第62話「地下室の岩牢より真実を込めて」
苔やカビが生えるほど湿った岩牢。日差しが入らない地下では、今にも消えそうな燭台の炎すら明るく感じる。
手首には大砲の弾と同じくらいの大きさな手錠。表面には彫り込んだ跡に銀を流し込み、魔法封じとして機能させていた。
騎士服や剣は取り上げられ、簡素な囚人服を身に着けているだけ。何をするでもなく、魔導騎士は鉄格子向こうの燭台で燃える炎を眺めていた。
止められたはずだったのに。
背後から伸びてきた糸に体全てを絡め取られた。
洋燈の糸車がカラカラ回っているのを聞きながら、人型スライムが袈裟斬りされるのを眺めるしかなかった。
天の女神が紡ぐ紬糸。それが魔導騎士の行動を全て制限したのである。
倒れたまま動かない人型スライムはどこかへ連れて行かれ、ようやく指先が動かせるようになった時には牢屋の中だった。
王宮の地下迷路を進んだ先にある貴族が万が一にも重犯罪を起こした際に、周囲から隠すための場所。劣悪な環境なのは、使われることが滅多にないから。
大理石の床に広がる水は血液よりも広がるのが早く、傷口から見える皮膜は青い空を写していた。
どう見ても人間ではない。前代未聞のスライムが人間に擬態して、国の中心まで忍び込んでいたという事実。これにより聖女にも疑いの目が向けられるだろう。
外の状況は掴めないが、悪い流れが起きているはずだ。その始まりとなってしまったことにほんの少しの罪悪感。
冬が近づく季節では地下も冷えてくる。足先が痺れて痛むが、要望を聞いてくれるような看守は近くにいない。
入口さえ見張っていればいいほど、深い場所。掘って進んだとしても生き埋め確実な脆い地盤に、道具らしいものは全て取り上げられている。
天井を見上げても外の様子がわかるわけもない。短い黒髪がさらりと流れて、赤い瞳がぼんやりと覇気を失っていく。
「女神よ……どうしてだ……」
人型スライムに力を貸し与えていて、どうして危機を救わなかったのか。
運命を手繰る女神の真意がわからない。たとえ長年祈りを捧げていても、その考えに到底及ばないことを思い知らされる。
そこで魔導騎士は違和感を覚える。息を漏らしながら、口の端を歪に吊り上げた。
こんな状況で人型スライムの心配をしている自分がいる。
全く思惑は話さないし、時折茶化してくるところは生意気で可愛くない。
聖女を助けると言いながら無関心な時もあるようで、思考が読めない行動のせいで何度も迷惑を被った。
魔物として倒すべき相手だと最初は見ていたはずなのに、いつの間にか心を許している。
その気持ちに理由をつける。
無条件で信じるには怪しいところは多いし、いざという時役に立つ。
王都へ帰るまでの間に、聖女からどうやって助けてもらったかを聞いた。
初期報告よりも広がっていた大地の裂け目を防げなかった聖女に、人類の紡績を使ったという。女神の力が届かない異世界の少女に繋がる奇跡。
貧民街の状況はジャルネット村の初期報告よりも酷いとは聞いているが、最終情報とはかなり異なっている。
もしも聖女の浄化に頼るのならば。
人型スライムの協力は必要不可欠だ。
二人目の聖女だけでは頼りないから、転生失敗したスライムの頑張りを期待するしかない。
該当情報を伝えて有効化するには、その状況を目撃していた者。
そして国有数の権力者である王族を説得できる立場の人物。
この二点に該当する騎士達に接点はない。もしも作れるとしたら――。
思い出す酒臭さ。
けれど縁を繋ぐにはこれ以上ない人物が、今は聖女の味方だ。
無音で耳が痛くなるような牢が並ぶ地下室に、靴音が響いた。
それは次第に大きくなっていき、止まると同時に声をかけてくる。
「元気そうでなにより」
白い髭と髪のせいで年老いて見える男は、今の状況を楽しんでいるようだ。
ほっほっほ、と肩で笑っている。荘厳な杖は美しく、赤い絹に黄金の刺繍が施されたマントは王宮騎士団にとって守るべき対象。
ルビリア国の王。ハラへ・ルビリア・イースが、魔導騎士の岩牢へとわざわざ訪れたのである。
「腹減らん?アイス食べる?」
口調が軽いのは常だが、それは人を試していることの裏返し。
もしもこの調子に付き合ってくだけた話し方をしてしまうと、拝謁への期間が大きく空いてしまうのである。
影が薄いようで、気弱に見せかけた、為政者としての素質を兼ね備えた男。
人を騙くらかす魔物が可愛く見えると、貴族達が畏怖をもって接しなくてはいけない人物である。
普段であれば魔導騎士も緊張して姿勢を正すのだが、今だけは座ったまま赤い瞳でじっと見据える。
護衛も連れずに現れた時点で、この地下室は国王保証の密会場となったのだ。
「それとも服が欲しい?用意してあげるよ」
「陛下。いかなる御用でしょうか?」
小粋な冗句で場を和ませようとすることさえ、彼なりの探りである。
相手が一番言いたいことを引き出し、その弱みを突く。そして会話の主導権を握って、思うがままに話を進めてしまう。
大海の真ん中で波に削られる岩になった気分だ。少しでも間違えれば、あっという間に持っていかれる。
「君の願いを聞く代わりに、あの魔物について教えてくれる?」
「ご命令いただければ、真実のみをお話しすることを誓います」
「国王がどんな願いも叶えると言っているのに?」
「取引による不誠実を好みません」
反抗しているような内容だが、国王は嬉しそうに笑う。
それさえも感情通りかわからないのが国王という人間なのだが、杖で石畳をトントンと叩いて簡易椅子を出現させる。
宙をふよふよと浮く座布団に腰をかけると、またもや肩で笑い始めた。
「ほっほっほ。ドラコー家って伝説のまま変わらんね」
「……」
「初代は霊竜討伐の任務を言い渡された時、国王に向かって殺生は好まないとか生意気言ってんの。ワシ、子供の時に大爆笑」
「先祖共々申し訳ございません」
「だから長く続いているわけだし。君、次の当主やらん?推薦するよ」
「長兄が私以上の頑固者で相応しいかと」
「なにそれ、めっちゃおもろいじゃんね」
笑いが止まらない様子の国王だが、視線の先はずっと魔導騎士に固定されている。
それだけで緊迫感で気分が悪くなるのだが、目を逸らされた瞬間に好機が逃げていくのはわかっていた。
「でも新しい伝説を君は作っちゃったね」
「……」
「魔物を国王の近くまで招き入れた大罪を償う気はある?」
「はい」
迷いない返事に面食らっても、表情に出すことはしない。
赤い瞳が油断なく国王を見つめている。
初代は霊竜の加護を得た女性と結婚し、それ以来ドラコー家では必ず赤い瞳の子供が現れるという。
「貧民街の瘴気問題を解決致します」
「えー?できるの?」
「聖女様とライムがいれば、必ずや」
「……」
初めて国王が沈黙した。
先ほどまでの笑顔は瞬時に消え去り、冷酷に見下す視線が魔導騎士を射抜く。
赤い瞳はほんのわずかな燭台の明かりを取り入れて、恐ろしいくらいに爛々と輝いていた。
「根拠を申せ」
「長くなります」
「構わん。真実であるならば荒唐無稽も許そう」
天の女神の真意はわからない。
しかし運命は確かに魔導騎士に味方した。
蜘蛛の糸よりも細くて切れやすい突破の糸を、必死に手繰り寄せる。
そして魔導騎士は把握している限りの人型スライムについて打ち明けた。




