第122話「処刑人の迷い」
炎の妨害を超えて結界直前まで辿り着いた魔物達に待ち受けていたのは、結界越しからの奇襲だった。
そして結界に触れたものが悲鳴を上げることもなく消え去り、塵一つ残さずに消失したのを目撃してしまう。先頭の足並みが止まり、隊列の中央では前方と後方からの押し潰しが発生する。
軍勢とはいっても指令を全体に伝える魔物は数少ない。その大半は飛行を得意とする魔物で、全体の俯瞰から遅れて指示を出す程度。
犠牲は出る。しかしそれくらい問題にならない。
結界の周辺を埋める蠢く黒。仲間や同志という言葉はなく、ただ目の前にある標的へと向かって突き進むだけの存在。
獅子舞元帥と共にあることを利益のために選び、その指示に愚直に従う集団は命令を遵守する。
壁が壊れる時、攻勢は反転する。
その下拵えは着実に積み上げられていた。
――――――;
どれだけ前線を削っても、まるで鰹節のように薄い。
決定打を与えられないまま戦況は不利へと傾く準備を進めているかのようで、処刑人は模様が刻まれた武器の一つを手に取る。
「コレデ戦エバイイノカ?」
問いかける相手は骨壷騎士。処刑人の仕事を一時中断させ、新しい任務を命じた元凶。王族からの信頼も厚い血焼け戦争の英雄。
本当は人型スライムの生命核を破壊したい衝動を抑えながら、上司に指示を乞うように確認する。
「まだだ」
結界を境界線とした戦いに対してため息を吐き、骨壷騎士は後続に入ろうとしている血気盛んな騎士達をじろりと睨む。
それだけで若い騎士達は萎縮し、新時代の武器からそっと手を離す。革新的な結果を目の当たりにし、我を忘れていた。
「あの馬鹿どもは後ほど罰を下す」
「処刑カ?」
喉が潰れて嗄れた声だが、どこか嬉しそうな気配が滲む。
鮮血が滴り落ちる大斧を持ち上げる処刑人に、騎士だけでなく避難民も恐怖を覚えた。なんの血かわからずとも、生命の命を奪うために振るわれた事実。
骨壷騎士と並んでも遜色のない体格は男女の区別を曖昧にし、粗末な布越しでもわかる筋骨は隆起している。
「……先代の教育ではそうなのか?」
布袋から覗く銀色の瞳が動揺で揺れた。誰もが禁句かのように触れなかった、育て親の話。処刑人が罪人として初めて処刑した人間。
「あいつは少なくとも、理性的な奴だった」
「……」
「騎士としての道が断たれても、国の役に立ちたいと笑っていたよ」
血焼け戦争で大きな火傷を負い、その顔面は元の美貌を失っていた。生殖機能も失われて、男女としてどちらの領域からも外れてしまった体。
偽物を殺した本物に対し、先代処刑人は朗らかに笑った。戦友であり初恋の相手を失っても、全く気にしていないのか「背負っていくのが大変そうだ」と。
全く同じ顔であるハナヤ・カーナを別人だと含ませながら、感情を殺さないまま処刑人の道へと進んだ。
「私的な理由で処刑はしなかった」
もしも先代処刑人が感情のまま処刑をするのならば、真っ先に殺されるのは骨壷騎士だっただろう。
先代が元騎士という事実に驚く処刑人に向き合い、数多の罪を背負ったまま英雄の称号を利用する男は断言する。
「それが守れないならば、処刑人など辞めろ」
先代処刑人の信仰は正義神。教会に多大な寄付をした貴族の生まれで、血焼け戦争によって全ての記録を抹消されても受け止めた鋼鉄の理性。
感情のまま殺さず、法律のままにその罰を下す。まさに正義神の剣として生きて、後継者の手で殺されることを「使命を全うした」と喜んだ。
最後の面会で素晴らしい逸材を育て上げて満足したと話し、血焼け戦争の英雄に勝気な笑みを見せつけた。
婚約消滅した相手に対し、顔の全てが火傷で覆われてもなお、彼女は美しいと思わせるほどの生き様を男の瞳に残した。
だからこそ先代処刑人が後継として育て上げた存在が、私的な理由で処刑を執行しようとすることは許せない。
