第118話「白夜を生む者」
人を迷わす森林にはとても綺麗な石があった。
あらゆる雨と土、美しい緑を吸い込んだような匂いと色。
それを求めて人間が彷徨っては、戻れないまま息絶えるような場所で。
魔物が生まれた。
瘴気を浴びても鉱石や植物の輝きは衰えず、流れる水が汚れることもなかった。
ただ少しずつ、魔物へと変貌していく。スライムやスケルトン、ウツロギやツルギトラなど、森林に存在するものを素材とするように命が増えていく。
その中でも一際勢力を広げたのがジャックレオという魔物だった。森林に最も繁殖していた動物が、獅子だったという理由だけ。
他の魔物の縄張りを二本足で踏み荒らし、傲慢に声を上げて笑う獅子頭人体。
そうして同族同士の殺し合いを始めて、森林の植物が紅葉するように赤く染まりかけた頃。
異常が生まれた。
人間の言葉を覚え、社会性を獲得し、支配を敷いた。
森林迷宮はあっという間に整備された。まずはジャックレオの根絶。
その異常が生まれてすぐ行ったことは、同族の虐殺であった。
捨てられた武器を使い、時には枝を投げ槍の如く飛ばし、片手で掴んだ岩を盾とする。
どれだけの体格や身体能力を持っていようが、ジャックレオの武器は牙や爪程度である。
木の板を紐で括り付けて、簡素な鎧を作っていた異常には歯向かうことも叶わなかった。
森林迷宮の支配者にして主人、そして守護者。
異常――獅子舞元帥の誕生は誰にも語られないような場所で起きたのである。
――――――;
どれだけ撃ち落としても、尽きることのない落石。
太陽が地平線に迫っていけば、人間の視力は一気に認識を衰えさせる。
魔法の着弾位置がズレて、直近まで落ちてきた岩をどうにか瘴気まみれの貧民街に逸らすので精一杯。
軽薄騎士ですら軽口を忘れ、魔法が使えない騎士達に第三王子を含めた避難民達を守るように指示を続ける。
いざという時は命を犠牲にして、体を盾にしろ。もしも王族が死んでしまえば、後々の泥沼な報復合戦が待っている。
そこまで思考を働かせるものは少ない。誰もが目の前の脅威に対処するので必死になり、恐怖と夜闇に怯え始めていた。
特に避難民――貧民街の老人や子供達の精神が限界だ。
長時間の緊迫感に命の危機。いつ狂乱して暴れ出すかもわからない状態だ。
夜が近づくだけで、冷たい風に落石の音が混じるだけで。全てが終わるかもしれない不安に、幼子がひきつけを起こしかけた時。
「やあやあ。新魔法を試していいとお許しが出た僕だよ」
迫る巨石の目前で、光が破裂して膨らんだ。
それは真っ白な太陽のように輝いて、さすがの竜も{眩しい!}と怒るほどの輝きだった。
突然の明るさに騎士達でさえ目の前が白と黒が明滅して、何も見えない。耳に響くのはこの緊迫感を楽しむような、軽やかな足音だ。
「おっと、すまない。けれど安心したまえ」
靴と杖がコツコツと床を叩く。それは時計の針のように規則的で、鼓動に近い速さで鳴っている。
「どんなに性格がねじれていても、団長までのしあがった実力者だからね」
「自分で言うのか」
続いて聞こえた声に、弟を宥めていた少女が顔を上げた。
壁上に輝く白光を受けて光る勲章は、まるで血に焼けた大地のような色合い。そして何故持っているのかいまだによくわからない骨壷。
隣に並ぶ男か女かもわからない美しい騎士を隠してしまう体躯は、彼の威容を示すのに相応しい。
「王宮騎士団所属、ハナヤ・カーナである」
誰かは顔を歪ませて吐き捨てるだろう。人殺しだと。
戦争の偉業は大量殺人と隣り合わせであり、勝利を収めたとしても犠牲者は必ず出るのが必定。
それでも圧倒的な魔物の軍勢が迫る最中、その名乗りほど安心できるものはない。
たとえ偽物が打ち立てた功績だとしても。
