第112話「一方その頃を現地より中継」
軽やかに屋根上を走る男装女騎士の視線はまっすぐと壁に向いており、その真剣な表情を聖女はじっと見つめる。
凛々しさと麗しさを同胞しつつ、爽やかな雰囲気。普段から目を吊り上げて口を一文字にしていることが多いが、笑えばあらゆる女性を虜にできる美しさだ。
元の世界の有名な歌劇団の男役にお姫様抱っこしてもらっているような感覚に、聖女は少しだけ浮かれてしまう。しかし事態は待ってくれない。
「あれはツコネ殿か?」
花火が打ち上がるような音を目印に空を見上げれば、亀の甲羅のような盾を背負ったままの間抜け騎士が飛んでいた。
よくわからない光景だったが、彼の役目は「逃げ回る」ことだ。洋燈は「隠し持つ」役目を担った者の仕事である。
主要路地に人が溢れるよ現状の王都では、盾で走ることはできない。だから別の場所を走った結果なのだろうと、男装女騎士はすぐに壁へと目を向ける。
竜の大きさが規格外すぎて距離感が狂ってしまうが、それでも落ちてくる巨石の落下音が大きくなってきた。
職人達の予測では王碧鉄鋼という話だが、素材に詳しくない聖女達にしてみれば大きな岩以外の何物でもない。
それが高温の炎に耐えきれず破裂する様や、刃物のような風によって細切れにされるのを目撃する。聖女からしてみればゲーム画面のエフェクトのようだという味気ない感想だけである。
問題はそこに一般女子高生が紛れ込むということだ。
聖女に武勇などない。習い事はもっぱら塾くらいなもので、あとは幼稚園の頃に水泳とピアノを軽く触れた程度である。
ファンタジー世界の魔法と不可思議生物達の戦闘最前線はゲームのように現実感がないのだが、聞こえてくる音や振動が生々しい。
男装女騎士に姫抱っこしてもらいながら、ずっと手にしていた針型杖を改めて強く握りしめる。
ジャルネット村ではノリと勢いと、目に見えない謎の導きや幸運で大地の傷をどうにか癒すことができた。
しかしこの杖で戦闘は考えていない。炎の熱や軍勢が集まった際の汗や鉄の臭いが強くなってくると、不安が頭に打ちつける滝のように増大していく。
「安心してください。聖女様」
優しい声に誘われるように顔を上げれば、勇ましく微笑む男装女騎士と目が合った。
「この身命を賭して貴方をお守りいたします」
少女漫画や乙女ゲームで騎士に言われたいセリフ上位である。それだけでなんとなく大丈夫なつもりになるのが、聖女であった。
幼馴染の少年に「単純」と呆れられる性格なのだが、三つ子の魂百まで。死ぬまで変わることはないだろうし、聖女自身がそれを気に入っていた。
むしろ幼馴染の方が少し卑屈気味なのではと言い返すのだが……と思い出して、少しだけ浮かぶ小さな疑問。
なんだか顔を忘れられない。異世界にきて一ヶ月は経過している。
毎日見ていたはずの母親や弟の顔ならばまだしも、恋愛的な好意込みだとしても家族よりも覚えている。
声すらも気軽に脳内再生余裕という状況に違和感を抱いた矢先、今度は時計塔の方から直近で雷が落ちたかのような轟音と、瓦礫が崩れる気配。
「い、今のは!?まさか魔物がとうとう王都内に!?」
「女神の結界はそれほど柔ではありません。ツコネ殿が原因のようですが……」
「ドージさん、怪我してないといいですね」
「まあ……そうですね……」
歯切れの悪い返事。男装女騎士の表情を見上げれば、悔しそうな顔。
「もしかして羨ましいですか?」
「あの頑丈さは天性の才能のようですから」
無敵というわけではないことを、男装女騎士は知っている。ジャルネット村の時に負った足の深傷はまだ完全治癒していない。
それでもあれだけ走り回っているのは、本当に怪我しているのかわからないくらいだ。柔軟さに自信がある男装女騎士は持っていない長所。
一番強い騎士になりたいわけではないが、それでも憧れる。誰かを守るために自らさえも盾にできる肉体。多少の無茶を押し通せる強さ。
「でもレイさん、私を抱えたままずっと走ってますよね?」
少女として平均な体格。体重に関しては秘密だが、外観通りの数値である。それでも子供のように軽いとは口が裂けても言えない。
