第67話「瘴気に覆われた貧民街」
朝日が出る頃には魔道騎士は動き出していた。布で覆われているだけでは寒さは堪えきれず、魔法を使って体の体温を一定に保っていた。
すると冷や汗騎士やら間抜け騎士やらが眠りながら抱きついてきた上、魔道具愛好騎士が使っていた枕が膨らんで顔を圧迫。
集団野営などで狭い場所でも自由に眠る特訓をしているため、しっかりと睡眠を確保した魔導騎士の足に迷いはない。
黄金の陽射しを吸い込む黒と紫が入り混じった霧。どれだけ照らされても、地面が見えないほどの濃度である。
赤茶色の壁上から見下ろせば、貧民街全て呑み込まれているだけではない。このまま拡散していけば、王都の玄関口へと届いてしまう。
しかし魔導騎士の視線はその向こう側だ。平野が続くが、山もいくつか遠くに点在していた。
魔道具や望遠鏡を使えばもう少し詳しく見れるだろうが、別に風景を楽しんでるわけではない。
脅威が迫れば壁上からならばすぐにわかる。早朝でも何人かは見張りとして、遠くの景色を睨んでいた。
「魔物か?」
「はい。瘴気発生から時間経過で一番警戒することですから」
足音を立てず横に立っている骨壷騎士の問いかけに、魔導騎士は真剣な様子で答える。
たとえ膨らんだ枕のせいでいつもは綺麗に整えている彼の口髭が、酷い寝癖のように捩れていても口には出さない。
「結界内で発生する事例は?」
「現在まで確認されていません」
「……しかし上が結界の不具合を指摘する、か」
「その通りです。ライムという前例がありますので」
部下や那覇との情報網を使って、現在の城下町の状況はおおよそ掴めた。
浄化遠征から帰ってきた聖女が王都内で何者かの手によって行方不明になったと発表。手配書が配られており、連絡先は第一王子の傘下となっている。
人型スライムに関しては秘匿扱いされているようだが、青空を裂く雷撃と騎士達の動揺、なにより貧民街の状況悪化で魔物に関する不安から似たようなデマが流れていた。
悪しき魔物が聖女を拐かし、どこかへ隠してしまったという。
きっと清廉で美しい少女を独り占めしたかったのだとか、数年前に討伐された固有名称が魔王と名付けられた存在が復活するための贄など、根も葉もない内容ばかりで頭が痛くなるばかりだ。
しかしおかげで商店街や住宅街で人々が外出を始めるようになった。時間経過で備蓄に困っていることや、日々の生活に支障が出ないことを確認しただけではない。
隠れていると、疑われる。
見つけて報告すれば、救われる。
疑心暗鬼と不安がかき混ぜられて、停止していることに恐怖した。
貧民街に背を向けて、壁上から王都内を見下ろす。
朝早くから動き出す商店街では酔っ払い達を家に帰しており、住宅街では働き者の主婦が水を貯めている桶の表面に張った氷を木槌で割っている。
壁に貼られた聖女の人相書きに祈りを捧げる者もいれば、それを剥がして通り過ぎる民間人の顔と見比べるなど様々だ。
「……貴殿ならばすでにわかっているだろう。
私が浄化遠征中に指示した悪行を」
「はい。それを見抜けたのもライムのおかげですが」
「ほう。それは予想外だ」
「しかし人ではないとわかったのでしょう?」
浄化遠征中に紛れた聖女暗殺。結果としては失敗に終わっており、帰還直後の騒動で有耶無耶になっていた部分だ。
それを白状するのも骨壷騎士にとっては、どうでもいいことなのだろう。魔導騎士は確実な証拠をまだ確認していない。
王都内に魔物を連れていた騎士よりも、戦争の英雄の方が誰もが信じるだろう。
「部下からの報告で、胸を確かに刺したと聞いた。
それなのに普通に生きているのを見て、部下が動揺していて面白かったのでな」
昔から敬虔な信者のように骨壷騎士に従う男は、優秀だった。基本的に失敗知らずであり、何事も器用にこなす才覚を持っている。
それが確実に刺したはずなのにと狼狽し、公衆の面前で殺害しようかと企んだのを密やかに止めたのであった。
