第58話「人殺し」
女神像の足元で縮こまっている聖女は、困ったように周囲へと視線を配る。
しかしハナヤの話に誰もが耳を傾けているが、目が聖女を捉えたまま離さない。護衛騎士達もどうするか迷いながらも、近寄ってくる気配はない。
特に不良騎士の狼狽ぶりに魔道具愛好騎士と間抜け騎士が真剣な顔で話し合っており、状況の悪さを予感させた。
針型杖をどれだけ握りしめても、漫画のヒーローのように助けてくれるはずがない。傷を縫って塞ぐことはできても、救済は専門外のようである。
意気消沈していても全ての報告を受け止めて綺麗にまとめていたハナヤは、針型杖に関しても男装女騎士が話した通りのことを告げる。
神聖教会関係者や信仰心が深い貴族がさらに注目するので、聖女は消えたいと願っているかのように怯えていた。
「男神に認められた?」
「ならば……」
「しかしそれは」
ヒソヒソと聞かれないように話し合う貴族が増えたことで、嫌な空気が大広間に充満していくのがわかった。
大理石の床や柱が底冷えしていくかのように、聖女自身も悪寒を感じ取っていた。あまりにも居心地が悪く、旅の疲れで目の前が揺れる。
息をするのもつらくなってきた頃、人型スライムと目が合う。彼は視線を直線的に動かしており、何かを考え込むように状況を見守っている。
そして聖女に手の動きだけで、その場から移動しないように指示する。
深い意味はわからなかったが助けてくれた相手を信じようと、聖女は両足に力を込める。
魔導騎士と軽薄騎士は警戒剥き出しの視線で周囲を窺い、答えを探ろうとしてはつまづいているかのような気配を滲ませていた。
若侍女のエリは第二王子の近くに立っており、小声で何かを話しているようだ。
第二王子は薄汚い笑顔で褒めているようだが、若侍女の顔色は青白い。まるで病人のようで、元気には見えない。
近くに行きたい気持ちはあったが、人型スライムの指示を無視することはできなかった。
浄化遠征の全貌が話し終わると、大広間は不気味なほど静まり返った。
拍手や歓声は夢や幻のように遠く、誰もが深刻な顔で苦渋を味わっている。例外なのは人型スライムだけだろう。
視線は止まるところを知らず、ドラコー家当主の横に立っている老執事の姿や、第一王子の背後で誰かを探している第三王子などを目撃する。
絨毯のように縫い目すら毛糸で隠されたような、人類の紡績が少しずつ強度を増していくのが青い瞳に映る。
視界から消えていくのは現実に浮き出る縁。目的地へ向かって獲物を引き摺り、縛り上げるための謀略。
愚かな人類の出した答えは、忌むべき原始の手法。
「生贄だ」
誰かが呟いた。
男か女かもわからないほどの小さな声だったが、静かな大広間では朝告げ鳥の声のように響き渡る。
それは風一つない泉に落とした水滴のように、人々の心に波紋を呼ぶ。大波となって聖女を襲うのに、時間はかからなかった。
「男神に選ばれし神子」
「異世界の人間」
「きっと喜ばれる」
最初の提案を後押しするように、続々と相応しいという要素を並べていく。
異世界の人間。悲しむ家族はこの世界にいない。消えたとしても、誰も困らない。
男神がわざわざ道具を与えたのならば、寵愛されている証だ。浄化の力よりも期待ができる。
ジャルネット村の亀裂が広がっていたことは一部の騎士しか知らない。瘴気の中で起きた事実や結果は、大広間にいる人間には響かない。
ヤドロギによって広げられた男神の傷は、初期報告の小さなものと大衆は認識してる。
それを癒すために男神の道具が必要だった神子。前代未聞であり、聖女の浄化力の弱さは大抵が知っていた。
貧民街の大地の裂け目は複数存在し、それは次第に繋がっているという。いずれ地盤が崩落し、瘴気の中へ呑み込まれるだろうというのが学者達の見解だ。
ジャルネット村の大地の裂け目より小さいのに。
情報の差で優劣が決まり、聖女の浄化を求める声が消えていく。
顔色が真っ青な聖女は、少しずつ近寄ってくる人々を化け物の如く捉えていた。
「どうか我々をお救いください」
「その身全てで男神の傷を癒してください」
「未来永劫語り継がれる素晴らしき犠牲です」
「聖女様、生贄になってくださいますよね?」
最早決定権は取り上げられて、聖女は逃げ場のない大広間の真ん中で立ち尽くしていた。
何が起きているのか理解しきれない。どうしてこうなったのかもわからず、歯の根が合わずにガタガタと鳴っている。
人々の壁を越えてやってきた第二王子が、威厳ある姿で告げる。
「聖女よ、大役を果たしてくれ」
恐慌の一線を超えた。
大勢の人間が一定の方向に動き出してしまえば、どれだけの権力があっても止めることはできない。
軽薄騎士と一緒に聖女へと駆けつけようとした魔導騎士だが、密集した貴族達が邪魔すぎる。
悲鳴が聞こえる。異世界の少女が金切り声を上げて、嫌がる言葉が耳を突き刺す。
「絶対に嫌です!どうしてそんなことになるんですか!?私はちゃんと浄化遠征を成功させたのに!」
「ジャルネット村の傷は小さいものだった。しかし貧民街のはその数倍の規模であるし、予想される被害は百倍以上だ」
「だからって私の命が必要な理由ってなんですか!?成功する保証もないのに、私の人権を無視するんですか!?」
必死に声を張り上げる聖女の耳に、信じられない疑問が聞こえた。
「人権?」
国によっては奴隷制度が残る異世界において、その概念はまだ浸透していない。
初めて聞いた単語に対しての聞き返しをしただけの第二王子だったが、聖女の蒼白な顔面が絶望に彩られていく。
異世界の人間。二人目の神子。歴史上初めての聖女。今まで押さえ込んできた不満が、瞬間的に破裂する。
「だから一人目の神子を殺したんですか?」
神子は命をかけて浄化を行う。それは人権がないからと、聖女は捉えた。
そもそも異世界の人間に与えられるかすらわからないことを、彼女はこの土壇場で気づいてしまったのである。
聖女の言葉に大広間は波が引いたように静かになる。
誰も否定しないことが、肯定となった。
「い、や。いや、嫌だ!!死にたくない!!私を元の世界に帰して!!」
「聖女、おとなしく……」
「触らないで、人殺し!」
「こ、のっ!」
手を跳ね除けられて、苛ついた第二王子の張り手が聖女の白い頬を赤く腫らした。
バチンっ、と小気味いい音は威力の強さを物語っており、聖女はよろよろと大理石の床に倒れてしまう。
針型杖は転がり、第二王子の靴先に当たった。動く様子は一切ない。
「私……死ぬために呼ばれたんだ……」
起き上がらないまま、床上で動かない聖女がポツリと呟く。
その悲痛な声音は少女のちっぽけさを思い知らせ、このどうしょうもない流れを変えることはできないと暗示しているようだった。