男装女騎士は身軽でしなやかな体つき。手足はスラリと長く、筋肉を誇示しているようには見受けられなかった。
騎士というのは鎧を身につけるから鍛えているのだろうと考えていた聖女だったが、それでも体に見合わない筋力だと薄々感じ始めていた。
「実はそろそろ限界です」
「早く言ってくださいよ!」
痩せ我慢の火事場の馬鹿力だったらしい。耳をすませば呼吸音が整っておらず、掠れて苦しそうな声が漏れ聞こえた。
降りようとする聖女の体を抱きしめ、男装女騎士は勇ましく告げる。
「他の護衛騎士に負けていられません!!」
「守る前に力尽きますって!」
負けず嫌いの意地っ張り。それが悪い方に作用していると感じた聖女が視線を巡らせば、人の波を割る馬車が見えた。
その速度は遅く、歩行よりは前に進む程度だ。肝心なのはその馬車が王宮で何度も見たことがあり、車体の側面に王家の紋章が描かれている。
王族を乗せるために幅もゆったりとしており、併せて天井も高くて広い。住宅街の屋根から見ても階段三段分くらいの高低差である。
「レイさん、あれに相乗りしましょう!」
「ゼェ……了解しました!」
息切れも起き始めていた男装女騎士は、言われるがままに跳躍。ふわっと浮かんだ直後、二人分の体重が馬車を大きく揺らした。
御者が驚く馬を制御するのに必死になる中、馬車の中にいた人物が扉を開けて体を乗り出した。見上げてくる顔を見た瞬間、聖女の顔が明るくなる。
「第一王子さん!」
「聖女様!?」
普段は冷静沈着で無表情な雰囲気の彼が、心底仰天している。その格差が面白かった聖女だが、本来の目的を思い出す。
「この馬車で壁に向かってください!」
「最初からそのつもりですが、一体何が……」
馬車の天井で大の字で寝転がる男装女騎士は説明できる様子ではなく、聖女は興奮のあまり急かす言葉しか出ていない。
仕方ないと第一王子も屋根まで登り、御者にはそのまま走らせるように伝える。馬も落ち着きを取り戻したが、もう一度興奮しないようにとさらにゆっくりな速度を維持する。
「あ、そういえばローブマントのお礼がまだでしたね。ありがとうございました」
「役に立っているならば幸いです。それで説明を……」
続きを促そうとした第一王子だったが、情けない悲鳴が耳に飛び込んできた。
馬が暴れないかと心配し、御者と同じ方向へ視線を向ける。そこには処刑人に追いかけられている大神官、護衛騎士二名、そして人型スライム。
謎の珍奇な追いかけっこは馬車の前をあっという間に通り過ぎ、住宅街の中央――教会へと向かっているようだ。
「…………」
壁際の攻防戦に、聖女の襲来。これ以上は脳の容量が混乱と知恵熱で爆発すると思い、第一王子は今見たことを無視することにした。
御者も興奮を刺激された馬を宥めるのに手一杯で、感情を共有することができない。来世の意識が大笑いしているが、構っている余裕はない。
「聖女様。貧民街の浄化に赴くつもりでしょうか?」
社会人の経験を活かし、努めて冷静に問いかける。
すると真剣な様子で聖女が頷き、訴えかけるように体を前のめりした。
「私がそうしたいと思ったんです」
誰かのためという言い訳を出さず。自分の意思を貫く覚悟を示す。
第一王子――前世の意識であるケンジには眩しすぎるほど、まっすぐで未熟な内容だ。
孫と同い年くらいの少女が、異世界で決意するには重い。しかし否定するべき理由が第一王子にはなかった。
「わかりました。しかし決定権は現場監督である騎士団長達に委ねる……これを守ってください」
「え?第一王子さんが指揮をするんじゃないんですか?」
「努力はしておりますが、現職には敵いません」
むしろ前世の意識にしてみれば、生まれてから戦争の話は老人やメディアでしか聞いたことがない遠い話である。
素人は素直に黙って従う。これがあらゆる場面で生き残るコツだと、社会の経験から導き出した答えだ。
「思ったより頼りないなぁ」
悪意ゼロの発言だが、女子高生の何気ない一言はおじさんの繊細な心を傷つけるには充分なのであった。




