第120話「どんどん混沌投入どーん」
人間の短命さを嘆いたことなど一度もない。
執着したことも、同情すらも。有象無象の生命には無関心であったはずなのに。
森が燃えて焼け野原しか残らなかったのを見て、湧き上がったのは圧倒的で暴力的な感情の津波。
許さない。
生まれて初めて、個にこだわった。
神子を殺害し、その死を目の当たりにするまで止まらないつもりで。
理不尽に数多の命を奪った先で明かされた真実は、あまりにも空虚なものだった。
――――――;
一瞬の隙。
壁上が戦場に切り替わった後、竜が全く見せなかった油断。
槍のように長大な弓矢が風を切り裂き、顎の下へと突き刺さろうと流星の如く迫る。
音を置いていく速度で迫ったそれに、小さな炎が触れた。
小鳥のようにか弱くて、盾にすらなれない雀と同じ体躯で。パチッと火花を散らせて、鏃の矛先を変える。
ほんの数ミリが、距離に比例して幅を大きくしていく。空へと駆け上がる矢の目前に、自動迎撃性能を誇る白い太陽。
魔導騎士の残り滓のような魔法は、誰にも知られずに消えていく。
太陽に迎撃された弓矢が壊れる際に生じた風で、淡い花びらのように空気へ溶けていった。
破壊の衝撃は風だけでなく音としても凄まじく、小さな守護を知らないまま誰もが空を見上げる。
残骸が噛み砕かれた骨のようにバラバラと貧民街へと落ちていき、瘴気の中へと沈んでしまう。
それだけで攻撃方法が切り替わったことを把握し、竜だけでなく騎士達も周囲への警戒を強めた。
「な、何ーっ!?」
真面目に問いかけていた聖女さえも、すぐ横で車の衝突事故が起きたかのような気配に素っ頓狂な声を上げた。
ここで避難民達も事態が急変したことを悟り、少しだけ静まっていたはずの動揺が肥大化してしまう。
子供から金切り声のような癇癪が発生すると、それに触発されて老若男女問わずに狂乱状態に陥る。
怒りや悲しみ、諦観からの嘲笑に自暴自棄。
命の危機に対する緊張感の糸が切れて、理性は役立たずな代物へと変貌した。
{うるさいぞ!}
「当然じゃないですか!?怖いの続いたら人間は弱っちゃうんですからね!」
{口答えするな!}
「そもそもペンドラゴンさんが原因のくせに、責任を投げないでください!」
聖女と竜がギャアギャアと争う中、軽薄騎士が魔導騎士団長に近づいていく。
「今のは?」
「獅子舞元帥だろうね。純粋な筋力の投擲だろう。怖いねー」
「そんな呑気な……上から巨石、真っ直ぐ巨槍。今度は下を警戒ですか?」
「もう瘴気まみれじゃないか!今さらだね!」
冗談を笑い飛ばすかのように両腕を軽快に動かす魔導騎士団長に対し、軽薄騎士はなんとも言えない気持ちで押し黙った。
竜に獅子舞元帥という危機の連続で、頭から抜け落ちていた。猛毒の霧のように漂う瘴気は災厄として一番理解しているが、避けられない。
もしも壁が崩れてしまえば、王都へと流れ込む。最初は住民街、次に商店街――そして王宮と城。
魔物が侵入できない結界のおかげで脅威としての度合いが下がっているとしても、人間を死に誘う濃霧。貧民街から溢れ続けて、尽きる気配はない。
浄化で塞ぐにも、聖女と魔導騎士団だけでは到底手が足りない。竜が見逃すとしても、巨槍の投擲が判明したせいで安全と安心は腐り落ちた。
壁が壊されてしまえば結界が揺らぎ、最悪消える。あとはもう瘴気の本領発揮だろう。魔物を呼び寄せ、生み出し続ける。
「いやでもね、危機は好機と一文字違い!敵に塩を送る話を知っているかい?」
「は?なんですかそれ?」
全く馴染みのない話を振られて、軽薄騎士はもう決められた言葉のような返事しかできない。
反応したのは聖女と第一王子なのだが、それに気づいたものはいない。ただ魔導騎士団長はニコニコと、口元を歪ませて笑う。
「獅子舞元帥はどうやら戦場を盛り上げさせたいようだ」
