第119話「正直な言葉で問いかける」
初めて間近で見た竜は、恐竜の模型よりも生々しいものだった。
博物館で骨だけ見上げても「わー」くらいの間抜けな反応しかしなかった聖女でさえ、輝く瞳がギョロリと動くだけで萎縮してしまう。
鱗か皮なのかもわからない皮膚は艶があり、牙は電柱よりも太くで尖っている。蜥蜴のように背中が柔らかく動くだけで、壁のように厚い筋肉を感じ取った。
「怖っ……」
そっと第一王子の背中に隠れる聖女だったが、その不敬な物言いを竜は聞き逃さなかった。
宙に浮かんだ白い太陽が落石の大半を迎撃することで余裕も生まれたせいか、足元に近づく魔物達を放置して振り返る。
{怖いだと?}
「ぎゃー!?喋った!?」
声は聞いていたものの、目の前で明らかに反応して話しているとわかってしまうとまた一味違う。
驚きで大声を出す聖女だが、ずっと命のやり取りで感覚が麻痺してきた避難民にしてみれば随分と間抜けな姿だった。
それがどこか安心する。竜が喋る余裕を持てたのもそうだが、頭上に輝く太陽が夜を遠ざけて視界を確保してくれた。
杖の先をくるくると回して光量を調節し、適切な高度維持も確認した魔道騎士団長も振り返る。
ニヤニヤと笑う目で、難しい顔を浮かべている第一王子を見つめる。戦況は悪化を辿っているが、最悪にはまだ至っていない。
壁が健在である限り、一定の平穏は保たれている。第一王子が三人の団長が集まる場所へ辿り着くまで、魔道騎士による魔法が軍勢を防いでくれたおかげだ。
それも切れた。
いつからか、炎は吹き消されたかのように連続性を途絶えている。
黒い軍勢の足を止めていた精霊魔法達も、少しずつ踏み荒らされて進行を許していた。
どれだけ有能な魔法使いだとしても、限界を超えるために薬の服用を致死量まで続けようとも。本当の限界は呆気なくやってくるもの。
獅子舞元帥が指示を出したまま動かなかった理由。
謎の炎。今までの戦歴にない異常事態を冷静に観察し、その限界を見極めていたから。
城塞落としの戦法を用い、かつて国を滅ぼした魔物。それくらいできるだろうと見込まれたからこそ、団長三人で話し合った。
危険性があったとしても、獅子舞元帥には「異常」をぶつけるべきなのだと。定石を敷いたところで、圧倒的な戦力に潰されて終わるだけ。
だからこそ白い太陽。
魔道騎士団長にしかできない魔法で、夜を昼に変えてしまう。遠くからでもわかる「異常」に対し、獅子舞元帥は様子見を継続するしかない。
迫る魔物の軍勢も夜に動くことを得意とする種類が多く、昼に変わったことで混乱と視界の切り替えに苦心しているかのように動きが鈍くなっていた。
団長達の間でも意見が分かれた戦法だが、第一王子の後押しと「全責任は私が持つ」の一言で、魔道騎士団長が率先して壁上へと登り始めたのが十数分前である。
王宮騎士団長と真正騎士団長は「いざという時」に備えてが半分、もう半分の「魔導騎士団長を御せる役割」を骨壷騎士に押し付けて、壁下に待機を選んだ。
「あ、でもスライムも人型で喋ってたし、どっこいどっこいかぁ」
{あんな葛餅みたいなのと一緒にするな!!}
「え、この世界に葛餅あるんですか!?文化的にないと思ってたけど、あるなら久しぶりに食べたい!」
人型スライムのせいで竜が喋るという衝撃が抜け、和菓子の名前を聞いてのんびりした意見を素直に出してしまう聖女。
しかも懐かしい名前に反応して第一王子の背中から前に出て、竜へとトコトコ近づいていく。これには流石に冷や汗騎士と不良騎士が動き出した。
さりげなく聖女の前に立ち塞がり、あまり竜を刺激しないように視線で訴える。別に人間に友好的な存在ではないのだが、聖女にはあまり伝わっていない。