「生キ方ヲ奪ウト?」
「相応しくないと判断すれば即時に」
「……」
「お前の手を濡らした最初の血を忘れるな」
どれだけ堕ちても美しいと思った。その血を汚れているとは口が裂けても言えない。
骨壷騎士の感傷は誰にも伝わらないが、処刑人は押し黙った。気迫が込められた表情が、反論を塗り潰してしまう。
「あのー、ハナヤ隊長。女性にそれ以上は……」
重い空気が他の騎士に影響を与え始めた頃、軽薄騎士が軽率だとは思いつつも口を挟む。気まずそうな笑顔を浮かべつつも、口調は軽やかに。
「男も女も関係ない!職務をこなせない者は……女?」
「ついでに服を与えたいかと。ほら、騎士が大勢いるのに露出が多い服装は規律を乱すかもしれないので」
処刑人の性別について思考が一時的に停止した骨壷騎士だが、軽薄騎士が備品テントから持ち出してきた服を目にする。
それが骨壷騎士のように体格が大きい者向けの騎士服であり、筋骨隆々でもボタンがぎりぎり留められるだろうという大きさだ。
さらに聖女がオシャレの気配を感じ取り、いまだに怒りを収めない竜を放置して駆け寄ってくる。
「女性の手が必要ですね!?」
「聖女様……貴方も少しは落ち着きを」
「勤めを果たせと言うなら、浄化遠征での暗殺未遂事件の実行者をしっかり処罰してくださいね」
「……」
骨壷騎士の苦言を、聖女はさらりと躱してしまう。浄化遠征での暗殺に関する事件の詳細を理解していないが、遠征の責任者が骨壷騎士であることは把握している。
そのため実行者張本人の良心を突き刺したわけなのだが、そうと悟られないように骨壷騎士は息を呑んで沈黙するしかなかった。
軽薄騎士は「俺はお手伝いできないんで、他の女騎士と協力してください」と聖女に服を渡し、化粧道具の位置なども教えておく。
「じゃあ行きましょう……えーと」
「アレクサンドラ、トイウ呼ビ名ヲ貰ッテル」
「いいお名前ですね!じゃあ」
{聖女!無視するな!}
かなり苛立った竜が怒鳴り声を上げるが、口うるさいおじさんに怒られたくらいにしか思わない聖女が言い返す。
「もーうるさいなぁ!だったらペンドラゴンさんも手伝ってくださいよ!」
{いやだ!}
「じゃあ人質について王子達と話を進めてください!竜のくせにカカシみたいな的当て状態なんですから」
{言いおったな!?ええい、王子達も動け!}
人間の小娘に心底舐められていることが悔しくなり、尻尾でビタンビタンと大地を揺らしながら王子達を呼ぶ。
それだけで軽い地震が起きているのだが、魔物軍勢の行軍の揺れと混じってしまって相殺していた。
いきなり竜の矛先となった第一王子と第三王子は、これを好機だと思って避難民達の住宅街への移動を提案することを決めた。
目の前で切り替わっていく情勢に置いていかれそうになる処刑人を余所に、聖女はその巨体を見上げながら微笑む。
「助けに来てくれてありがとうございます」
「……助ケ?」
「だって魔物を倒しに来たんでしょう?ライムさんはいいスライムですけど、壁に迫ってるのは悪い魔物ですし」
「魔物ニ善悪ハナイ」
当たり前のような事実を吐き出しても、聖女は静かに首を横に振る。
「決めつけたら可哀想ですよ」
「……」
「少なくともライムさんは、私を助けようとしたいい魔物なんですから」
法律に従っていても、時には限界がある。
人間の枠組みで作られた法律の中に、魔物についての記述はない。
倒すのが前提である生命体。それが魔物という大前提を覆してしまう意見。
「ソウカ」
処刑人は考える。聖女は生贄に必要で、処刑対象ではなかった。
けれど魔物の善悪について虚言を流布するようならば――。
しかし私刑は罪。悪女達の話や骨壷騎士から語られた先代処刑人のことを思い出して、処刑人は迷い始めるのであった。




