第129話「されど魔物。たかがスライム」
スライムヲ引キズリ出セ。
恐怖よりも困惑が勝る獅子舞元帥の言葉。
ジャックレオという魔物は人型の中でも最上位の強さだと言われている。その身体能力で木を引き千切り、強烈な爪や牙で金属を容易く噛み砕く。
その中でも固有名を与えられ、国を滅ぼした伝説を持つ獅子舞元帥。それがあらゆる魔物を並べても最弱と言われたら誰もが納得するスライムに固執した。
人型スライムのことは王都の中でも王城の事件に関わった者には周知の事実でも、一般市民からしてみればプヨプヨの動く水袋だ。
結界に触れただけで水分一滴すら残らず、弱すぎて赤ん坊よりも無害。畑を荒らす子鹿の蹴りの方が怪我しやすい。
恐怖に潜む憧れや敬意を抱いていた者などは、「獅子舞元帥からそんな弱いものいじめみたいな言葉聞きたくなかった」と嘆く。
そして心当たりがあるもの全員が「あのスライム何やった!?」と、ただでさえ傍迷惑な存在が余計なことをやりやがったと憤慨する。
壁上では魔導騎士団長が腹を抱えながら声もなく転げ回り、聖女や軽薄騎士は驚きのあまり絶句。
骨壷騎士は作業のために骨壷を平たい場所に置いた矢先の言葉に、頭が痛くなるばかりだ。
「なんでライムさんが獅子舞元帥に狙われてるんですか!?」
「こりゃあケイが無理して動き出すなぁ」
{我より優先するのがスライムだとぉ!?}
獅子舞元帥の言葉に怒るのは竜くらいなもので、基本的に最優先及び最敬礼として扱われてきた上位種族としての誇りが変な方向に刺激されている。
魔物の軍勢も獅子舞元帥の言葉に困惑したのが、波のように整って動いていたはずが、木立の騒めきのように乱れ散っていた。
貧民街で隠れて行動していた冷や汗騎士もあんぐりと口を開けて驚愕し、魔道具騎士は「そういえば洋燈隠し持つ役目はいつ終わりだったでござろうか」と思い出したように懐から取り出す。
「あの馬鹿……っ!」
老人の姿に戻った執事の馬車に乗ろうとした手前で、獅子舞元帥からの言葉だった。
座席で目を丸くする婚約者に一言謝罪して、魔導騎士は街中へと走り出す。
老執事はニヤニヤと面白そうに事の成り行きを見守っており、婚約者からの激励も走る速度を上げると遠くなっていく。
目指すは王都から逃げられない人型スライム。
人間だけでなく獅子舞元帥にも狙われた、人類の自滅機構。
――――――;
肝心の人型スライムは、苦虫を噛み潰した顔で空を見上げていた。
切れそうな縁の糸を辿って、女神の指示に従って行動したまで。全ては「洋燈を取り返して遠くへ行くため」だった。
獅子舞元帥が人間を敵と認めれば、門に集められた主要戦力が魔物の軍勢が蔓延る壁へと向けられる。
女神の作戦は簡単だ。
獅子舞元帥を利用して王都を滅ぼす。洋燈は事情を知る人間ならば勝手に守るのだから、王都壊滅寸前に奪い取ればいい。
だから人間の形をしているスライムが挑発をすれば、簡単に乗ってくるだろう。なにせ獅子舞元帥は「文字が読める」のだから。
絵本を使っての挑発は成功したのに、要の部分がブレた。やはり転生を失敗させる女神は頼りにしてはいけないと、人型スライムは改めて認識した。
――まじで狂ってる。
舌打ちしながら呟いたかのような言葉は、女神にとっても想定外であったことを証明していた。
運命を手繰る神のくせに、いつも詰めが甘い。その罵倒を口に出さないまま、人型スライムは四方八方から響く女神の声にうんざりする。
――そんなに愛したの?
――そんなに焦がれたの?
――そんなに夢を見てるの?
