第70話「珍妙という面白さ」
第三王子に割り当てられた区画は広く、机や椅子も置かれた。紙が飛ばされないように文鎮も複数所持している。
広げた地図には壁に生えたコブのような貧民街の見取り図。軽薄騎士が巡回用に作っていた簡易地図で、子供達から集めた情報で亀裂の位置にはバツ印を記していた。
網目のような細い路地が入り組み、歪な四角には掘立て小屋が敷き詰められていたという。今となっては瘴気に覆われ、何も見えない。
昼の陽射しを浴びながら、望遠鏡を使って貧民街の様子を観察する第三王子。風でふわりと揺れる柔らかい色合いの茶髪は、育ちのいい青年そのものだ。
子供達が王子様だと遠巻きに眺めてくる。そこには骨壷騎士から名前をもらった少女と弟も立っており、騎士達を怖がって近寄ってくる様子はない。
腕立て伏せを終えた騎士の大半は業務へと戻ったが、騒ぎを起こした冷や汗騎士などの護衛騎士達は追加の上体起こし三百回に悲鳴を上げていた。
「なるほど。確かに複数箇所からの噴出は気になりますね」
魔導騎士達がかき集めた情報の中に混じる推測を聞いて、第三王子は思慮深く頷く。
どんなに荒唐無稽でも、一度は受け止める度量。そこから深く思考し、答えへと近づいていく地道さ。他の王子の影に隠れがちだが、やはり優秀な王子だと魔導騎士は感心する。
地図上のバツ印を繋げれば確かに樹木のような形になり、最終的には魔法陣のように模様のある円を描くことができた。
「そもそも王都は地盤が厚い場所を選んで遷都しています。
貧民街が壁の外とはいえ、こんな至近距離で瘴気噴出自体が異常と言えるでしょう」
「しかし父上に進言したのは瘴気の有効活用なので、原因を調べていいものかどうか悩みますね」
「具体的にはどういった方向のお考えがお聞きしてもよろしいでしょうか?」
「瘴気は浄化すると星を満たす魔力になると言われています。
これは海と湖の塩分濃度と考えると、塩の結晶のように瘴気から魔力結晶体の生成をすることで浄化に近いことができないか……と」
それは机上の空論と笑われている内容だ。
とある有名なエルフが提唱し、学会で笑いものにされた論説。異世界召喚陣を描いた彼は、それ以来人類嫌いの偏屈引きこもりになっているという。
魔導騎士や軽薄騎士も魔法学校で触れたことはあるが、それが簡単にできるならば神子など必要なくなってしまうと本気で受け止めたことがない。
「魔石は宝石加工によるお守りが一般的です。
聖女様のローブマントにつけている琥珀翡翠も同様ですね」
少女が価値もわからずに装着していた琥珀翡翠の飾りを思い出す。
王冠にも使われている素材で、瘴気に近づくと色が濁る。採掘ではなく一定の条件下でしか現れない魔物討伐のみで手に入る希少な宝石だ。
それも確かに魔石と呼ばれている。魔法の力を付与できる鉱石は大体魔石と呼ばれるが、その基準は一般的に統一されているわけではない。
「魔力結晶体は木炭や油のように、人の生活を変える資源の可能性が高い。
実は聖女様に興味深い――蒸気機関車という話を聞きました」
聞いたことのない単語である。聖女の言葉は聞き取れたとしても、世界には全く存在しない言葉が出てくることが多い。
その境目や条件は不明だが、第三王子が聖女と接触していたという事実に魔導騎士達は驚いた。
聖女は誰にでも気軽に接していて、オトメゲーという謎の単語だと勘違いして気が大きくなっていたというのが後ほどわかった事実である。
しかし第二王子の管轄であった聖女は、面会できる相手を大きく制限されていたはずだ。
特に第一王子には警戒心を露わにしていたのは周知の事実で、その流れで他の王子にも会わせていないよう配慮していたものかと。
蒸気機関車は木炭などを使って熱と水で動かすようだが、仕組み自体は聖女も知らなかったようである。この時代にそれがないと知り、「産業革命前くらいの中世かな?」と言っていたらしい。
「馬車よりも多くの人を運べる乗り物だそうです。
もしもそれがあれば港や山向こうの町の貨物運びや、新鮮な食材の運搬などが見込めると思いました」
「……それだけではないですね?」
「はい。一番は瘴気が資源の宝庫となることです」
脅威でしかなった現象が、人々にとって欠かせない素材へと早変わり。
誰もがその技術を欲し、手に入れて、実行するだろう。大地の奥底で無限の如く湧き出る恐怖を、人類は歓喜をもって待ち望むようになる。
そして生活は豊かになるだろう。善悪はあれど、確実に世界の常識が一変する事態だ。
「問題は技術の確立と実際の運用でどれだけの魔力結晶体を確保できるか。
投資した額よりも少ない報酬では、意味がありませんからね」
経済と社会と学問。それら全てを統一していかないと動かせない、王族のように権力がある者だからこそできる思考だ。
幼い少年と間違われそうな第三王子は、どこまで未来を見据えているのか。聞いているだけの魔導騎士が期待したくなるほど、他の王子と視野が違う。
第二王子は目の前の問題に奮闘しているだけ。第一王子は過去の事例を踏まえて堅実な方法を選んでいるのみ。
「魔物の生命核が魔力結晶体としての最高峰ですが……」
「流石になんでも生物として動かすほどのはちょっと嫌ですね」
「あはは。僕もそう思います」
第三王子に対して気軽な言葉を使う軽薄騎士の後ろ頭を、魔導騎士と骨壷騎士が揃って小突いた。
しかし特に気にした様子もなく笑って流した第三王子は、改めて望遠鏡で貧民街の様子を確認していた。
「結界内では魔物が発生した事例はない。
つまり女神の力によって魔力結晶体の生成に制限がかかるという論文がありましたが……」
「そんな珍奇……いえ、興味深い内容も読まれているのですね」
またもや失礼な言葉を使いそうになった軽薄騎士は、騎士二人からの威圧を感じて言い方を変えた。
「珍妙なのって面白いじゃないですか」
だが第三王子は同じような言葉を使い、蜂蜜のような黄色の瞳を輝かせている。
第四王子の無自覚天然なやらかしのせいで隠れていたようだが、どうやら第三王子も中々のヘンテコ好きらしい――と誰もが思う。
「だからあのスライムも気になっています。
ケイジ殿、お話を聞かせていただけないでしょうか?」
「王子、恐れ多くも魔物に興味を持つなど……」
穏やかに止めようとした骨壷騎士に、和やかな笑顔で押し黙らせてしまう第三王子は続ける。
「聖女様、普通の女の子でした」
それは第三王子が抱いた、異世界の人間に対する評価。
どこにでもいるような平凡な少女が、生贄にと望まれている最中。
人型スライムの放った言葉は、彼にとっても衝撃で――共感しやすいものだった。
「人間よりも聖女様のことを大事にしているスライムなんて、珍妙で面白いじゃないですか。
僕は失うには惜しいと思っていますよ」
意表を突かれた魔導騎士はすぐに言葉を返すことができなかった。
しかし胸の奥底から膨れ上がったのは、第三王子に対する期待である。
赤い瞳を細めて、魔導騎士はわずかに微笑む。
「私でよければ、いくらでもお話しいたしましょう」
少しだけ軽くなった心と一緒に、生意気で奇天烈な人型スライムについて話し始めるのであった。




