第130話「助け会いに行く」
本物の太陽が地平線に沈み、偽物の白い太陽が王都を照らす。夜なのに明るく、路地裏さえ白く見えるほどだ。
太陽の高低で色を変えてしまう街並みは、魔導騎士にとっては住み慣れた場所である。王国で一番栄えた中心地。
自分が生きている内に魔物に脅かされる危機が訪れるなど深刻に考えたことはなく、竜が飛来する事態など想像もしなかった。
仰向けのまま目をぱちくりさせている人型スライムの首元から手を離す。どさりと尻餅をつき、地べたに座って空を見上げる。
貴族の子息としてはだらしない姿だが、かっこつける意味も余裕もない。誰もが壁の方へ恐れの視線を向けており、近場の小競り合いなど放置だ。
冬の風が肌を撫でても、汗はひっきりなしに流れ出ている。呼吸をすれば外気温の温度差で白くなり、あと半月くらいで雪が降りそうな寒さだ。
「……」
二人して無言で空を見る。人工的な光が空を照らして無理やり青くし、夜の闇を必死に遠ざけている。
それも永遠には続かない。幻のように突然訪れた白夜は、いずれ限界を迎えて一瞬で消えるだろう。
「借りは返した」
人型スライムがようやく出した答えは、素っ気ないものだった。
夕焼けの街で命乞いした。魔導騎士はそれを助けた。失敗なのか、成功なのか――いまだに答えが出ない分岐点。
ただ人型スライムと女神の計画が長期になった理由はそこであり、王城で起きたいざこざでその縁は切れたと思った。
「貸しを作ればいいだろ」
少しだけ呼吸が落ち着いてきた魔導騎士の言葉もあっさりとしていて、明日の予定をぼんやりと考えるくらいの軽さだ。
「自分に利点が……」
「お前の目的を助けてやるよ」
振り払おうとして、思いもしなかった言葉によって遮られる。
王城で確かに聞いたはずだ。人類を世界ごと滅ぼすために歩いてきたことを、それを隠し続けていた裏切りを。
「正気か?」
「まあな」
それは全部に疲れたようなため息混じりの言い方であったのに、諦めはどこにも見当たらない。
むしろ赤い瞳でまっすぐ見つめてくる気配は、身震いするほど真摯なものだった。
「やれるもんならな」
にやりと笑った魔導騎士の態度に、人型スライムはそういうことかと察した。
人類を滅ぼすためには人の生息地へと赴かないといけない。その旅路の手助けをしてくれるのだろう。不本意な要因で死なないように。
そして人型スライムの念願が叶う直前でも、助けるのだろう。人類に殺されないように、洋燈を死守するのだ。
「永遠の命もないくせに」
「そしたら子孫に任せるさ」
「帰る余裕があるとでも?」
「お前を引きずっていくことくらい容易いからな」
人類に殺されるためにスライムとしての弱さや性質を残している人型スライムは、真っ向勝負では魔導騎士には絶対勝てない。
洋燈を使ってある程度は掻き乱すことはできるかもしれないが、糸を視認できる魔導騎士相手では効果薄すぎる。
「お前が最初に言ったことだろ?」
命乞いを聞き入れた魔導騎士にとって、今となってはそれが人型スライムを死なせない理由になる。
「じゃあお前を助けない」
「子供か?」
「生後一年は経ってないからな」
「外見詐欺め……」
知識や心、魂までも女神産。人の形は十八歳の青年だが、実際の生存日数は三百六十五日以下である。
人間の姿はしているが、実際はスライム。どこまでも外見通りではない魔物は、不貞腐れたように寝転がったままだ。
「……聖女様を帰さなくていいのか?」
不気味な静けさは獅子舞元帥の侵攻準備が進んでいる証明な気がした。
壁上では先ほどの大規模投石による後始末に追われて、先手を仕掛けるかどうかで会議が踊っている頃合いだろう。
そこでは右往左往しつつも、異世界なりの常識でどうにかしたいと空振りしそうな勢いで張り切っている少女が渦中に。
「俺は助けなくてもいいが」
「……」
「聖女様を助けると言ったのはお前だからな」
