第65話「壁の上」
ゴリ、ギギッ、ガリャ……胡桃を潰す音を何倍にも大きく重くした稼動音が周囲を埋める歯車から鳴り響いてくる。
歯車の隙間を縫うような曲がりくねった細くて狭い階段を登っていけば、針の穴のように小さな出口が見えてきた。
雪がいつ降ってもおかしくない灰色の空の下に出ると、早朝の新鮮な空気を肺いっぱいに取り込む。蒸し暑い壁内部に比べると、肌の冷え方が尋常ではない。
「大丈夫ですか?」
「鍛えているからな」
同じように深呼吸している骨壷騎士に問いかければ、予想していた答えが返ってきた。
長いマントという動きにくい服装な上、片手は骨壷で塞がっている。それなのに一度も立ち止まらずに三階以上の高さを登ってきたのだ。
やはり生きる英雄として過ごしてきた男は、並大抵な努力と維持では追いつかない領域まで自己研鑽しているのだろう。
「ケイ!……と、ハナヤ殿!?」
身軽に駆け寄ってきた幼馴染でさえ、数メートル手前で急停止をかける。
動き回って疲れていたのか、普段ならば出さない大声のせいで避難している貧民街の住人達が布テントから顔を覗かせ始めた。
老人と子供が多い。若者達は炊き出しや洗濯などで走り回っており、時折騎士との口喧嘩が鼓膜を痛める。
「はなや?」
「血焼け戦争の英雄……」
「誇り高き貴族」
「大量虐殺の主犯」
反応は好悪入り混じったもので、素直に歓迎するという空気ではない。
貧民はどんな時代でも出てくるが、戦争を境に増えやすいものだ。一家の大黒柱を戦火で失う、家族を殺された、金属の徴収で仕事を失ったなど。
平和な時代では処罰せよという声も大きくなるが、魔物討伐などではやはりその経験が必要になってくる故、戦時下の罪は基本的に不問となっている。
「な、なんで一緒に!?」
「見張りとして寝食を共にしているのだ」
「……はい?」
「そういえば昨夜は狭くなかったですか?」
「野営よりは天国だ。それよりも痛みはないか?体に無理をさせたかもしれん」
「大丈夫です。それにしても羨ましい大きさです」
淡々と話を続ける二人だったが、その内容に軽薄騎士の思考が違う方向へと働いていく。
ようやく帰ってきた隊長に色々と尋ねたい部下達も、その会話の危うさから副隊長よりも近づくことはできなかった。
「……お前、純潔はキトラちゃんのために大切にするんじゃなかったのか!?」
「なんの話だ?」
「まさかハナヤ殿で下拵えを……不潔だぞ!」
「よくわからんが、成敗!」
脛を狙った蹴りは、身軽に躱されてしまう。兎よりも素早く、両足使ってピョーンと跳躍しているほどだ。
ここでようやく部下達もいつも通りの空気を察知し、魔導騎士を取り囲んで質問攻めを始める。仕事の指示半分、王宮で起きた不祥事半分である。
一部の騎士は憧れの騎士であるハナヤへとキラキラとした視線を向けるが、何故骨壷を大切そうに抱えているのかで首を傾げていた。
「隊長、ライム殿が魔物だったとは本当ですか!?」
「俺、彼の占いで彼女とよりを戻したんです!それってやばい呪いだった可能性あります?」
「副隊長、妙に献身的で三日三晩寝てないので眠らせてください!私達も不眠労働しなくてはいけない気がするんです!」
「物資が足りません!どこから調達すればいいですか?」
一斉に話しかけてくるので、一つの質問でさえ九つの声でかき消される悪循環の始まりである。
「整列!違反者、罰則バケツ汲み!」
冷たい空気を裂くような張りのある命令に、騎士達は意識よりも先に体を動かして従っていた。
あっという間に一列に伸びた部下達の顔を眺め、魔導騎士は深々とため息を吐く。
「手が空いているものは副隊長を運べ!」
寝不足からの高揚感で体を動かし続けている幼馴染は、壁のふちでフラフラと歩きながら、心細そうな子供達に声をかけては軽技を披露している。
いつ倒れてもおかしくない容態なのだが、それを隠せる身軽さのせいでほぼ誰も気づいていない。しかし魔導騎士の目は誤魔化せない。
すこーん、と投げられた剣の鞘が後頭部に当たっただけで、その場でばたりと倒れてしまう。
「ほう。あの距離でよく当てるものだ」
「昔からの付き合いなので」
身軽に先行したがる幼馴染が、学生時代にどれだけ勝手に進んで問題を起こしてきたかを思い出す。
部下が回収した鞘を受け取り、一人ずつ話を聞いていく。人型スライムの話に関しては、今は関係ないと切り捨てて仕事へ戻るように叱咤。
純粋に仕事の問題だけを持ってきた部下の話を聞くだけで、太陽が頭の上を通り過ぎて少し傾いてしまった。
「ハナヤ殿は遅くなりましたが昼食をお取りください。私は部下の面倒を見てきますので」