白い太陽が迎撃をするよりも速く、巨槍がその燃え盛る球体に掠った。遙か上空へと飛んでいき、その圧に耐えられず自壊する。
話している間にも対応力が上がっているのを知らしめるように、巨槍と巨石が増えていく。白い太陽のおかげで生まれた余裕が、敵の攻撃を苛烈にさせた。
「いやはや、どこまでご存知なのか恐れ入るよ。
あんな『異常』でよくぞここまで生きてこれたものだ」
「団長……魔導書ですか?」
妙な知識の出所に心当たりがあった軽薄騎士は、声を潜めて問いかける。
魔導書――それは最悪の奇跡と呼ばれる禁書の中でも、世界単位に影響を及ぼす魔法を秘めた書物のことである。
一滴だけで人を発狂させる墨で人皮を黒く染めた頁を集めたものなど序の口で、口に出すのも勇気が必要な混沌の叡智。
個人的な理由で魔導書を収集して書斎に保管している魔導騎士団長は、優秀な部下の勘の良さに小さな拍手を送る。
軽薄騎士の「そこは嘘でもいいから否定してほしかった」という気持ちなど、泡よりも容易く潰してくる行為である。
「つまり全て知っていながら、ここまで放置したと?」
魔導書の中には予言書も含まれる。
これは『無数ある未来の一つを文字にする』のではなく『文字にした未来を確定させる』という不可避の現実をもたらすものだ。
女神の紡ぎ糸を掻き集めて瘴気を煮詰めた墨に漬けて作成するなど方法は様々だが、これは女神の力を利用しているだけで運命の歯車から外れた事象を呼び寄せる。
魔導騎士団長ならば一冊は持っていてもおかしくない。
そして魔導騎士団長が『予言書を読んだ』場合、女神も予期せぬことが世界の運命に編み込まれたということだ。
下手すると諸悪の根源、元凶、黒幕、あらゆる単語が頭の中をよぎっていき、軽薄騎士は頭が痛くなるのを感じた。
「いやいや。僕が読んだのは『獅子舞元帥の誕生』だけだよ」
やっぱり読んでるじゃないか、という叫びが口の中で脆く崩れていく。
元凶と呼ぶには少し遠いような、少しズレた答え。困惑を隠さない軽薄騎士の目の前で、魔導騎士団長は珍しく苦笑していた。
「ジャックレオから獅子舞元帥が生まれる時、新たな物語が血潮の中から言祝がれるろう――とね」
「なんか、思ったより怖くないような?」
「そもそも予言書が読めるのは、限られた一瞬だけ。
大抵は女神の力で表紙は固く閉ざされて、不可避の未来を実現しないように徹底的な妨害をされているものさ」
「……それ知ってること自体、何度も試した結果では?」
魔導騎士団長は嘘をつかない分、都合が悪くなるとニッコリ笑顔で沈黙する。
世界の運命をどれだけ勝手に増やしたかはわからないが、いつか女神から天罰を喰らいそうだなという神任せの罰を期待するしかない。
「まあ、俺じゃあ団長は御せるはずがないんで、第一隊長の采配次第ですね」
「怖いこと言わないでくれよ。あの天然無条件救済王子は、僕の天敵なんだから」
「それで好機というのは……」
「ああ、来た来た」
軽薄騎士の背後で動きがあったらしく、ひょこっと腰から上を動かす魔導騎士団長。
ほんの少し幼馴染に関することかと期待した軽薄騎士は、驚くべき人物の登場に体中が石になったかのように固まった。
引きずられる大斧には鮮血。
城内から住宅街まで騒がせた処刑人が、仕事をするために壁上へとやってきた。
「殺スベキ敵ヲ教エロ」
聖女と竜は言い争いを続け、避難民は狂乱で取り乱し、騎士達はそれらを鎮めようと必死になって動き回っている。
第三王子と第一王子が深刻な様子で話し合う姿に、骨壷騎士が不良騎士が所持している魔道具からの連絡に驚きの声を上げる光景など。
軽薄騎士はそっと信仰している美神に祈りを捧ぐ。どうにかいい感じに状況を収めてくれるような出来事を起こしてほしいと。
なお美神は女神からの海老反り固めにより、全身の痛みでのたうち回っている最中なのを人間達は知らないのである。




