第123話「前例からの革新的な発想」
同族の血潮に濡れた体。鉄臭さが森林の濃密な匂いを凌駕し、誰もが酔って倒れてしまうような夜。
惚れ惚れするほど美しい満月を見上げて、その『異常』は――凪いだ海のように何も感じなかった。
恐ろしいほど輝く宝石を手に入れても、世界で最高の美食を口にしても、誰もが魅了される歌声を聞いても。
満たされることがなかった。
どうして生まれ落ちてしまったのかわからずとも。
魔物はまっすぐ生きていける性質でありながら。
獅子舞元帥は森林迷宮の頂点に君臨する覇者のまま。
運命の外側から生じた命を持て余していた時。
人間が赤い糸と呼ぶような出会いを経験してしまう。
森林迷宮を探ろうとした、とある国の真実。
滅んだ理由は縄張り争いなどではなくて。
獅子舞元帥が心の底から欲しいと願い、夢を見てしまったものは――。
――――――;
怒りの矛先がブレた竜と、第三王子と第一王子の懸命な説得は五分で決着がついた。
{勝手に壁沿いに階段を作っているくらいお見通しだ!臆病者はさっさと消えろ!!}
第一王子の軽い煽りにまんまと乗っかり、竜は避難民達を巨大な瞳でギロリと睨む。
不安から発生した狂乱は、現状が変わらないことを把握した途端に燃え尽きてしまった。腕をだらりと下げて、呆然とうなだれている。
不安からの解放は自由ではなかった。どこにも行けない閉塞感を受け止めようと、心が勝手に自衛している状態だ。
{ふんっ、歓迎されないだろうがな}
竜は人間社会を知っている。竜神がいつしか全て「奪う」と決めていたのだから、その意思は竜全体が共有していたからだ。
個体による優劣から始まり、貨幣という人間社会で価値を統一しながら所持に関しては均等化していない不完全さや、地位や権力といった紙屑よりも劣る見えない価値に縋る愚かさ。
竜にしてみれば奪った後は根底から叩き潰してしまえばいいと思っているのだが、竜神はそれすらも欲しがった。
――竜からは生まれないもの。
あらゆる生命体を凌駕する能力や体格を持っているからこそ、同族の間に優劣や勝負といった競争概念が発生しない。
自分と戦って利益は生まれるのか。竜が同族に対して感じるのは、そういった不毛な自己完結だけなのである。
全が一。生命体として不足するものなどないのに、何故か生まれてしまった欠点が竜神の強欲さを刺激した。
あんなにも不完全で、脆弱で、個では生きていけないくせに全の中でも自滅する命が発生している生命体の文明。
愛と偶然、あらゆる幸運をかき集めて綱渡りをしながら繁栄する歪で気持ち悪いほど奇妙な集合体の発展。
神の手からは生まれない劣悪品を――輝くものにしてしまう感性。
男神が見守り、女神が呆れる。人間という命が生み出すものを。
竜神は愛してしまった。欲しいと願ってしまった。全てを手に入れたいと望んでしまった。
意思は共有されても、気持ちや感情は別である。
竜にはわからない。少しずつ王都側の壁下へ逃げる避難民達を前にしても、戦おうと誓う騎士達の勇ましさを目の当たりにしても。
自らを生み出した神をどれだけ信じていても、人間を素晴らしいと欲する理由に到達できない。
「歓迎できなくても、助けることはできるでしょう」
壁の上下で待機している騎士達の連携を眺め、その足並みが揃っていないことを理解すると第一王子は歩き出す。
杖を使わないと歩けない老人に手を貸し、近くにいた怒鳴り声の騎士には厳しい口調で諌める。
弱者を助けようとする庶民的な考えに、騎士に対して命令できる王子的感覚。前世と来世の意思はお互いに影響し、一つの目的に向けて行動していた。
「あ、兄……」
「臆病者だからな。こちらの手助けをするさ」