魔物の真っ直ぐにしか突き進めないような性質は、一途という言葉が近い。女神は世界滅亡に必要な要素として重要視したもの。
それは獅子舞元帥も同様なのだが、恐ろしいほど綺麗な純真さを、女神は嫌悪を込めて吐き捨てた。
――魔物のくせに。
魔物は男神が混沌の海から掬い上げたものではない。瘴気の中から勝手に生まれる、想定外の生物。
女神の糸車に従わず、神々の救済対象から外れて、運命の外側で動き回る異物。人間に愛されることもない、利用されるだけのもの。
彼らの思考を理解したところで意味はなく、同情しても笑って殺されるだけ。魔物にしてみれば他者には何も求めていない。
その点に関して、人型スライムは何も感じない。
スライムの頃から、他の魔物などどうでもよかった。それは今でも変わらない事実だ。
ただ獅子舞元帥という『異常』は、根底から運命の外側に存在することに笑ってしまう。
この世界に生まれ落ちておきながら、まるで聖女のように女神の糸が繋がらない。
女神からは予言書のせいだなんだとうるさいが、少なくとも人型スライムよりは自由なのだろうとは思う。
それはそれとして、狙われるのは人型スライムの視点でも大変困る。何がいけなかったのか、虫を叩き潰した絵本を睨んでも答えは出そうにない。
近くの樽に溜められた雨水を肌につけて、傷を静かに消してしまう。女神の発案で傷を作ったのも、失敗に終わった。
獅子舞元帥が王都内にいる魔物を操ろうとしたのがわかったから、注意を惹きつけるためだったが結果は最悪である。
路地に出ていた民衆達が「スラ、イム……?」と困惑を続けるのを眺めて、どちらにせよ最終的な着地点は変わらない。
獅子舞元帥はスライムがいる場所を目指すならば、王都に攻め入るしかない。狙いが増えたところで、目的は同一なままだ。
問題は洋燈の位置。
壁の外。瘴気が充満してる貧民街あたりまでは把握できたが、一体誰がそれを所持しているか。
もしも簡単に殺される人間ならば急いで回収しなくてはいけないし、しぶとく逃げ回る根性があるならば傍観が最適だ。
聖女。護衛騎士と結託して洋燈を持ち逃げした彼女ならば、所持者を知っているはず。
――騙せるの?
人型スライムの狙いがわかった女神が、明らかに信用していない口振りで問いかける。
人聞きが悪い言い方ではあるが、人型スライムも伊達に本当の目的を隠し続けてきたわけではない。
嘘をつくことはできずとも、真意を見せずに会話をすることくらいはできるようになった。
瘴気を消すために聖女の力が必要。それを増幅することが可能な洋燈を取り戻したい。
協力する、と口にしなければ問題ない。瘴気の対抗策が聖女であるのは合っているし、洋燈を取り戻したいのは真実だ。
ある程度の目星がついた人型スライムが壁へと向かおうとした矢先、ざりっと路地の石畳を踏む足音が背後から響く。
「ライムっ!!」
人型スライムが振り返るよりも速く、大地が回転したかと思えば人工的な昼夜の空へと視界が切り替わる。
一本背負い。背中から路地に叩きつけられた人型スライムが目を白黒させていると、尋常ではない汗を流した魔導騎士が睨むように見下ろしていた。
指先だけでなく腕全体が震えて、息はいつまでも整わない。それでも言葉を出そうとしては、音になる前の声を漏らしている。
「……なんだ?」
意味ある言葉が出せない魔導騎士の代わりに、人型スライムが問いかける。
その路地裏が二人の初遭遇の現場だとも気づかないまま、青と赤の瞳の視線がぶつかっていた。
「……っ!」
改めて言葉にしようとすると、適切なものが見つからない。
それでも魔導騎士は何かを伝えようと、呼吸音よりも小さな声で本音を吐き出した。
「助けろ」
それは自信に裏打ちされた強さを持つ魔導騎士が、人型スライムには告げなかった頼み。
予想外の一言に、人型スライムは思考が止まるのを感じた。




