第117話「一転逆転変転」
洋燈を隠し持つのは誰か。
聖女が指名したのは魔道具愛好騎士だった。
「おそらくライムさんが一番警戒するのは、ショウさんなんです」
その推測を耳にした瞬間、魔道具愛好騎士は忙しくなることを察した。
同時に説得力があった。詳細を把握していなくても、大きな違和感が雪解け氷のようになっていく。
人型スライムの目から隠すように洋燈を受け取り、隠し続けるだけ。
足止め役など真っ赤な嘘。
顔面が真っ青に染まる様子を思い浮かべるのを楽しみに。
真っ向から世界を滅ぼす魔物を騙したのである。
――――――;
処刑人にとって仕事は続いたままだ。
談笑とは縁遠い人生だったが、業務時間内にそれを続けるのは正しくないと知っている。
愛を知ってはいけない。常識を学んではいけない。親しみを覚えてはいけない。
いけないばかりの教え。法律とはそういうものだと、先代から受け継いだ。
制限は社会を健全に回す規律。自由は毒にも薬にもなる変革の名代。人類という膨大な数を整列させるために必要なもの達。
処刑人にとして生きるのに、必須なものは制限と厳守であった。いけないことを把握し、そこから外れたものを例外なく処断。
だというのに、どうして。
五人の悪女に囲まれて、生死の境を彷徨う聖職者の呻き声を聞いて、こんなにも見えない部分が揺れるのだろうか。
制限された世界の中でしか生きていけない命が、夕焼け空の下で新しい出会いを味わってしまう。
とある魔物みたいな、変化のきっかけ。
命を潰して楽しんでいたことが、自らの外見以上に醜悪だと思えるような。
殺害という重さが胸の奥を圧迫して、振り払うように意味もなく死の数を増やしたくなる。
九つの命を失えば、元の処刑人としての業務遂行に戻れるとわかっているから――手が震える。
戸惑い、困惑、恐怖。
先代の素直に守ってきた処刑人にとって、知りたくなかったもの。
知覚して学習を終えた先に待っているのは、仕事への不信感。
仕事に尽くすことが人生だった処刑人の終末である。
「どうした?化粧、嫌だったか?」
悪女四天王達が流行りの化粧が処刑人に似合うかどうか議論している中、様子を気にした悪女達の良心であるジェーンが声をかけてくる。
返事もできずに斧を握りしめる。刃からポタポタとこぼれ落ちるのは、大神官の鮮血。
夕焼けの赤味を増やそうかと血迷った矢先、別の方向から忍び寄ってくる気配に目を向ける。
「おおー、怖い顔でござるなぁ」
口調は軽く、全く恐れている様子はない。むしろどこか楽しそうで、悪いとわかっていても言葉を訂正する気がない態度。
魔道具愛好騎士は右手に四角い硝子の板を持っている。内部に青白い電流が走るそれよりも、左手に吊り下げられている洋燈に処刑人は反応した。
人間の心臓よりも綺麗な、世界の命運を途切れさせる魔物の生命核。考えるよりも先に、大斧を振るっていた。
体の輪郭に沿って油が塗られているような、錆びた刃がするりと空振る感覚。魔道具愛好騎士が立っている場所の横、何もない石畳が大きく割れた。
驚いたのはお洒落談義に花を咲かせていた悪女五人衆で、改めて処刑人の力を目の当たりにして目を丸くしていた。
笑っているのは魔道具愛好騎士くらいで、酔っ払い騎士と間抜け騎士は動き出そうとした姿勢のまま止まっている。二人の手を掴むのは意識を少しだけ取り戻した大神官である。
「コレハ」
「魔法で候」
炎を出す、氷を作る。街路で小銭を稼ぐ大道芸人がやるようなことを、多くの人々は魔法だと考えている。規模の大きい魔法ほど、一般人は目にすることがない。
しかしどちらとも違う。技巧と発想で展開された魔法は、地味なようで予想を超えている。何が起きたかわかっても、仕組みが理解できない。
空気の膜とは違う。だからと言って水や油の気配はない。重みの方向を逸らされたような、動きを阻害させずに重心を変えられた――と処刑人が答えを出そうとした最中。