「寝食を共にすると言っただろう。休憩も大事な仕事だ。貴殿も休め」
「しかし……」
「部下のためでもある」
口喧嘩の報告が多くなっている。それは不満をぶつけられる騎士が、満足に食事の時間を取れていないからだ。
時間配分を確認してもその場の勢いで作った稚拙なまま、手直しされていない状態である。交代する時間も極端に少なく、軽薄騎士が寝不足な理由はそこだろう。
改めて配置を決めようとした魔導騎士が不満そうに骨壷騎士を見上げるが、髭面の強面は意見を変える気がないらしい。
「うちの第一隊長もそれくらいの責任感がほしかったですね」
「団長殿は……まあ、あれか」
観念して吹きさらしの床に座り込んだ魔導騎士の横に、骨壷騎士は優雅に腰を落とす。
食事は出かける前に母親が布に包んだ籠を直接手渡してきたので、開けるのが心底怖かったが背に腹はかえられない。
軽い世間話をしつつも布地を外せば、木目の籠の中には焼き魚を挟んだサンドイッチがぎっしり詰められている。
小骨が多い魚である。
それが頭から尻尾まで焼かれ、そのまま白いパン生地で挟んだだけ。
食欲の失せる方法を熟知している母親に反抗する気力もなかった。
骨壷騎士の籠の中身は雇用料理人が腕によりをかけたパン生地もカリカリに焼いた、新鮮な野菜に絶妙な火加減で焼かれた肉が見事なサンドイッチである。
骨ごと噛み砕くつもりでサンドイッチを念入りに咀嚼する。少し焦がして苦味をつけており、飲み物がほしくなるが我慢するしかない。
下手に流し込めば骨が喉に刺さる。午後の業務に支障が出ては困るのだ。
必死に咀嚼する魔導騎士だったが、遠くからじっと眺めてくる子供達に気づく。五歳くらいの姉と、三歳くらいの弟だろうか。
垢だらけに青あざまみれ。そのせいで肌が黒く見えて、風に乗った臭いはきついものがあった。
おそるおそる近づく姉弟に、骨壷騎士は食べる手を止めていた。
驚いているのかわずかに目を見開いており、無意識に骨壷へ手を触れている。
「これと、ごはんを、こうかん。お願い」
骨壷騎士の前に差し出されたのは、石の破片だ。石板の欠片なのか、文字に近い模様が描かれている。
弟の方は手を伸ばして骨壷騎士のサンドイッチを盗もうとしているが、姉がそれを片手で必死に制していた。
片言にどうにか伝えたようだが、その目は不安そうに揺れている。その間も弟は盗もうと躍起になっており、とうとう姉が転んでしまう。
籠が目前で巨体に寄って持ち上げられたのを見て、幼い少年は泣き喚いた。
「少女よ。名前は?」
転んでもすぐに立ち上がった姉は、膝から血を流していた。目元には涙を滲ませているが、唇は引き結んで痛みを我慢している。
「ない。よく、おい、って呼ばれる」
「では私が名付けよう。お前は今日からエライノだ」
「……ごはん」
「お前にはやろう。弟にはなしだ」
泣き喚く少年の首元を掴み、籠を姉へと差し出す。
驚いた少女が手元と骨壷騎士の顔を交互に見ており、ギャンギャン喚く弟の声で我に返った。
「弟返して。我慢、する」
「……大事か?こんなにもお前に迷惑をかけているのに」
泣き喚いて籠へ手を伸ばし続ける少年は、手足全て使って暴れている。
そのせいで姉が助けに行くこともできないのだが、騎士の腕力には敵わない。
「好きじゃない。でも、守らないと」
「……」
「見捨てていいのかな?」
ぽつりと呟かれた言葉は、幼い少女には似合わない疲労感に満ちていた。
いつまでも助けに来てくれない姉に、不安を覚えたのだろう。少年が怯えたように泣くのを止めて、ブルブルと体を震わせ縮こまってしまう。
冷めた目で弟を見つめる少女は、籠を骨壷騎士へと差し出した。
「邪魔して、ごめんなさい。返して」
「……」
「好きじゃないけど、一緒にいたい」
その答えを聞いて、骨壷へ視線を向ける。
少女の言葉は予想以上に胸に突き刺さってしまった彼の――負けである。
「姉を困らせるなよ」
弟の首根っこを離す。差し出された籠は受けとらなかった。
姉の体に全力で抱きつく弟。少女は小さく頭を下げると、大人は手が届かないような狭い場所に潜り込んで姿を消してしまう。
それを見送った骨壷騎士の背中に、魔導騎士は声をかける。
「ハナヤ殿……」
「甘いと思うか?それとも根本から助けてやらないことを謗るか?」
「いえ、あれはドラコー家の籠なのですが」
「あ」
戦争の英雄でも間抜けな声を出してしまうことがあるらしい。
状況確認も終わらないまま昼食もゆっくり過ごせないことに、魔導騎士は前途多難さを感じるのであった。




