第56話「新たな試練」
馬車の小窓から見える空は灰色。どこか赤っぽく、北出身の号泣騎士は雪が降りそうだと思う。
忍び寄る冷気は凍えるようで、魔導騎士と同じ馬に乗っている人型スライムの動きが明らかに鈍っていた。
「スライムは皮膜で冷気を防ぐと聞いているが?」
「人肌の温感は鋭すぎる」
もこもこと服を着込んでいても、ガタガタと震えている。
曰く、転生失敗のせいで中途半端に人間になってしまったという。前世の特性を引き継ぐはずが、中身はスライムと変わらないのだとか。
痛覚はほぼ触感に置き換わっているのでスライムの頃と変わらないが、水分に影響を及ぼすような温度の変化に弱くなったらしい。
「もう大丈夫なのか?」
「糸が細すぎる上に、聖女に繋がっていない。
心境の変化でもあったのだろう」
二人揃って視線を向けるのは、王都へ戻る遠征隊列の先頭。
ハナヤ・カーナ。側近達は避難所での医療が必要らしく、今は親衛隊の中堅あたりが彼を守るように進んでいる。
骨壷をずっと胸に抱えている男は、いつまでも表情が晴れない。どこか虚ろで、時折うなされるように顔を上げるだけ。
巨体スケルトンとの関係性については、二人にとっては不明なままだ。
酔っ払い騎士は何かを知っているようだが、詳しいところまでは知らないとはぐらかしている。
意気消沈に値する出来事のせいで、聖女殺しはどうでもよくなったのだろうというのが人型スライムの結論だった。
「あとレイとドージに正体がバレたな」
「まあここまで来たら、自分の役目はあと一つだ」
「役目?」
「聖女を助ける」
最初よりもだいぶ打ち解けたからか、人型スライムは隠すことなく口にする。
得体の知れない部分は多く残っているが、問いかければ答えてくれるようになっただけでも大躍進だ。
なにより人型スライムは約束を守った。聖女を助け、浄化遠征を成功に導いたのだ。
「元の世界に返すのだな」
返事はなかった。
しかしそれは肯定しているのと同じだ。
薄々わかっていた。今回の神子は「異質」なのだ。
歴史上初めての神子召喚にはあらゆる魔法の叡智を詰め込んだ故、天の女神の力を借りていないのである。
もしも女神の力が及んでいたのならば、聖女には女神の紬糸が繋がるはずだ。
神子は女神が選んだ人間を指す言葉だ。
二人目の神子として、聖女と呼ばれている異世界の少女。
おそらく天の女神にしてみれば神子ではなく、予想外の客人なのだろう。
「浄化遠征が成功した今、それが正しいだろう」
「反対すると思っていた」
「襲撃者の一件以来、考えていたことだ。
この世界が彼女を歓迎するのは、利用するためなのだから」
誰かの都合で生死が左右され、上手くいけば歓喜して持ち上げる。
では失敗したら。全ての罪をなすりつけて、処分してしまうのではないか。
異世界の少女に背負わせるにはあまりにも重い。神の加護さえ聖女は受けられないというのに不平等である。
「これ以上は負担が大きすぎる。我々は考え直さなくてはいけない」
「何を?」
「愚かな行為の補填で、墓穴を掘っているということを」
一人目の神子を見殺しにした時から、この愚行は続いているのだ。
派閥の権力争いや、民衆の期待に応えるべく行う印象戦略、そして神子という不可侵領域に触れてしまった技術。
嫌な予感が背後から迫ってくるのを感じ取り、魔導騎士は真剣に告げる。
「聖女様を守ってくれ」
「……」
「荷が重かろうが、お前にしかできないことがあるのだから」
第二王子の思惑が動き続けている中、浄化遠征のために王都から離れてしまっていた。
その間にどれだけの事態が動いているかは、魔導騎士ですら予測が難しい。浄化遠征成功のため、即座に聖女排斥という行動には移らないはずである。
次の行動が起きる前に聖女を元の世界に返す。普通の少女を、異世界の生活に戻してあげなくてはいけない。
「……そうだな」
人型スライムの返事に込められた意味を、魔導騎士は深く捉えなかった。
頭の中では謀略に対抗する思考を張り巡らせ、それだけで他に意識を回す余裕が消えている。
