第59話「消失」
どんなに悲劇を演じようが、目の前の危機は迫り続けている。
聖女の腕を掴んで無理やり立たせた第二王子は、無気力な体を引きずっていく。
足首にさえ力が入っていない状態で、顔は俯いたまま。そんな聖女に駆け寄ろうとしても、人の壁が邪魔をする。
「聖女様!」
「聖女ちゃん!」
男装女騎士と軽薄騎士が同時に声を張り上げた瞬間、大広間にいた全員の視界が白く染まった。
突如雪の中に飛び込んだような純白によって目を焼かれ、何も見えなくなった直後。
天を引き裂く音が振動と共に鳴り響き、耳さえも不自由になるほどだった。
大勢の貴族が目を回す中、とある老執事の悲痛な叫び声が大広間をつんざいた。
「女神様の像が!?」
聞き覚えのある声に魔導騎士がいち早く察知し、ぼんやりと戻ってくる風景に目をこらす。
そして大穴が開いて煙を上げる天井に、大広間の真ん中で粉々になるほど破砕した女神像の残骸が天地を結ぶように並んでいる。
少しずつ騎士達や貴族達の視界も元に戻り、一番女神像の近くにいた第二王子が失神していることに気づく。
その手には何もない。
同じく近くにいたはずの聖女の影形一つ残らず消えて、行方不明となった。
第二王子は護衛者達が慌てて治療室に運ぶが、その間も貴族達が大騒ぎと混乱を撒き散らしていた。
「聖女様はどこだ!?」
「逃げたんだ、追え!」
「しかしどこへ隠れたと言うのですか!?」
ああしろこうしろの論争嵐のせいで、小間使いにされそうな騎士達も右往左往する。誰も聖女の逃げ場所など知らないのである。
聖女は基本的に第二王子の目が届く場所だけを行動範囲としており、王宮と王城でも常に侍女の導きがないと行動できないようにされていた。
例外は魔導騎士団だろうが、聖女の先生役をしていた魔導騎士も大広間で混乱したまま立ち尽くしている。仲がいいと噂の若侍女も不安そうに周囲に視線を配っている最中だ。
『聖女を殺さなくては!』
恐ろしい言葉が複数の声で揃う。その大音声は耳を通り越して心まで突き刺す力を持っており、底冷えするような恐怖を呼び覚ますに相応しい。
聖女と話した覚えがある騎士達などは顔を青ざめさせ、従属と良心の呵責に挟まれている状況だ。冷や汗騎士などは頭の頂点から爪先まで汗で全身を濡らしているほどである。
「落ち着け。皆の衆」
穏やかな声だった。しかし心労で体調を崩しているように覇気がない、萎びて枯れた雰囲気を漂わせている。
人殺しを全く厭わない瞳から放たれる視線が、一箇所に集中する。ルビリア王国の頂点に座する男――国王は影が薄い。
風が吹けば倒れそうで、気の弱さから過去何度も他国から攻撃を受けている遠因と揶揄される男だ。六十代で髪と髭が真っ白になっており、九十代の老人よりも病弱そうだ。
「そういうのは、うん……よくないと……思う」
曖昧な言い方により、貴族達の神経を逆撫でする結果となった。
不満が一斉に国王へと向けられ、もしも聖女が見つからなかった場合の責任問題はどうするのかと威圧をかけられる。
それこそ普段ならば国王相手では決して口に出さないような嫌味や罵倒が飛び出るほどの、酷い有様が繰り広げられた。
「国王様は事態の危うさをわかっていないのです!」
「我々の命の危機なんですよ!?」
「もう少し頭を動かして、賢明な意見を捻り出してください!」
「うん……うん……じゃあワシに意見を申し出た全員、一日謹慎室に軟禁」
影は薄い。気は弱い。しかし伊達に何十年も王位に座っているだけではなかった。
飴と鞭の帝王学を理解している男は、不敬罪として過激な発言をした貴族達を王宮騎士団を使って一斉に捕える。
すると国王の周囲から不自然に人が消えて、誰もが声を出さないように口を一文字に引き結ぶ。息をするだけで処罰されそうな空気を、喉の奥へ流し込む。
「聖女に命を賭けさせるならば、ワシだって同じようにしてやらんと不平等だろ?」
「……」
「人身御供で危機が消えるなら大いに結構。
で、それをワシの声を無視して決めていいと思ってんの?
