第113話「信じる者は足を掬われる」
足を止めたら死ぬ。
平和を失った住宅街ならば起こり得る可能性を目の当たりにした都民達は、この世の終わりを静かに悟る。
聖職者すらも処刑人に狙われ、騎士すらも尻尾を巻いて逃げる。終末絵画よりも滑稽で、奇妙な現実が視界を横切った。
「アンタ、何した!?」
「世界を救おうとしました!!」
走りすぎて本音を隠せなくなっているが、言葉の選択肢も狭まっている。大神官の返事に、酔っ払い騎士は洋燈を隠した犯人を察した。
鐘にぶつかって目を回していた間抜け騎士もようやく走り始めたが、人型スライムは大神官に小麦袋のように担がれている。
青い瞳は焦点が合っておらず、体中の水分が揺れ続けているような――船酔いに似た状態で「むー」と不満そうな声だけ絞り出していた。
「話し合いは?説法はお得意だろ!」
「単語三つも待ってくれません!」
「ぶはっはっは!どんだけ面白くない話なんだよ!」
「修行不足を痛感しました」
酔っ払い騎士としては場を和ませるからかいだったのだが、生真面目に受け取った大神官のせいで目論見に失敗した。
単語三つでどう面白くすればいいのか真剣に考え始めた大神官の斜め後ろで、間抜け騎士が息を切らせながら補足する。
「単語四つ目を出す前に、ひぃ……僕が落ちたせいで……はぁ」
「それでも続けるべきでした。女神様の素晴らしさを民衆に伝えることこそ、我が役目であるのに……」
「てか処刑人が反女神派だったらどうすんだよ?逆効果じゃね?」
目から鱗が落ちたような表情で、酔っ払い騎士の顔面を見つめる大神官。
「反女神派?」
「うっそだろ……」
神々は多数いる。竜神信仰の場合、反女神派は少なくない。しかし大神官は「あんなに素晴らしい存在に反対派?」という、恐ろしいほど純粋な瞳をしていた。
宗教に紐づく解釈問題。それはあやとりのように美しい図形を協力して描くこともあれば、縺れ合って切断するしかない時もあるほどだ。
純粋すぎる信仰は、疑念や外敵という存在を無意識に排除してしまう。一という概念を忘れ、全という普遍性に溺れる。
「もしかして……」
「はぁ……僕は、そこまででは……ゼェ……」
既に大神官の狂気にも似た女神への信心を見てしまった間抜け騎士は、同類には到達できないという意味で返事する。
わざわざ振り向いてまで意思確認した酔っ払い騎士も、神聖騎士団所属者にも言われるくらいなのだろうと、大神官の純真さに呆れてしまう。
女神の話に夢中になるだけで身体的興奮を抑えつけられない大神官は、いまだに会話の真意を読み取れずに首を傾げていた。
「そういえばライム……様は女神様の創造物でしたよね?」
何かに思い至ったのか、肩に担いだままの人型スライムへ視線を向ける大神官。敬称をつけたあたりで、酔っ払い騎士の背筋に悪寒が走った。
それは直感的なものだったが、人間国宝の祖父から「鍛治に関わるならば、神話や伝説への造詣に深くなれ」という教育のもと、あらゆる感性を鍛えた。
それこそ場合によっては迫害され、教義によって闇として消されるような、しかし感情から切り離せない芸術の分野にまで及んでいる。
「ということは、もしやライム様の容姿が女神様の理想?もしくは女神様自身の姿を模倣している可能性も……」
ここまでくると間抜け騎士も嫌な予感に肌が粟立つのを感じ、目を回し続けていた人型スライムも青い瞳の焦点を取り戻す。
処刑人に追われすぎて体の負担を減らすための脳内物質が過剰分泌されているのか、興奮材料を見つけた大神官の目つきが怪しくなった。
「降ろせ」
「処刑人の方が貴方様を狙っておりますし、その女神様について色々と聞きたいことがありますのでこのまま……」
「降ろしてくれ」
青い瞳に浮かぶ懇願の表情。それは酔っ払い騎士に向けられており、言外の救助を求められていることは察した。
腕に力を込めて、ピンと伸ばす。大神官の肩上で仰け反った姿勢の人型スライムだが、大神官の腕の中から逃げられない。
聖女がいれば「推しに興奮しすぎて、イメージカラーとかでも興奮するオタクかな?」みたいなことを言ってくれるだろうが、彼女は壁へと向かっている最中だ。