もしも表情を見ていたら結果は変わっていたかもしれないが、過ぎ去った時間の可能性は雪よりも早く溶け消える。
王都が見えてきたが浄化遠征隊列の方向が正門から逸れていく。
貧民街から遠ざかるように遠回りに壁を伝い、輸入口の小さな跳ね橋を渡る進路を選んでいる。
遠征成功で喜びの声で迎えいられると思っていた騎士達は、住宅街を通らない経路に不安そうな気配を滲ませた。
商店街は不気味なほど静まっており、どの建物も窓を閉め切っている。カーテンを盾代わりにしているかのように、あらゆる内部が見通すことができない。
昼間であるにも関わらず、人っこ一人見当たらない。夜でさえ明かりが灯る商店街では異様な状況だが、言い知れぬ恐怖から誰もが口を閉ざす。
貴族街も同様の状況で、巡回の王宮騎士団の若手が神経を尖らせている。肌を突き刺すような警戒具合が、ただならぬことが起きていると思わせた。
遠征隊は即座に王宮へと入り、馬車から降りた聖女はあっという間に老年の侍女長達に囲まれてしまう。
「聖女様、こちらへ」
「さあ、お早く」
「第二王子がお待ちです」
容疑者連行のように連れていかれそうになった聖女を、男装女騎士と若侍女がどうにか引き止める。
二人は疲れた聖女のためにと同じ馬車内に乗っており、怒りを露わにする侍女長達にも毅然とした態度で睨み合っていた。
「聖女様は浄化遠征でお疲れだ。
まずは用件の重要性を述べてもらおうか」
男装女騎士の気迫は歴戦の騎士でも慄くほどだが、一番経験豊富な侍女長が負けじと言い返す。
「恐れ入りますが、爵位は?」
「ない」
「事の重要性は貴族の皆様がご存じです。お下がりください」
「では私が聞こう」
今にも怒りで飛びかかりそうだった男装女騎士を制し、一歩前に出たのは遠征隊長であるハナヤ・カーナだった。
男装女騎士は不良騎士と冷や汗騎士がこっそりと押さえ込み、酔っ払い騎士と間抜け騎士が入れ替わるように聖女のそばへと近寄る。
「ハナヤ様……っ!?」
「私の爵位でも足りないような事態か?」
「決してそのようなことは……」
「ではこの場で聞かせてもらおうか」
戸惑う侍女達の背後から、荒々しい足音を立てて近づいてくる存在があった。
それは護衛だけでなく、大勢の貴族を引き連れた第二王子だった。厩の近くということも気にせず、芝を踏み荒らして進んでくる。
集団で近寄ってきた第二王子に、さすがの能天気聖女も恐れたらしい。身を縮こまらせ、針型杖を抱きしめて硬直した。
「聖女よ!」
「は、はい!」
第二王子が前に出ては、護衛騎士の壁など紙よりも弱い。
ずいっと前に出てきた男を怖がりながらも、声を裏返しつつ返事をする。
「まずは浄化遠征の成功、大義であった」
「え?あ、ありがとうございます……」
襲撃者の黒幕など一切わかっていない聖女は、素直に誉められたと受け止める。
少しずつ近寄るものの、人の壁に遮られている魔導騎士からすればハラハラして不安になる光景だ。
しかし第二王子の表情にはお祝いするという類は見えず、鬼気迫る様子で切り出す。
「しかしもう一度浄化を頼みたい」
「そんなすぐ!?つ、次はどれくらいかかるんですか?」
一回の成功で自信がついた聖女は、疲れが残りながらも嫌だとは言わなかった。
しかし往復で約一ヶ月かかるような遠征を体験した後では、次はできれば近いところがいいと願う。
「ここだ」
その願いを叶えるかのように、残酷な現実は口を開けて待ち構えていた。
「王都横の貧民街で瘴気が噴出した」
不良騎士の顔色が変わる。生まれ故郷であり、孤児院の子ども達の多くが関わる場所。
遠征前に軽薄騎士も気にかけていた事態。それが遠征中に起きてしまったことを、魔導騎士は知る。
その場にいた全員が驚きで言葉をなくす。数百年以上瘴気の被害がなかった王都近くで、とうとう男神の傷が開いた。
「聖女には傷を塞いでもらわなければ、王都にいる者全てが死滅するだろう」
切羽詰まった状況があらゆる心を追い詰める。
こうして休まる暇もない内に、聖女には新たな試練が与えられるのであった。