浄化遠征中――帰還時にでも遂行するつもりだった。頭角魔物である巨体スケルトンに出会うまでは。
酔っ払い騎士も視線を合わせるたびに苦笑し、気まずそうに聖女の横へ戻っていくのを見て、任務達成は無理だろうと潔く諦めた。
その結果が生贄騒ぎからの聖女消失であり、苛立った第二王子には裏で「失敗は不問にする」と言われている。
幼い頃は負けん気が強くとも素直だった王子は、立ちはだかる壁を壊そうと躍起になっていた。それは嫉妬に狂った過去の自身を眺めているようで、かなり気分が悪いものだ。
「魔導騎士団は避難所であり結界維持装置である壁の精査と共に、瘴気に関連した魔物への警戒を余儀なくされております」
「発生だけではなく、引き寄せられるということか?」
「はい。人手が足りないのは明白なのですが……団長がどう動くか……」
第一隊長が風来坊のような気ままさであるのならば、団長は派閥争いを石飛び遊びのように楽しむ飄々とした狸爺だ。
ハーフエルフのため外観は若々しさを保っているが、実年齢は八十を超えている。その経験豊富さで、愉快犯的な性格を絡ませてくるのが厄介極まりない。
面倒事を第一隊長以外に全て丸投げしてくる悪癖もあるが、団長として唯一信頼できるのが人並外れた探究と好奇心である。
おそらく生贄問題でさえも「いいじゃん。やってみよっか」と言いかねないし、世渡り上手でなければ問題人物として公開処刑されていてもおかしくない狂気を平然と持っている。
しかし王都のすぐ近くであり結界内で瘴気が噴出し、いつの間にか入り込んでいた人型スライムという存在が彼の邪悪な少年心を刺激するだろう。
それらを調べるためならば労力を惜しまないはず。不純な信頼であったとしても、今だけはそれが人手不足解決の近道だった。
「そんな団長から頼まれごとでござるよ」
ひょこっと顔を出したのは、薄手の硝子板を手にした魔道具愛好騎士であった。
その顔は念願のおもちゃを手に入れた子供のように嬉しそうで、指先で音を作り出すように硝子板の表面を片手の指先でトトトと叩く。
するとあらかじめ記録されていた声が、その場にいるかのように再生された。
『ハナヤくーん。やっほー、元気ぃ?
これから僕と共謀して、救済任務とかやってみない?』
心底ふざけた内容だったが、男か女かもわからない特徴的な声は魔導騎士団の頂点に座す団長――カール・イーナのものだ。
魔導騎士だけでなく骨壷騎士も苦渋を滲ませた表情になるが、それを先読みした上で無視する言葉が続く。
『浄化遠征中の悪行証拠は僕が握ってるからさぁ!
悪巧みするならもう少しこっそりやれって第二王子に忠告をお勧めするよ』
「なっ!?」
『だって英雄の弱点握れる好機なんて滅多にないからね。
というわけで人手集めてちょーだい!細かいことはショウに聞いてねーん!』
二人の騎士が一斉に魔道具愛好騎士の顔に視線を集めるが、彼は硝子板を手にしたままニコニコと嬉しそうにしている。
「あ、拙者は魔道具欲しさに団長の依頼で証拠集めていた間者でござるよ」
思い出したように気軽な様子で告げられた内容に、魔導騎士は頭が痛いのは朝の冷たい空気のせいだけではないと悟った。
音声や映像を拾える魔道具を持っていた騎士がたまたま問題児の中にいて、偶然にも護衛騎士に選ばれた。さらに周囲に証拠を集めるように頼まれて、素直に応じている。
そして証拠達は「誰も確認していない」状態だった。魔道具愛好騎士が全て管理しているものだと、思い込んでいた。
しかしそんな偶然の重なりは、誰かが仕掛けた必然であることを疑うべきだったのである。
そもそも魔道具は素材にもよるが、大抵は高級品だ。魔導騎士団所属とはいえ、そんな簡単に手に入るものではない。
収納用の水晶を手にしていた時点で気づくべきだった。魔道具愛好騎士には後ろ盾がいるということを。
「拙者はこう見えて有能でござるよ?」
得意げに言う魔道具愛好騎士の演技上手に、否を唱える者はいなかった。