オロオロと声をかける第三王子に対して、自信に満ち溢れた声で言葉を出す。
王位継承から逃げて、竜の前に弟を置いた。臆病者と呼ぶには十分な行動ばかりで、来世の意思は自虐的に苦笑するしかない。
前世の意思も初めて体験する竜の迫力や戦場の緊張感で限界状態であり、これ以上は耐えられないけれど人助けはしたいと、来世には微妙に伝わらない親切心を稼働させている。
弱者を助けるのは義務である高貴なる者。
困っている人に手を差し伸べるのは当然であるという教育を受けた(故)異世界人。
始まりや経過はとんでもなく遠くても、辿り着く場所はおかしいくらいに同一。
「やるべきことを、やれ」
避難民の移動という責務を請け負った第一王子からの発破。
王位継承権はもうほぼ決まっている状況だ。しかし王や貴族が納得しても、国民がついてこなければ足元から瓦解する。
第三王子はまだ何も成し遂げていない。第二王子のような愚劣さも、第一王子のような優秀さも、第四王子のような奇抜さも。
最初の一筆に集中しすぎて、いつまでも完成しないのでは困る。
その意味も込めての言葉だったが、聡い弟はすぐに理解したことを第一王子はわかっていた。
普段は弱気そうな表情がどこかに引っ込んで、決意を固めた瞳で竜を見上げている。
「あ、あの!」
{なんだ?}
何度も言葉を交わしたおかげか、竜の威圧的な態度に慣れてしまった。
なにより耳を傾け、次の言葉を待ってくれる。ここに至るまで、喉が枯れるほどの知識や話をしたことが報われる。
「貧民街を瘴気で溢れさせたのは、貴方ですよね?」
{はっ、今さらだな。石板も集めて解読ごっこをしていたくせに}
「つまり男神の傷を深く抉り、広げたということですか?」
{……愚鈍な意見は燃やしたくなる}
口の中でぐるぐると渦巻く炎の熱気は、大きな牙の隙間から空気を焼いていく。
炙られている肉の気持ちに近づきながらも、第三王子は一歩を大きく踏み出してみた。
壁上は全て竜の攻撃範囲であり、安全圏などはない。それでも遠いほど逃走率が上がるのは間違いないというのに、第三王子は歩み寄る。
「傷を広げたのではなく、作ったと?」
{男神には申し訳ないがな。思い知らせるには必要だった}
男神の体は世界の基盤。人間がどれだけ掘り進めても、瘴気の根本には辿り着けたことがない。
瘴気とは自然発生するもの。しかし竜が意図的にそれを起こしたとなれば、考えられることが一つ。
竜に浄化の力は与えられずとも、人間が持ち得ない深淵の知識は可能性を生み出す。
「そうか……ずっと勘違いしていたんだ」
{は?}
勝手に納得し始めた第三王子の様子に、竜が胡乱な視線を向ける。
「大地の傷を浄化で癒す……この言葉が間違っているんだ」
{おい、何を}
「浄化は瘴気を消すけれど、傷を癒しているわけじゃない。消毒をしているようなもので……」
{燃やすぞ!?}
軽く脅す大声を出した瞬間、第三王子がぐるりと頭を動かした。
その勢いは人形が急に動き出したかのような不気味さで、爛々と輝く蜂蜜色の瞳に竜は寒気を覚える。
「す、すごいですよ!ペンドラゴンさんのおかげで、人類は新たな解決策を導き出せたんです!」
{お、ふ、ふぅん……いやいや、貴様達のためではないが!?}
満更でもない気持ちで返事をしかけ、途中で我に返った竜などお構いなしに第三王子は世紀の大発見をしたかのように両手を広げた。
「浄化の力なしで傷を癒すのです!」
{………………燃やすより冷やすか}
口の中で氷が形成される際の、パキパキという音が響く。
竜の攻撃方法が変わったことを察知した軽薄騎士が、自慢の身軽さで速攻と駆けつけるのであった。