口に出したことは守れと言うように、子供の諭し方と同じ口調で指摘される。
最初は女神の指示。途中からは不明瞭なまま、見捨てられないという半端な気持ち。人型になったせいで、魔物にはなかった同情が生まれたのだろうと思う。
異世界に戻るための道具を渡したのに、異世界のたった一国の行く末に付き合っているのは何故なのか。
「俺は戦力に数えるなよ」
座って休んでいても、指先の震えは消えない。どれだけ呼吸が整った気がしても、音だけで常時とは異なる吐息。
どれだけ搾り出そうとしても、魔法で火の粉すら生み出せない。命を削るつもりで無茶をした反動が、体を蝕み続けていた。
「だからお前が助けろ」
満足に動けない魔導騎士でも、その地位や積み上げだ実力、人脈や影響力は有益なものばかりだ。
少なくとも人型スライムが単独で壁に向かうよりも、すんなりと物事は進むだろう。いきなり生贄として放り投げられることもない。
獅子舞元帥の怒りを買ってしまった矢先、のこのこ歩いて「助けに来た」など言っても説得力皆無なのが、殺されるために最弱なまま転生した人類の自滅機構の欠点である。
「……借りにはするなよ」
「俺は義理堅い方だ」
「延々と助けられて生きろと?」
「人類が反省して、女神が許すまでな」
そんな日が来ないと魔導騎士も薄々感じ取っているのか、その笑みは苦さを含んでる。しかし立ち上がった人型スライムへ手を伸ばす。
力のない腕では頼りなかったので、笑う膝を伸ばして人型スライムの肩を借りる。重みに負けそうなのか、二人の足取りはよろよろとしている。
「まあお前との旅路は飽きないだろう」
「自分はうんざりする」
憎まれ口だけが健在で、今にも転びそうな様子なのがおかしいくらいだ。
「……逆だな」
ぽつりと呟かれた人型スライムの言葉はそよ風でも消えそうなほど小さいが、肩を借りているため聞き逃すことはなかった。
夕焼けの街で人型スライムを助けた魔導騎士は、白夜の街で立場が逆転した。
最初は殺すかどうかで迷っていたのに、今は生かすために変な決意を固めている。
「変わった人間だ」
「俺自身に変化はないぞ」
「じゃあ最初から変だったんだ」
「お前ほどの変わり種に言われたくないな」
ゆっくりと、普通に歩くよりも少し遅い速度で前へ進む。
お互いを「おかしい」と罵り合いながらも、目指す場所は揺らがない。
普段は無口気味な人型スライムが流れるように言い合いを続けて、女神の言葉には耳を貸さずに無視をする。
――何を考えてんのよ!?
運命の糸が繋がらない。どれだけ軌道修正しようとしても、人類の紡績の厚みが突き破れない。
魔導騎士はどれだけ強くても普通の人間だ。神の力にはただ平伏して従うしかないはずなのに、人型スライムの行動に干渉して女神の思惑から外れていく。
人類が殺すべき魔物を助ける。その結論に至るまでの道程、紡いできた縁は魔導騎士という人間が作ったものだ。
――無意味に死ぬつもり!?
人類の自滅機構として転生して、たった一つの死因を求めてきた魔物。
その死に様は女神にとって望む形でなければいけないし、人型スライム自身も願望成就のために歩いてきたはずなのに。
縺れ合った糸が解けない。毛糸玉のようになったそれが伸びた先には、戦いの最前線である壁が聳えている。
人生とは命を運ぶのでしょう。
老執事の言葉が嫌になるほど、女神の頭の中でぐるぐると渦巻く。
魔導騎士の人生に巻き込まれる形で、人型スライムの命が女神の手から離れていく。死ぬべきものが、生かされてしまう。
どれだけ悔しがっても、神々に睨まれている女神にはそれ以上の干渉は不可能だった。
――まあいいわ。
――死が二人を別つまでだもの。
――生命線は運命の糸よりも短いのだから。
運命の女神から見放されて、命が綿埃よりも軽い場所へ。
人間と魔物は助け合いながら、頼りない聖女との再会を目指すのだった。