血焼け戦争の英雄は、本物としての責任を果たしにやって来た。
「状況を報告せよ!」
魔法で作られた白い太陽を背にし、力強く命令する。
それだけで騎士達の士気は上がる。物事の流れを見定めていた第三王子でさえ、空気が一変したことに安堵したほどだ。
魔道騎士団長が槍の如く長い杖を持ち上げ、魔石が嵌め込まれた先端を宙に掲げる。鍋の中をかき混ぜるように、空気を回す。
白い太陽が夜に成り果てた空へと浮かび、濃い藍色を遠ざけてしまう。蒼穹の天蓋が壁上だけでなく王都全域へと広がっていく。
それを見上げていた不良騎士は、驚きで口を開けたままにしてしまう。光を叩き落とそうとする落石を、魔法の太陽が自動迎撃しているのだ。
ハリセンボンのように膨らんだかと思うと、燃える針の矢を噴出。一撃で巨石を砕いて、壁から離れた場所へと降り注ぐ。
「自律型魔法!?そ、そんなの精霊が関与してないと……」
「え?なんで?」
「なんでって……」
「条件型発動魔法の方が簡単じゃないか」
その原理を聖女に説明すればおそらくものすごく苦い顔で「エクセル関数とAIの違いみたいな?」と言っていただろう。
指定した条件に沿って定められた通りに動く数式と、問いかけに対して圧倒的な情報から適切な数式を答える電子頭脳。
AIを使うことは簡単でも、作ることは難しい。しかしエクセル関数ならば定型を組み合わせるだけで、誰でも簡単に望む動きを作れる。
聖女の文明ならばそう考えることが一番近いだけで、細かいところは違う。
しかし不良騎士が冷や汗をかいたのは別の理由だ。自律型と条件型の違いは「融通が利く」かどうかだ。
条件を単純にするほど、素早く動くのが条件型。たとえば攻撃対象が「一定距離に侵入したもの」ならば、それを満たした時点で敵も味方も関係なく一瞬で屠る。
自律型ならば判別できる。だから魔導騎士が生み出した炎の魔法は動物の形で走り、魔物だけを攻撃するために壁を越えていった。
太陽のように輝く。浮上して停止を維持。条件を満たせば自動的に攻撃。その他にも多数の魔法を組み立てているだろう。
それだけで驚嘆であり、不良騎士には真似できない代物だが……決定的に真似「したくない」要素は一つ。
敵味方も関係ない迎撃仕様。
「団長……本当に『お許し』が出たんすか?」
戦場。何が起こるかわからない上に、一般人も巻き込まれている最前線。
もしも一定距離で攻撃を仕掛ける、攻撃した相手に反撃する、などが仕込まれていた場合。魔物に落とされたり、うっかり攻撃が逸れてしまったり。
あらゆる嫌な予感が当たりそうな気がしていたのは、不良騎士だけではない。軽薄騎士や魔導騎士団に所属する騎士達の視線が一点に集まる。
にこにこと人を安心させる笑顔。男女の区別も消える美しい容貌で、たおやかな笑みで沈黙。
こいつ、やりやがった。
魔導騎士団関係者全員の心が一つになった瞬間である。
団長に対する信頼とはそういうものが常であるのが、魔導騎士団の特徴である。飄々とした狸爺だからこその動きに助けられることもあるが、それ以上に人間性が危ない。
「王子、あの太陽は危険物です!」
「あ、はい。そんな気はしてました」
「悟らないで!諦めないで!貴方だけが地位的に取り下げられる可能性が……」
「無理だと思います。彼があれだけ自信満々に言うのは、つまり……」
ちらり、と第三王子が視線を向けた先。
どうにか説得を試みようとしてた軽薄騎士だけでなく、冷や汗騎士や不良騎士、あらゆる人物の思考が止まりかける。
混乱の真っ只中にも関わらず堂々とした足取りで歩く男と、その背中についていく少女。二人の背後には男装した女騎士。
「兄の許しが出たはずですから」
第一王子と聖女が揃って、壁上にやってきた瞬間である。




