第74話「魔物という材料」
窓から見えるのは星空だ。雲が多く、明日は寒くなることを視界から訴えてきている。
興奮する大神官には女神の備品という単語を伝え、またもや恍惚とした様子で洋燈に頬擦りする光景を目撃する羽目になった。
人型スライムの生命核である洋燈。そう思うと哀れさが先に浮かぶが、下手に説明することもできない。
洋燈はペンデュラムのように鎖の先で吊り下げており、形は水晶の細長い結晶体を思わせる。両開きの硝子扉は、勝手に開く様子はなかった。
人型スライムが肌身離さず持っていたので、それが大神官の腕の中にあるのはいまだに慣れない状況である。
夕食を知らせる鐘が鳴る前なのか、扉に控えめな音が三回響いた。声をかけられて入ってきたのは、楚々とした身嗜みの修道女。
いつもの美しい誠実な顔に戻った大神官は、修道女に四人分の食事を準備するように穏やかなお願いをする。
にっこりと微笑まれただけで顔を赤くした修道女は若く、間抜け騎士と同い年くらいに見えた。
それは間抜け騎士自身もそう思ったのか、じっと修道女を見つめている。視線が合った瞬間に修道女がたおやかな笑みを浮かべると、今度は間抜け騎士の顔が沸騰したかのように真っ赤になる。
一礼して部屋から去っていく修道女の姿が見えなくなっても、間抜け騎士は扉から視線を外すことができなかった。
それこそ目の前で再度興奮で女神について熱弁している大神官の話など、耳にすら届いていないようである。
奇妙なキノコを食べて錯乱する騎士の相手をしたことがある魔導騎士と骨壷騎士は、感情だけでその域に達して涎を垂らす大神官を怪しむ。
神聖教会は大昔から学問を推進する派閥でもあり、医療や芸術とも切り離せない。今でも教会が新薬を広めることがあり、神の加護を受けていると人々も信じやすいのだ。
かつては気分が落ち込む患者に投与した薬が幻覚作用のあるもので発禁扱いになったのだが、薬自体は教会の秘密部屋で保管している話は有名だ。
もしかしてその類かとも疑うが、普段の素行からの乖離が酷すぎるだけな気もするので末恐ろしい男である。
「しかし魔物がどうして女神様の御力を手にしているのか……」
あらかた女神の話を言い終えて理性が戻ってきたらしい。真剣な様子で洋燈を見つめ、大神官はぽつりと呟く。
神聖教会は人々の意識が最も反映しやすい場所だ。そのため魔物に対する方向も恐怖や忌避感から「神々とは相容れないもの」や「敵対者」という認識の下で動いている。
神話で魔物と神々が争ったことはないのだが、巷に人気の壮大な物語や歌劇には神魔大戦といった内容が溢れかえっている。
それと同様に神が魔物に加護を与えたことなどない。
魔物という存在は魔導学会においても「瘴気によって偶発的に発生する生物」であり、神々が生み出したものではなかった。
迫害必須の学者などは「世界が生み出した唯一の生命体」と論じて、密やかに歴史の闇へと消えていくのである。
この世の全ては地の男神が救い上げたものであり、そこに天の女神が運命の糸で固定して守護を施す。
神聖教会にしてみれば神々の手で生み出されなかった生物であり、人々に脅威をもたらす悪しき存在である。
それが人型に擬態して結界をすり抜けた上、女神の備品を持っていたなど認めることが難しい問題だ。
「真相を聞こうと、第二王子の元へ訪ねたのですが……」
憂いを含めて吐く姿も麗しいのだが、先ほどまでの興奮を知っている騎士達は美しいという概念を一時的に忘れている。
なにより魔導騎士は思わず立ち上がりそうになるほど、大神官が人型スライムのもとへ来訪しようとした事実に反応した。
魔物を守る法律はない。建前やマナーも存在しない。もしも今も人型スライムが無事であるというのは二つの理由だ。
生命核が大神官の手元で大事にされている。
聖女の人質として有効である。
どちらも失えば、人型スライムはあっさりと死んでしまうだろう。
「門前払いでした」
「……そうですか」
心の奥底が落ち窪んでいくのがわかったが、顔に出すような愚行は犯さない。
「しかし」
続く言葉は。
「あんなのは唾棄すべきです」
人類が想像できる最悪を煮込んだような、嫌悪が詰め込まれていた。
第二王子には門前払いをくらった大神官だったが、どうしても気になって王宮内を歩いている時だった。
かちり、と、しゅるり。腕の中で洋燈の硝子扉が開き、そこから伸びた鋼の糸が曲がり角を歩いていた王宮内職員に吸い込まれたのである。
困惑する大神官をよそに、まるで操り人形のようになった職員が無機質に「ご案内します」と声をかけてきた。
言われるがままに進むと、止められそうになるたびに糸が伸びては道を開けさせる。
天の女神が紡ぐ紬糸。その力は強大で、神の導きであると心に強く言い聞かせて足を前へと動かしていく。
そうして地下の部屋へと辿り着き、最初に嫌な臭いを感じ取る。血のような鉄錆ではなく、何度も物を燃やしたような焦げ臭さである。
何人もの職員が出入りしては、部屋の中央に横たわる体に手を加えていくのだ。
危険な投薬。解体。燃焼。水が飛び散るという異常な状況に心が救われる日が来るとは思いもしないほど、その部屋は生命に対する冒涜が行われている。
乾いて皮膜だけとなれば、大量の水を投与して元に戻す。人型の玩具でも楽しむような気軽さで、その行為は続いていく。
悲鳴一つもこぼさずに、青い瞳が抉り出された。
切り裂かれた皮膜の中に手を入れて、筋肉などを引き摺り出すように水の塊を床へとぶちまける。
真っ白な髪が切り刻まれて、頭皮ごと剥がされる。耳を切り落として、臓器の有無を確かめるように指を脳の方へと伸ばす。
水を与えればくっつく、スライムの体。
歯の奥が震えて、ガタガタと音を鳴らすほどの光景。
そして生命核なしと判断しては、次の行為へと移していく。
どれだけ燃やしても、皮膜が残っていれば人型へと戻る。
決して単純なスライムの形になることはなく、興味深いと笑いあう職員達の方が化け物のようだった。
倒れて動かない人型スライムの体勢が変わった時、生気のない青い瞳と視線が合ってしまった。
瞬間、大神官はその場から逃げ出していた。
人間では耐えきれない所業の数々を、なんの罪悪感も抱かずに続ける感性を理解したくない。
叫びたいのを堪えて王宮を背にした頃、教会にすぐ帰ることはできないほど憔悴していた。
心を落ち着けるのに数時間要し、平静を取り戻して教会に帰った矢先。
魔導騎士達の訪問を聞かされて、少しだけ安堵を覚えたのだった。
「……ハナヤ殿。第二王子は何をお考えなのでしょうか?」
骨壷騎士は指南役として信頼されているということは、周知の事実である。
その影響力は大きく、彼ならば変えられることがあるのではないかと期待を込めた言葉が投げかけられた。
「私にもわかりません」
浄化遠征後に第二王子と深く話せた時間はない。むしろ大広間で意見したことで、機嫌を損ねている可能性が高い。
「しかし誰も止めることはないでしょう」
「……」
「相手は魔物なのですから」
その言葉は当たり前の事実を簡潔に示しており、魔導騎士にとっては重くのしかかるものだった。




