全てを聞いたのかもしれない。
間抜け騎士が怯えた目で骨壷騎士を見上げており、目の前で繰り広げられた言動を踏まえて信じられない気持ちになったようである。
理性的で、厳格ながら騎士としての心構えで行動している。そんなハナヤ・カーナの処遇について、納得していないのだ。
「……国王には全て打ち明けた」
「それじゃあ……っ!」
「しかし現在の緊急事態において、その裁定は保留となっている」
骨壷騎士の言葉に、間抜け騎士は愕然とした表情を浮かべた。
「処罰は受けるつもりだが、それも国王の沙汰待ちだ」
「どうして……」
間抜け騎士は男装女騎士と同じように、聖女の浄化を目の当たりにした人物だ。
それ故に肩入れが強いらしく、今回も骨壷騎士に対して普通に接していたのは、いざという時に聖女を助けてくれるかもしれないという打算込みだったのだろう。
しかし聖女に関することが進まないことについて焦ったようだ。骨壷騎士を責めるように睨んでいる。
「お二人は……聖女様についてどうお考えですか?」
聡いのか、優しくて臆病なのか。核心を突かずに、遠回しに確認をしようとする言葉。
魔導騎士がどうして骨壷騎士と肩を並べても平気なのか、二人は目的が一致しているのか。あらゆる可能性を返答で探ろうとしている。
「俺は聖女様に貧民街の浄化をしてほしいと考えている」
「私は個人の意見を口に出すつもりはない」
全く足並みが揃っていない返答に、間抜け騎士は困惑してしまう。
ただわかったのは二人とも聖女をこのまま元の世界に帰すという選択肢を、二の次にしているということだった。
「ぼ、くは……もしも弟達が異世界で同じ目に遭っていたら絶対許せません」
感情に任せて言葉を吐き出しそうになったところを、どうにか別の意味に聞こえるように置き換えながら落ち着かせる。
幼い弟達は両親の手で健康に育っており、これから明るい未来が待っている。聖女は彼らよりは年上だが、間抜け騎士よりは年下だ。
全く関係のない異世界のために頑張った少女を、これ以上苦しめたくないという気持ちを共有してほしいと願う。
「ではどうやって帰す?」
「ら、ライムさんです!僕は見ました!」
「何を?」
「彼が洋燈を使って糸のような物を使うところを!あれを使えば……」
少しずつ語気が弱くなっていくのは、理解してしまったのだろう。
人型スライムの力を借りるということは、魔物の味方になるということ。それは王宮で起きた事件について不問にし、今も非道な状況に陥っている魔物に助けてくれと厚顔で頼み込むのだ。
それだけの判断ができるのは王族や国王でなければ無理だ。間抜け騎士はもちろん、骨壷騎士や魔導騎士ですら変えられない。
そして洋燈について国王や王族に伝えれば、大神官も巻き込む争奪戦が始まる。
派閥の争いに発展し、貧民街について置き去りにしてしまう。瘴気の噴出が止められないまま、政争によって国を窮地に追い込むのだ。
魔導騎士が足を止めてしまう理由。それに気づいた間抜け騎士は、言葉を失ってしまう。
「聖女様だ」
無言の空気に風穴を通すように、骨壷騎士がぽつりと呟く。
「我らがどう願おうが、全ては聖女様次第だ。
そのため第一王子が捜索を続けている。我らは目前の問題に対処するしかない」
「そ、うです、ね……すいません。身分を弁えず」
「同じ騎士だろう。それに君の忠誠心は優しさからきた素晴らしいものだ。
あとは強さと勇気を手に入れるのだ。難しいだろうが、頑張りたまえ」
元気付ける言葉に感動する間抜け騎士は、骨壷騎士の顔を見上げる。
月光に照らされた顔は凛々しく、そういえば雲が途切れたのかと空へと視線を移す。
大きな鳥が月の前を横切ったような、黒い影が上空にあった。それはすぐに雲で隠れてしまう。
異常だった。
雲で隠れるということは、それと同等の高さか――上を飛んでいる。
鳥と見間違うような影がその高さで飛んでいるならば、大きさは巨鳥と呼ばれるものよりも肥大する。
間抜け騎士のぽかんとした表情に気づき、骨壷騎士と魔導騎士も空を見上げた。
しかし月は雲に隠れてしまい、住宅街の不気味な静けさに影を落とすだけ。白昼夢にうなされるような表情で、間抜け騎士は顔を青ざめさせている。
「どうし……」
「坊っちゃま」
問いかけの言葉を遮る声は、聞き慣れたものだった。
魔導騎士が振り返ると、馬車を背後に老執事が立っている。いつもと変わらない冷静で、隙のない姿。
骨壷騎士を前にしてもその姿勢は崩れることなく、礼儀を欠かさない所作で一礼する。
「キトラ嬢が、坊っちゃまにお会いしたいと」
婚約者の名前を聞いて、魔導騎士は自身の内にあった緊張の糸が少しだけ緩む気がした。
その呼び方をやめてほしいと言うのも忘れ、会いに行きたいという衝動に駆られる。しかし今の状況を考えると、手放しには喜べない。
貧民街で見つかった謎の石板や、人型スライムの現状。行方不明の聖女に、その他の問題。山積みになりすぎた悩みで頭が重く、痛いほどだ。
「……悪いが、今は」
「会っておいた方がいい」
断ろうとした魔導騎士は、その言葉に驚く。
「大事な相手なのだろう?噂は聞いている」
感動しかけたが、後半の噂という点は多少気になった。今となってはどんな風に誇張されているのか、確かめる勇気はない。
それでも監視役である骨壷騎士に背中を押されては、断る方が無礼になってしまう。
「ありがとうございます。
セバス、レイニー家の屋敷へと連れて行ってくれ」
「かしこまりました。
お二人も御同行願います」
そして三人が老執事の用意した馬車に乗り、住宅街から商店街を抜けて貴族街に辿り着くまで数十分。
屋敷の玄関を通され、侍女達や当主の挨拶を済ませて数十分。
合わせて一時間は軽く経過して疲れを感じた頃。
「あ、やっと来た!」
婚約者と一緒に和やかなお茶会を楽しむ聖女が、笑顔で疲れや悩みを含めた全てを吹き飛ばすのだった。




