第57話「怒涛の一週間」
事の発端は聖女が帰還する一週間前。
突如として貧民街の複数の亀裂から瘴気が漏れ出たのである。鯨の潮吹きのように黒い煙が噴出し、その勢いで穴を広げたのである。
最初の亀裂の穴が小さかったのと、瘴気の出る勢いが強すぎて瘴気は建物二階までの高さまで噴き出たという。
貧民街は基本的に掘立て小屋や板を組み合わせただけのものなど、屋根さえあればいいという考えから一階以上のものはない。
人が膝を抱えて寝れる程度の箱が所狭しと並び、街路と呼べるものは大人二人が肩を並べて歩けない幅である。
そのため瘴気噴出の発見は早かったが、混乱による建物の倒壊や集団の崩れ方は酷く、大勢の怪我人が発生した。
たまたま「魔導騎士団第二隊」が巡回していたため、現場の収束は早かった。
無断で、勝手に、隊長代理が貧民街の巡回を隊所属の騎士達に命じていたのである。
貧民街は結界の内側ではあるが、王都の壁外側である。王都に拠点を構えている三つの騎士団にとって、貧民街はコブのようなものである。
結界によって魔物から居住区を守られているが、壁内部から出てくるゴミを漁る者達の集まり。税金はもちろん払っていない。
貧民街が潰れても構わないというのが王都全体の意向だが、人命優先ということで貧民の多くは壁の上部に避難していた。
結界を張り巡らせるための機構の設置及び城塞都市としての機能を果たすため、王都を囲む壁というのは分厚く、一番上は大きな橋二つ分の広さが存在している。
緊急時はそこに大砲を設置など前線基地としての機能も果たすのだが、今では炊き出しの煙が冬空に向かって伸びていた。
その管轄や貧民達の面倒も魔導騎士団第二隊が率先して行なっており、仕方ないと言わんばかりに他の隊も協力している最中だ。
神聖騎士団も神の前では全てが平等ということで渋々と援助をしているが、王宮騎士団は見てみぬ振りだ。
問題なのは魔導騎士団第二隊の隊長代理――副隊長ナハト・クラウドが高名な貴族の五男であり、影響力が大きいということである。
貴族としては高貴なるものの使命として、貧民にも手を伸ばして助けるべきかという議論が巻き起こった。
貧民街の騒ぎは住宅街や商店街にも波及しており、一般人は恐怖と混乱で日常さえままならない状態である。
そんな状況で貧民だけを手厚く助けるのは違うのではないか。しかし貧民を見捨てるとなれば、人心が離れていき暴動に繋がりかねない。
あれやこれやと話し合っている最中、聖女帰還の一報が届いたのである。
王宮内の大広間。普段であれば国外の客人をもてなす宴や、社交会のために貴族へ貸し出す場所である。
立食用のテーブルを並べたり、大勢が音楽に合わせて踊ることも可能なほど広いのだが、今は人が集まって息苦しいほどである。
魔導騎士の父親はもちろん、クラウド家の現当主など。王都中の貴族が集まっており、第一王子を始めとした王族も立っている。
大広間の中央には神聖騎士団が心の安寧に、と用意した大きな天の女神像が置かれていた。
美しい女性である。右手には糸巻き、左手には糸車。運命の糸を紡ぐ女神は、慈愛に満ち溢れた表情が彫られている。
その像を見た人型スライムがなんとも言えない感情を顔に浮かべているが、周囲の人間にとってそれどころではない。
聖女が大広間に入った瞬間にどよめきが爆発し、聖女の救いを求める声が続々と空間を震わせるのだ。
針型杖をギュッと握りしめている聖女は、あらゆるおじさん達に囲まれてぷるぷると震えている。まるでスライムのようだと、魔導騎士は哀れに思った。
しかし魔導騎士も聖女に構っている暇はない。視線を巡らせ、人影に隠れようとする壁際の幼馴染を発見する。
「ナハト!」
「よ、よお!遠征お疲れ様、ケイ!」
