第48話「極光と祈願を宿した白金色の糸」
どんなに努力しても届かない領域に手を伸ばして。
死に物狂いで続けている内に、冷静な思考が無駄だと断じても。
諦めなければ叶うと信じていたことを裏切られて、目の前が真っ暗になる。
ぐらりと体を全面に倒した聖女の体を、間抜け騎士は慌てて肩を掴んで支える。
服の上からでもわかる尋常じゃない汗の量。目は血走って今にも破裂しそうなほど。
唇は紫色で、肌も青白い。手足には力が入っておらず、浄化範囲は半径一メートルまで縮んでいた。
盾は既に範囲外。間抜け騎士が少しでも聖女から離れてしまえば、あっという間に瘴気の餌食だろう。
それでも指先が震えて、大地の裂け目に向かって伸ばされている。感情すら表現できない顔なのに、瞳に諦めないという意思が宿り続けている。
「聖女様!もう大丈夫ですから……貴方の体を大事にしてください!」
伸ばされる指先を覆うように、手を重ねる。
魔法使いではないから助けられない。魔法使いだとしても、大海の水一滴程度でしかない。
それでも止めることはできる。今にも死神が寄ってきそうな少女の命を守ろうと、間抜け騎士は懇願する。
「お願いです。死ぬまで頑張らないでください」
駄目だったと突きつけられたかのように、聖女の瞳から熱がなくなっていく。
目の縁に浮かんだ雫が頬を辿り、顎を伝って赤く染まった地面に落ちた。幼い頃の傷は、結局癒されることがない。
野望が崩れて瓦礫になっていく。もう二度と戻らない何かを感じ取って、瞼を閉じようとした矢先。
「自分の助けは不要か?」
体に力が戻る。振り向けば、いつもと変わらない愛想のない表情でこちらを見下ろしていた。
「ライムさん……」
腹には大きな傷。荒い縫い目のせいで、透明な皮膜が見えていた。
溢れ続ける水が服を濡らしており、止まる様子はない。そのせいで背後にいる男装女騎士だけでなく、間抜け騎士すらも警戒を始めた。
人型の魔物とバレても、人型スライムはいつも通りに問いかけてくる。
「自分のために頑張るのだろう?」
「……うん」
だから苦しい。つらくて、それでも諦めたくないと心の底で暴れている。
楽になる道などわかりきっているのに、そうしたくないと駄々を捏ねているのだ。
「どうすればいい?」
「……」
「私の力じゃ圧倒的に足りないの。
死ぬまで頑張れば、なんとかなるかな」
「無理だな」
冷酷に、はっきりと。人型スライムは否定を告げた。
それに聖女は安心と共にやりきれない気持ちを覚える。死んでも叶わないことがあるなんて理不尽だ。
「そもそもハルカが死ぬ必要はないはずだ」
当たり前のように、人型スライムは呆れたように続ける。
「この世界の問題に関係ないのだから」
「……うん」
死ぬまで頑張る理由は、聖女には最初からない。
異世界の人間が何故か召喚されて、深く考えないまま関与してしまっただけ。
神子としての才能がないことも、なんとなくわかっていた。魔導騎士が浄化遠征中はいつも不安そうに聖女を見つめていたから。
「だから怒れ」
「………………うん?」
突然の言葉に理解が追いつかず、聖女は目を丸くした。
「一人に全てを押しつけて、ふざけんじゃねぇ――とな」
青い瞳がまっすぐと、聖女に視線を向けている。
普段はあちらこちらに動かす癖があるはずなのに、今だけは逸れることがない。
「もう一度聞くぞ」
「うん」
「自分の助けは必要か?」
「……うん!」
大粒の涙をこぼして、聖女は何度も力強く頷いた。
怒りよりも先に、目の前の問題を解決したい。誰かを苦しめる何かに、立ち向かえる自分になりたい。
誰よりも、自分のために。
生きて頑張りたいのだ。
「では手を伸ばせ」
言われた通り、両腕を大地の裂け目に向かって伸ばす。
それだけで体全体が震えて、引き攣れるような痛みに襲われる。
「――糸車よ、廻れ――」
カチリ、と鎖の先で揺れる洋燈の硝子扉が開く。
騎士二人には空っぽに見えたが、糸車を中心に燃える白炎が勢いを増した。金粉の如き輝きが解き放たれたように空中へと躍り出る。
青い瞳に映る糸の量が増えた。視界を埋め尽くす千差万別な色糸。金粉のような輝きを呼び水に、特定の糸へと狙いを定める。
「――人類の紡績干渉開始――」
忌々しいほど密集した人類の積み重ね。
その一部を強引に掴んで引き寄せる糸車。ガラガラと、今までにはないほど高速回転をして巨大な糸巻きを瘴気の中で作り上げていく。
蚕の繭のようなそれは騎士二人も視認できた。透明な白金に極光の輝きは、瘴気の中でも月のように佇んでいる。
「――祈願の糸よ、奇跡を紡げ――」
花開くように祈願の繭が開く。その中は空洞で、蝶の羽根のように束ねられた糸が動き、聖女へと近寄る。