「そのまま首絞めて昏倒させたほうが早いんじゃねぇかな?」
人型スライムに同情した酔っ払い騎士の助言に、大神官が目を丸くして驚いた。それこそ「信じられない」という表情二度目である。
「できたら、即座にそうしてる」
足も遅いし、腕力もない。
人間に殺されるためだけに転生したスライムに、そういった強化は全く施されていないのである。
少しだけホッとした様子の大神官だが、それでも人型スライムを手放す気はないらしい。
「洋燈は?」
人型スライムにとっての力とは、女神から与えられた備品のみである。
生命核の内部で回り、燃え続ける運命の糸車。それも手元にない場合は、自由に使うことすら難しい。
最後に見たのは聖女達が円陣を組む前。今では五人の誰かが持っているはず、くらいしかわからなかった。
「俺とドージは逃げ回る役だからなぁ」
「あの即興でよく……ぜぇ、はぁ……決められましたよね」
そろそろ体力が限界な間抜け騎士の声が、少しだけ遠い。距離が離れていることに気づいた酔っ払い騎士が速度を緩め、大神官の背中側へと移動する。
大神官と二人きりになるのが嫌な人型スライムは騎士達を睨むが、その視線の意図を間違えたのは追いかけ続ける処刑人だった。
「見ルナ」
布袋越しの脅し。覗き穴以外でその容貌を見ることが叶わない顔。喉が潰れて嗄れた声は、いまだに男女の区別を塗りつぶしている。
しかし殺意の糸が薄らと見えた。それは怯えの感情で意思がブレて、切れかけた縁。人型スライムの体に付属された機能。
運命、宿命、使命。命が紡ぐ糸の中で、不安定で容易く切れてしまう縁の糸。感情によって揺さぶられたそれを、青い瞳は捉えた。
「おい、神官」
「親しみを込めてハンスと呼び捨てに」
「布教してみろ」
「へ?」
人型スライムの意図がわからない発言に、困惑の声が漏れた。
「それが役目なのだろう」
それほど強くない力で無理やり振り向かされ、追いかけてくる処刑人へと視線を合わせられる。
神官としての仕事。それが本当に布教なのかは議論の余地はあったが、女神の使徒と言える人型スライムの言葉に大神官は従う。
人型スライムを抱えながらも、体ごと振り返る。後ろ向きで走るせいで速度は圧倒的に遅くなり、背後にいたはずの棋士二人にはあっという間に追い越された。
「処刑人よ、我が声をお聞きください!」
なるべく短い単語だけで、乞い願う。
住宅街の中央、教会まであと少しの距離。そこでようやく足を止めた処刑人は「フーッ、フーッ」と布袋の中を熱い呼気で満たしていた。
その様子を手応えと感じ、大神官も立ち止まる。流れで騎士二人も様子を見守ろうと、物陰へとこっそり隠れる。
「女神様は天より我らをお守りしてくださいます。どうか今一度、運命という言葉の意味を共に……」
「オマエガ美シイノハ運命カ?」
覗き穴から見える銀色の瞳が、大神官の全身を値踏みするように見つめる。
誰もが美しいと称賛する、隙のない造形。左右対称の黄金比を体現したかのような、奇跡とも呼べる産物。
性格に難があったとしても、清貧を良しとする謙虚で穏やかな性質。立派な聖職者だと大衆が認める、光に祝福されたかのような天性。
「生まれ持ったものを運命と呼ぶこともあるでしょう。しかしそれはあくまで個人の……」
「オマエガ恵マレテイルノハ運命カ?」
「お聞きください、運命とは……っ!?」
目の前で布袋が住宅街の地面へと落ちて、曝け出された顔面に言葉を失う。
熱で焼かれ落ちたような皮膚に、まだらに生えた黒の髪の毛。大きく飛び出た目玉に、削がれて骸骨のような鼻。裂けた大きな口が雑に縫われているのは、痛々しさを超えて恐怖を呼び起こさせる。
怪物や化け物だって美しいものは存在する。それは人間や魔物も同様で、だからこそ妥当な分類が口から出てこない。
「コレモ運命ノ思シ召シカ?」
それは教義など聞き飽きたと言わんばかりの皮肉が込められていて、裏返せば何度も救いを求めて諦めた先にある断定。
最初から違う生き物だと突きつけるように、処刑人は大斧を振るう。それは傷ついたことがないような美しい顔に向けられていた。