「隊長権限を使ったな!?」
「あはは……こんなに大事になるとは思ってなかったんだよ」
軽薄騎士曰く、最初は貧民街の巡回許可申請だけだったのである。
当たり前のように跳ね除けられそうになった時、普段であれば放浪中の第一隊長がやってきて気軽に「俺が許可出しとくから」とあっさり承諾。
年下ながら国の中でも有数の権威を持つ第一隊長の前では反対など不可能で、隊長権限を使う暇もなかった。
部下からは多少の不満は言い渡されたが、亀裂の話をすることで表情が引き締まった。
貧民街の子供達から協力を得て、多少の駄賃と引き換えに亀裂の位置把握を進めていたところで瘴気が噴出。
その混乱で大勢の貧民が壁内部に助けを求めた。分厚い石の壁を血が出るまで叩く子供が、死にたくないと叫ぶ。
しかし王都内部への扉は全て閉ざされ、あらゆるものを拒否した。
その様子に部下達が同情し、権力でもなんでもいいから助けてほしいとナハトにせがむ。
隊長権限を使用して、一般人は立ち入り禁止である壁内部の階段から上部へ続く道を避難経路にした。
瘴気はあっという間に貧民街に広がり、その様子を貧民達は絶望した表情で見下ろしていた。
瘴気の特徴としては重いというものがある。地面を這うように広がるので、建物の二階以上へとは登ってこないのである。
壁の上は安全だ。浄化が得意な騎士が取り残された者がいないか探索する中、冬が近づく空の下で具合を悪くする者が続出した。
安全だが、屋根がない。いざという時用の布テントを配置し、騎士団の食堂から人手も借りて炊き出しを行う。
こうなると隊長権限を超えていたのだが、この事態を予期したように第一隊長がやってきて明るい声で告げるのだ。
俺が許す。思うがままにやれ。
太陽のように眩しい輝きを放つ第一隊長の前では、あらゆる国民が平頭して従いたくなる魅力に溢れていた。実際、権力的にはそれが相応しい人物ではあるが。
するとドラコー家、クラウド家、レイニー家が援助を申し出てきたのである。初期貴族の血筋と雨垂れ戦争の英雄両家が揃っては、他の貴族も黙ってはいない。
こうしてナハトの予測を超える支援が避難民達を救ったのだが――それが悪かった。
住宅街や商店街の住人から不平不満が噴出し、さっさと瘴気を浄化して貧民を追い出せと始まったのである。
聖女が帰ってくるまではと説得しても、ならば魔法で連れ戻せとわけがわからないことまで言いだす始末。
これには聖女担当である第二王子の責任問題まで発展してしまい、第二王子の苛立ちは破裂寸前まで膨らんだ。
そこに第一王子や現国王が貴族達を集め、難しい顔を突き合わせて話し合うことになった。
しかし貴族達も混乱と恐怖、人心の揺れ動きに振り回されてまともな思考ができていない。議会は踊りまくって、今にも倒れそうなくらい酷い有様である。
ナハトも発端人として呼ばれ、悪女五人衆関係の噂のせいで人格攻撃まで受ける羽目になった。こういう時に限って第一隊長は現れない。
国王が頭痛で倒れそうになっている顛末を聞いた魔導騎士は、ため息を吐くことすら鬱陶しい内容だと感じた。
人型スライムも話を聞いているが、視線は大広間の中央まで足を進ませられた聖女へと向けられている。
浄化遠征の全貌を遠征隊長であるハナヤ・カーナが語っている間は貴族の重鎮達も沈黙を守っている。
だが不穏な空気は膨らむばかりで、今にも弾け飛びそうな危うさが停滞している。
波が引いて普段は隠れている砂浜が出現するような、大波の前兆に近い静けさが不気味な状況だ。
「第一隊長に期待は?」
「無理だろ。風以上に自由気ままなんだから」
自分達より若くて天才肌の最高権力に近い位置にいる青年の顔を思い浮かべ、二人は揃って肩を落とすのであった。