騎士二人が危機を感じて手を伸ばして阻止しようとするが、絹のような手触りだけを残してすり抜けていく。
花開いた繭の中心が聖女となり、まるで彼女から美しい妖精の羽根が生えているような光景。
「今だ、浄化を行え!」
「はい!」
瞬間、洋燈すらも飲み込んで白炎が燃え盛った。
鎖の先で揺れる白炎が勢いを増すと、人型スライムは苦しそうに体をくの字に折る。膝が曲がるが、倒れないよう足に力を入れる。
浄化の力に反応するように、花開いた繭の極光が強くなる。光の中から鱗粉が落ちるように、人々の祈りや願いの声が溢れた。
――どうかお願いします。
――瘴気が消えて、元の生活に戻れますように。
――この祈りが神子様の力となって、助けてくれたら。
無力を嘆き、それでも未来を待ち望む切望の囁き。
歯が抜けた子供の笑顔、手を強く握る老婆、片足を魔物に奪われた男性。
彼らだけではないと、はっきりわかる。数多の人間が顔を上げて天に向かって祈っていた。
その代表としてこの場にいること。
背中から聞こえる声に後押しされる。
周囲の瘴気が薄くなっていくが、渓谷のような大地の裂け目の変化は亀の歩みのように鈍い。
足りない。圧倒的に、どこまでも。
どれだけの声があっても、聖女に本気以上程度の力しか引き出さない。
次第に苛立ちが勝ってくる。人型スライムの言う通り、怒ってもいいのではないか。
それは無力で祈るだけの人々ではない。根源的な――神に対して。
「男神だかなんだか知りませんけど」
背中にある花開いた繭の花びら一つを力任せに掴む。
ぐんにゃりと曲がった羽根を手前に持ってきて、糸束を作るようにローブマントの袖に巻きつけていく。
突如奇行に走った聖女に騎士二人は驚くが、構わずに叫ぶ。
「傷を治して欲しいなら、助けを寄越しやがれ!!
大馬鹿神!!!!」
とんでもない罵倒であったが、人型スライムは口元に笑みを浮かべた。
傷ができたから治せ?
命がけだけど頑張って?
そんな簡単に言っていい限度を超えてるんだと、心からの叫びだ。
神様一柱と人類の価値を天秤に乗せて、ずっと神様優位であることに文句を飛ばす。
――すまない。
――あいわかった。
その言葉が耳に届いたのは人型スライムだけだ。
いきなり怒鳴られて驚いたのか、神妙な返事である。大地の裂け目に向けられた大声は、体内部によく響いたのかもしれない。
花火の如く地の底から垂直に駆け上がる光が一つ。それは瘴気の壁を突き破り、聖女の目前で急停止する。
針の形をした魔法の杖。
聖女にはそう見えた。全体は銀色に光るが、材質は木。先端は細いが、人を傷つけるような尖り方はしていない。
糸を通すような穴のところには、鎖で繋がれた糸巻きがゆらゆらと揺れている。
「男神の助けだ。遠慮なくつか……」
「よっし!」
人型スライムの言葉よりも先に、何も怪しまずに針型杖を掴む聖女。
揺れる糸巻きに触れれば、背中で広がっていた祈願の糸達がぐるぐると渦を巻いて束ねられる。
丸い白金の糸玉。極光の光が揺れるたびに色を変え、北天の空に輝く美しさを宿していた。
「人の願いは力になる!
皆の祈りが助けになる!
私はそれに力を貸す聖女として、この傷を治します!」
針型杖から風圧が放たれ、聖女の桃真珠色のローブマントがあおられる。
それにも負けず、宙に浮かぶ杖に向かって両手を伸ばす聖女は最初から理解していたように指令の言葉を口に出す。
「――縫合開始!――」
大河のように広い両岸を繋ぎ、埋めるように。
膨大な祈願の糸が針型杖によって縫われていく。その速度は大盾が出した速度を超え、あっという間に視界から離れていた。
両手を伸ばし続ける聖女には目に見えない圧がかかっているのか、その体が後ろへ傾く。
騎士二人が背中を支えれば、転がり落ち続ける岩を止めるような威圧を感じ取った。
ズズッ、と足が地面を抉る。しかし聖女の瞳は爛々と輝き、確かな手応えを痺れる両腕から伝わってくる。
人が紡ぎし願いの糸が、男神の針によって浄化の助けとなる。その膨大な量に力を巡らせると、簡単なほど傷が塞がっていく。
「聖女様!」
「あと少しです!」
瘴気が晴れていくのがわかる。
目を突き刺すような陽光が差し込み、最後に小さな声が聞こえた。
――大事な村なのです。
――林檎パイが美味しくて、村人も優しくて温かい。
――私の大好きな場所を、どうかお救いください。
聞き覚えのある声に応えるように、最後の一滴まで絞るように力を込める。
「ありがとう、エリ。
その声も力になるよ」
本気も、限界も。
全てを超えた浄化が、ジャルネット村を中心として広がるように爆発。
白金色の極光が視界を埋めていく。それを最後に人型スライムは意識を失った。