「ちなみに大神官殿も可能でござるよ」
女神信仰の優秀な魔法使い。逃げ回るために様々な魔法を使っていたのを、処刑人は体験している。
走る速度を変えたり、逆に相手の動きを遅くしたり。時には浮遊で予測できない動きを繰り広げて翻弄、その全てに苛立ったのを処刑人はしっかりと覚えていた。
「もちろんこれも」
じゅっ、と手の甲に蟻の巣穴程度の黒い焦げ跡。皮膚を一瞬で焼き、水分を蒸発させ、血管へ届く前に消えた。人の皮だけを焼く、精巧な魔法。
それは拷問に似ていて、処刑人は魔法の精密さに驚愕する。しかし魔法を多少使える酔っ払い騎士から見ても、それは鍛えられた先にある繊細な技術だった。
大神官にできるのかとわずかに振り返るが、意識が朦朧としている大神官は肩で息をするのが精一杯な様子だ。
「ここで問題!なんで処刑人殿は無傷なんでござろうなぁ?」
逃げ続けた大神官。腕の中に世界を左右する命を抱えて、殺意しかない相手に対して一切の敵意を見せなかった。
魔道具愛好騎士のように、動作や言葉もなく攻撃できたはずなのに。それこそ再起不能になるほどの致命傷を与えることも容易い才能を持ちながら。
宝の持ち腐れを良しとした。誰もが喜んだ命の消失を嘆き悲しんだ男の、ほんの少しの意地っ張り。
どんな人でも、死んでもいいはずがない。
それは処刑人とは真逆の生き方だ。
罪を犯した人間は死ぬべきなのだから。そう教え込まれた。
愛を知って、常識を学んで、親しみを覚えた。
それらが大神官という男を形作ったのならば――。
「ダカラ?」
仕事は終わらない。止めるべき上が、大混乱の今。
愚直に従うことを美徳とする処刑人は、説得されることはない。
「動く人間がいるっていう話でござる」
内部で電流が迸る硝子の板を、指先で三回叩く。
たったそれだけの動作で、顔も見えない遠い場所から声が届く。
『王宮騎士団所属、ハナヤ・カーナである』
その名乗りだけで処刑人は動きを止めた。
悪女達ですら息を呑むような、有名な騎士の名前。
血焼け戦争の英雄。子供達が遊びで真似るほどで、その偉業は王都で知らぬ者はいない。
『第二王子及び国王の名代として命ずる。
本日の処刑は全て中止せよ』
処刑人が反論しようと口を開きかける。
『国の存亡を賭けた戦いである。
参戦の準備はできているか?』
それは予想外すぎて、今度は思考すらも止まってしまう。
ニヤニヤと笑う魔道具愛好騎士は、処刑人に向かって小さく頭を下げる。
「ようこそ、問答無用の戦場へ」
壁に試作の剣を届けて、魔導騎士団長に掛け合って、王城に残っていた骨壷騎士への連絡。
魔道具を活用して短縮しまくっても、膨大な駆け引きと建前を積み上げて。脅威の無力化と転職を試みた結果。
魔導騎士団長の『そんなに強いなら、処刑人なんてもったいない。試作の実験体にしようよ』という非道な言葉は隠して。
「心の準備はよろしいかな?」
「フザケテイル」
「まあまあ。心機一転も楽しいでござるよ」
手のひらで踊らされているとわかっていても、仕事は真面目に取り組む処刑人に逆らうという選択肢はない。
特に王族の名前と、彼らが信頼する騎士の命令は絶対だ。目の前で揺れる洋燈を口惜しそうに眺めながらも、処刑人は大斧の矛先を変える。
「連レテ行ケ。仕事第一ダ」
「じゃあ全員で壁へ向かうでござるよ!そちらの……淑女達も目的地は一緒でござろう?」
小さな皮肉を込めながらも、全てを見抜いているかのように魔道具騎士は意気揚々と壁を指差す。
直後、赤焼けを覆す閃光が空へと駆け上る。洛陽とは異なる白い太陽がもう一つ生まれた。
白夜が戦場を照らす。夜明けが見えなくなり、不安と嫌な予感を増大させる。
結界間際まで迫った魔物の軍勢が、攻撃方法を変えた合図だった。




