第124話「とても小さな出来事こそが」
王宮騎士団と神聖騎士団。その二つの頭を担う男達は、第一王子の引率で降りてくる避難民達に目を丸くした。
薄汚れて、鼻をつく臭いを振り撒いて、健常な生活を享受している者ならば顔を顰める有様がぞろぞろと壁下へと向かっている。
第一王子が先頭に立つならばある程度は抑えられても、確実に反発は生まれる。特に住宅街の住民からしてみれば、今の王都の危機を彼らが原因と考えている節を感じているだろう。
壁の外に貧民街があるから、竜が目をつけたに違いない。
そうやって悪の位置を決めて、心を楽にしないと立場を維持できないような不安。だって、どうして、おかしいという疑問が湧かないように必死だ。
何も悪いことをしていないのに、死ななくてはいけない理不尽が降りかかってきた。そこに貧富の差や老若男女の区別はなくとも、善悪で仕切りたい願望。
壁上で起きている情報は遅れてやってきており、真上に輝く白い太陽の迎撃の音は止むことがない。
誰でも瘴気の中で動くことができる武器ができようとも、獅子舞元帥を牽制する手段があったとしても、竜を懐柔する可能性が残されたとしていても。
全てを解決するまで何かが足りない状況。決定打が見つからないまま、停滞を続けるのに必死なまま。
団長二人がどうするべきか迷いながら見上げている最中、背後で賑やかでありながら騒々しい声が広がっていた。
「おばちゃん、古着をもっと!」
「お湯を沸かすのはこっちに任せろい!」
「骨とー、葉っぱとー、普段は捨てる部分でも出汁に使えるってぇ」
「つーか、兄ちゃんその怪我でよく動けんなぁ」
何事かと振り向いた先で、王都の住民達が集まっているのが目についた。
その中心にいるのは青い顔で今にも倒れそうな大神官の若者――ハンス・アムダである。五人の女性が住宅街の知り合いに次々と声をかけて、捨てるようなものを掻き集めていた。
さらに商店街の方からは鍛冶屋の屈強な男達が集まって、どこか浮かれたような笑顔で機材を運んでいる。お湯を沸かしては、爽やかな緑と雨の香りがする鉱石を投げ入れている。
「ハンス殿!?これは一体……」
神聖騎士団長が見知った顔に対して問いかける。集まった人々は騎士に避難民の誘導線を作るように指示しており、浮遊寝台の階段から直線を作るように物干し竿を並べていた。
「私が……責任を取ります……」
「そうではなくて、何故彼らは」
「怖いからです」
今にも途絶えそうな息を吐きながら、大神官は苦笑する。怪我をした状態でふらふらと移動し、壁へと近づいてきた矢先だった。
不安げな顔を浮かべた住民達や自警団の者達が、一斉に集まってきたのだ。教会は既に受け入れを拒否して、逃げ場が見つからずに路地から状況を見上げていた人々。
大神官ならば心を救ってくれるのではないか。そんな期待を込めて、不安を吐露しにきた住民達は口を揃えて尋ねた。
どうすればいいのでしょうか。
何もしないまま、死を待っているのは怖い。けれど何をすればいいのかわからない。誰も指示してくれないし、前代未聞の状況に誰もが混乱している。
家の中に篭っていても恐怖は抜けなくて、親しい人を強く抱きしめても終わりがやってこない。真上に白い太陽が輝いても安心などできるはずがなかった。
仕事など意味がなくなって、日常生活を続ける必要性も消えて、狼狽えてばかりの時間は苦痛として精神を苛む。
役に立ちたい。
少しでも価値があることを。何かを成し遂げれば、意味が生まれるのではないか。
それが逃避のためから出たものだとしても、心の底から願った言葉。保身に疲れた先で、一歩目を踏み出す勇気にも似ていて。
大神官はほんのわずかだが一人目の神子を思い出した。素行は悪くても、神子の仕事を一度も嫌だと言わなかった男の気持ちは今となっては想像することしかできないが。
「皆、前に進みたいのです」
だから提案してみた。もう使わない衣服などをかき集めて、期限切れが近い食品を使って、避難民を迎え入れてみないか。
最初は苦渋の表情を浮かべた人々の手を、震えながら握りしめて目を見つめながら説得した。
見殺しにしたくない。後悔する前に動いて、手を差し伸べてみよう。女神と男神が混沌の海から世界を掬い上げたように。
人間にできる、ほんの小さなことを。
世界中の人類を反省させることはできなくても、目の前の人々に少しでも伝わるように。
命を助ける。手からこぼれ落ちないように、努力することを諦めない。
一人ずつ、老若男女問わず。罵詈雑言や美辞麗句も受け止めて。
大神官は説得を続けた。目の前は霞んで、音も遠くて聞き取りづらいような体調など振り払うように。
反省するだけでは足りない。もう二度と、誰かの死を喜ばれないように進むために動く。
それでも頷かない住民達は多かったが、意外なことに悪女五人衆が率先して動いてくれた。
貴族は助けに来てくれない。そんな中で、貴族のせいで被害者となった女性達の懸命な呼びかけ。話題の人物達が、力を合わせて訴えかけるのだ。
負けていられない、と。
避難民を最初に助けたのは騎士団で、支援をしたのは有名な貴族達。
でも竜と魔物の軍勢を前にして、壁上から彼らを迎え入れることができるのは住宅街の人間だけなのだと。
避難民が壁下に来れば、上にいる騎士達が自由に動ける。戦闘などを専念してもらうには、必要なことであると話しかけた。
しかし物資の問題について声を上げようとした人々の前で、機材を運んでいた鍛冶屋の職人達がやって来た。
彼らは「仕事をしに来た」と告げて、壁下へ向かおうとしている。そこで小さな心境の変化が訪れたのは、大神官にとっても僥倖な偶然。
商店街の住民も助けようと動いている。ならば物資に関しては、そこからも提供されるのではないか。
聖女様が待っているんだ。
今にも現場に向かいたいギルド長の言葉は、確かな決定打となった。
瘴気を浄化できる神子。異世界の少女。生贄に捧げられたと思われていた聖女が、商店街の頑固で偏屈な鍛冶屋ギルドを動かしたという誤認。
聖女の管轄は王宮である。彼女が動いているということは、国全体がその方向へ動き出しているに違いない。
聖女という旗印が、人々の重かった足を動かす切っ掛けになった。
その後は流れに身を任せるように自然と、そして激動で。
多くの人々が避難民を迎え入れようと進み始めた。川の流れというよりは津波にも近い勢いで、力強い思考の団結。
「どうかお願いします。
彼らの善意を受け入れてください」
勘違いや誤解が混ざっていたり、自己の利益のためだったとしても。
それは確かに善性だった。誰かを陥れるなどの考えはなく、救うために心が一つになったのである。
驚く第一王子が壁下の路面に足をつけた時、駆け寄って来たのは小さな子供だった。
「お兄ちゃん、助けに来たよ!」
それは親と逸れて泣いていた少年で、第一王子が必ず助けると告げた相手である。
それが勇ましい笑顔で声をかけて来たことに、前世の意思が「歳を取ると涙もろくなって……」と言い訳を心の中で呟いていた。
「……ありがとう」
視線を合わせるように膝をついて、少年に礼を告げる。
そして少年は避難民の女の子に手を伸ばす。弟と手を繋いでいた少女は戸惑いながらも、その手を握り返した。
避難民達の顔が晴れやかにするのは、そんな小さな出来事なのであった。