いい御身分だけど、それって誰のおかげかな?」
「……」
聖女の味方ではない。国を救うためならば、この男は犠牲を出すことを選択する。
しかし責任を背負うのを常に覚悟している男にとって、目前の発言が我が身可愛さに犠牲を強いる傲慢に思えて腹が立った。
政務は基本的に大臣達に任せているとはいえ、責任は全て国王へ跳ね返ってくる。最終決定権は握りしめて離さないものだ。
「それじゃあ建設的な意見を、ワシに向かって命を賭けて発言してくれる?」
口調は大変気軽ではあるが、込められた意味は死ぬほど重い。
軽薄騎士ですら視線を合わさないようにしつつ、ジリジリと距離を取るほどだ。他の貴族達も同様で、壁際では押し潰される者が出始めた。
「父上。よろしいでしょうか?」
「よい。申せ」
第一王子が前に出ると、貴族達が少しだけ安堵したように見えた。
少々潔癖なところはあるが、文武両道の優秀な第一王子。二十代後半の今も大臣達に紛れて政務を取り仕切っている人物だ。
黒髪に青い瞳。がっしりした体格ながら、太さをあまり感じさせない。聖女が初めて出会った時は「ラグビーやってたイケメン上司みたい」という例えがあるのだが、それを正確に聞き取れた者はいない。
「人身御供と浄化。どちらにおいても聖女の捜索は必須となるでしょう。
王都の関門にて身柄検査を張り巡らせ、似顔絵手配書の準備を進めてもよろしいでしょうか?」
「うん、そうだね。じゃあ急いで」
「承知いたしました。
あと第三王子からも意見があるそうなので、ご拝聴を」
そう言って速やかに背中を向けた第一王子。大広間を去る前に隠れていた第三王子の背中を軽く叩き、国王の前へ押しだす。
まだ十七歳という若い王子であり、双子の弟が好き勝手している間もあらゆる勉学を収めている秀才だ。体を動かすことは苦手だが、彼が書き上げた論文に一目置く学者は多い。
柔らかい茶髪に、蜂蜜のような黄色の瞳。おどおどした様子で緊張しており、最初の一言目を出すのに戸惑っていた。
「あ、あの……父上にお願いしたいことがございます」
「命を賭けるほどに?」
「は、はひっ!あ、はい!
貧民街の調査責任者として、僕を任命してほしいのです」
その言葉には国王も目を丸くした。
息すらも呑んでいた貴族達が一斉に騒ぎ始める。第三王子は秀才だが、他の王子に比べれば見劣りする存在だ。
文武両道の完璧さを誇る第一王子や、脅威の天才である弟の第四王子のせいで王位継承者から一番遠い。
「貧民街を救うことは国益に繋がらない。
わかってるよね?」
税を納めない不法住居者。それが貧民街の住人を的確に表現した内容だ。
今だって壁の上で避難生活しているが、それは貴族達が私的にやっていることと不問にしているだけで、国自体が手を出しているわけではない。
瘴気が渦巻く貧民街の調査などに国税を使う価値があるのか。それを問われた第三王子は、顔を上げる。
「いいえ。国益にするのが、今回の目的です」
「……つまり?」
「瘴気は気体に近く、浄化で消えると思われております。
しかしそれが無害になっているだけとしたらどうでしょうか?」
「続けて」
「瘴気発生地点は浄化後に資源の宝庫として栄えることが多く、魔導学会でも話題になっていました。
貧民街の今後について、国益として大きな面を持つと考えています」
瘴気によって苦しんだ土地は、復興後には栄えるという噂は誰もが知っている話だ。多くは眉唾物だと本気にしないが、貴族の中では土地の売却において優先していることは有名だ。
しかしあくまで底辺からの比較でそう見えるだけだろうと、誰も調査までは考えなかった。魔導学会も本腰で調べたことはない。
「ふーん、じゃあ人身御供よりは浄化派でいいんだね?」
「それを含めて調べたいのです。
人身御供で傷を塞いで、瘴気だけが残っても大損とは思いませんか?」
「うん、そうだね。任命は書類上で行うから、少し時間かかるよ」
「構いません。お聞きくださり、感謝いたします」
足や声を震わせながらも、懸命に自分の言葉を伝えた第三王子。
貴族達の評価がわずかに向上する中、一人だけ彼の言葉を聞き流している男がいた。
魔導騎士は視線をあちらこちらに動かすが、探しているものが一切見つからないのである。
「あいつ……何をした!?」
吐き捨てるように小さな声で毒づく。
雷が落ちる前まで近くにいた人型スライムが、忽然と姿を消しているのであった。