「あ、お名前!竜さんはなんと呼べばいいですか?」
{またか!?人間はそうやって個体に名称をつけることで安堵を得るようだが、そもそも偉大な存在に本来名前というものは}
「私は〇〇△△です」
それは発音することも難しく、聞き取っているはずなのに単語が頭に浮かばない。難民達だけでなく、騎士や第三王子も同様だ。
魔導騎士団長が心底嬉しそうに聞き耳を立てていても、頭の中で音が結びつかない。言語として成立しているはずなのに、全くわからない。
しかし竜は少しだけ首を傾げ、大きな口をモゴモゴさせながらどうにか発音をしようと言葉を出す。
{ヌァグァゼィミャアフャリュウクァ?}
「え!?惜しい!すごい!そこまで発音できたの、竜さんが初めてですよ!」
人型スライム以外は、というのは無意識に口に出さないまま。聖女は自力でそこまで聞き取ってくれたことを喜んだ。変な名前で呼ばれるよりも、生まれた時からそばにあった名前の方が断然嬉しい。
無邪気な子供のようにはしゃぐ聖女の姿に毒気を抜かれ、竜は鼻息を吐く。どこか「ふふん」と褒められたことを嬉しく思いつつも威張っているような様子だ。
軽薄騎士や第三王子としては見てて胃が痛くなる光景なのだが、そんな事情も気づかずに聖女が続ける。
「それで竜さんのお名前は?」
{人間に与えられたことは忌々しいが、キング・アーサー・ペンドラゴンだ。しかし気軽に呼ぶことは許さ}
「アーサー王物語の!?え、かっこいい!」
{…………}
「円卓の騎士とかエクスカリバーとか、ゲームで知ってます!推し声優さんも出る人気アプリゲームなんです!」
{イキュウスクゥァリバァにワァトゥリ?}
「あ、ゲームは通じるんでしたっけ?なんでこんなにバラバラなのかよくわからないなぁ」
言葉が通じることが心底嬉しい聖女が、どんどん竜に近づいていく。男装女騎士も護衛騎士の壁に加わるが、止められる気がしなかった。
第一王子――前世の意思であるケンジなどは思考で「最初女体化でびっくりしたけど、めっちゃいいゲームだった。あれ、アプリ化してたんだぁ」と、目の前の現実から目を逸らしている。
「で、ペンドラゴンさん。これからどうするんですか?」
{何がだ?}
「だって探してる神子さん、もう死んじゃってますよ」
噴き出すように笑ったのは魔導騎士団長だけだった。その他の大勢は頭の上から血の気が引いていき、顔を青ざめさせた。足先が凍りついたように冷たくなっていき、緊張で呼吸が浅くなる。
毒気を抜かれていた竜でさえ、今の言葉は聞き逃せなかった。騎士達の壁など鼻息で吹き飛ばして聖女へと口を近づける。
これには聖女もほんの少し怯えたが、今まで感じた恐怖や困難などを思い出してどうにか踏み止まった。
{死んだ?あの森を燃やした、神子が?}
「殺されました。意図的に、見捨てられて……だから私が呼ばれました」
{……}
「私は……二人目の神子です。聖女、なんて呼ばれてる異世界の人間です」
包み隠さす、自分の顔よりも大きい竜の瞳をまっすぐ見つめて。
ずっと納得いかなかった。騙して、隠して、はぐらかし続けること。それは竜に対して誠実ではないし、心がざわつく。
一人目の神子について隠され続けた聖女だからわかる。どうしても付きまとう違和感はチクチクと刺さって、とても気持ち悪い。
心臓が破裂しそうなほどビクついて、呼吸が速くなる。
それでも「ここ」から一歩踏み出すのに大事なのは、竜の答えだ。
「どうしますか?」
生贄になるつもりはないけれど。
ここで我が身を捧げてでも、問いかけるしかない。
貧民街の避難民達の視線を背中に感じながら、竜の答えを固唾を呑んで待つ。




