第102話「雷よりも突然に」
異変は突然だった。
魔物達が一斉に動き出すまで、その気配を誰も知ることができなかったのである。
伝令のような合図も、目印となる視覚的な変化すらも。
足音だけで地響きを起こす軍勢を見て、ようやく察知できた。
ガシャリ、と金属同士が擦れる音が重く響き渡れば魔物達が一斉に敬意の礼を取る。
頭を垂れて、頭部がないものは這いつくばって、視線や体の一番高い部分を一定の位置から下げるのだ。
美しい緑の鎧を身に纏い、ふわりと広がった赤毛が獅子の鬣のように勇猛さを誇示する。黒い瞳で見据えるは王都の壁から動かない竜の巨体。
悪竜に挑む勇者のような相貌で、獅子舞元帥が姿を現したのだ。
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王碧鉄鋼を加工した鎧は夕焼けへと変貌していく空の下でも、一際強く輝いていた。
望遠鏡を使ってその姿を目撃した第三王子は言葉を失くした。魔物というのは自然から生み出されるもので、文明的な道具を使う方が変わっている。
獅子舞元帥の名前がつく前はジャックレオという種族名で、それはミノタウロスのように獅子頭人体という姿でしかない。
二本足で歩くことで体を大きく見せて、自由になった前脚で人間が捨てた武器を手にして暴れ回る魔物であったはずなのに。
鎧の存在を有用性を知って、それを身につける。人間の脳でも理解できる声で、遠方まで言葉を届ける。
知能が優れているどころではない。国すらも滅ぼした森林迷宮の主は、恐ろしいほど「人間を知っている」のだ。
「っ、ナハト殿!今すぐ壁上から一般人の避難を!」
「でも結界が……」
「言い訳するな!王族の指示に従え!」
言い訳騎士が第三王子に意見しようとしたが、即座に軽薄騎士が焦った様子で中断させる。
多くの騎士が突然の指示に困惑しているが、説明している暇はなかった。竜が黄色く染まり始めた空を睨み、大口を開ける。
花火が打ち上がる音に似た、ヒュルルル……という音が壁へと近づいてくる。竜の口腔で生み出された炎が、空の黒点を砕き落とす。
爆砕音と共に黒い軍勢の上に落ちた溶岩が、魔物の群れに穴を開ける。何度も打ち上がる音が聞こえ、その度に竜は炎で迎撃する。
少しずつ竜の対処が遅れ始め、空に浮かぶ黒点が大岩だと判明したことで騎士達の間で緊張が走った。
「投石機……?」
「魔物が城砦崩しの戦法を……」
「しかしどこからだ……?見えない距離からなど……」
動揺する騎士達の一部でも冷静な思考を働かせた者は、望遠鏡を使って飛来する方向を確かめようとする。
しかし大地を埋め尽くす黒い群れの頭上に急に現れたような、超高度からの落石であることから距離なども掴めない。
普通の投石機でも土台の大きさと大岩を打ち出すための機構の限界値から、遠距離とはいえある程度まで近づかなければいけない。
特に上空高くに打ち上げるほど、逆に距離は稼げない。高さと距離は反比例するがゆえに、高度から考えても視認できるはずなのに。
見えない投石機。その脅威は戦場を理解している者ほど理解できるが、若い騎士達は恐ろしかった竜が迎撃していることに少しだけ安堵していた。
それも竜が撃ち落とし損ねた大岩が眼前に迫ってくるまでの話。
壁崩しの一撃が着弾する寸前。
魔法の風撃が大岩を細切れにしなければ、一瞬で防衛戦は破壊されていた。
砂となった大岩の残骸を浴びることで、騎士全員がようやく戦場の最前線に立っていることを嫌でも思い知らされる。
「魔法騎士団はペンドラゴン殿の補佐を!」
{要らぬわ!}
「避難民達を死なすわけにはいかないのです!ご理解を!」
人間の手が必要と思われたくなかった竜が激昂するが、負けじと軽薄騎士は言い返す。
普段からヘラヘラとしていて、女関係で問題を起こしたばかりというのが軽薄騎士が周囲から持たれている評価だ。
それが大岩を魔法で崩したことと、竜へと反抗する気概によって一変する。
「結界は魔物を通さないだけです!どうか避難民だけでも街中へ……」
{ならぬ!貴様達は人質だ!}
嘆願する第三王子の言葉を跳ね除けながら、竜は絶えず降ってくる大岩を撃ち落としていく。
おかげで黒い軍勢の足並みは鈍っているが、黒い油が床へ広がるように接近してくる。結界に阻まれるといっても、視界を埋める面の恐怖が拭えない。
避難民達は一箇所に集まって震えており、子供達は瞼を閉じることもできずに落ちてくる大岩を見上げていた。
「今度こそ死んじゃうの?」
少女の声だった。泣くこともできずにひきつけを起こす弟を抱きしめながら、空から迫る脅威を見つめている。
それが起爆剤かのように、竜は口腔だけではなく魔法で空中にいくつもの火の玉を生み出して撃ち出した。
大砲よりも強く、自在に、螺旋を描きながら大岩を破砕していく。真っ赤に溶け落ちる死は、魔物の群れへと襲いかかる。
{人質として捕らえたものを殺すほど、弱くないわっ!}
『わーお、かっこいいー。そんな君達にまずはいい知らせだ』
「団長!?」
不良騎士が持つ通信機の魔道具から響いた声は、状況にそぐわぬ興奮して楽しそうなものだった。
しかしそれに怒りを覚える者はおらず、まるで救世主が現れたかのように誰もが目を向ける。
『人型スライムは王城から逃げ出したらしいよ』
「はぁっ!?ライムさんが……いやまあ、いい知らせっすかぁ?」
「悪い知らせだろうが!人間に擬態する魔物がこんな状況で姿をくらますなど最悪だ!」
「浄化遠征でのことを思うと、どちらとも取れるのがなぁ……」
ぎゃあぎゃあと騒ぐ言い訳騎士は怒っているが、不良騎士と冷や汗騎士はなんとも言えない顔で悩む。
聖女がジャルネット村で大地の裂け目を塞ぐことができたのは、人型スライムのおかげだと男装女騎士と間抜け騎士が証言している。
貧民街のことを考えれば聖女の浄化能力には不安が残るが、人型スライムの処刑が未遂で終わったことには安堵していた。
処刑されなくてはいけないほど悪い魔物だったのか。
護衛騎士達には判断がしづらく、普通の騎士であれば言い訳騎士の反応が一番正常なのである。
そんな悩みなど意にも介さず、通信機越しの声は気軽に知らせを続ける。
『悪い知らせは第二王子にうちの第二隊長が刺されたよ』
「ケイが!?」
『あとで詳細は聞かないとねー。まあそんなわけで、彼は壁まで来れるか怪しい』
魔導騎士団にとって団長と第一隊長に次ぐ権限を持つのが、第二隊隊長である魔導騎士である。
それが前線まで来ることができないという容態に、あらゆる不安が広がる。王城で起きたことは、いまだ壁には届かない。
幼馴染の一大事に気を取られた軽薄騎士が、自身の上に影が落ちたことに気づく。迫る大岩は魔法で反撃するには近すぎる。下手に砕けば避難民に被害が出てしまう。
万が一の幸運に賭けて、痛みを堪えようと歯を食いしばって腕を顔の前に持ってくる。
きらりと光る美しい銀の糸は、誰にも見えないまま力が続く限りの働きを行う。
赤い炎が壁の側面を焦がしながら這い上り、牛の形へと変えて駆ける。
騎士達の頭上を飛ぶように超えて、大岩へと焼ける角を突き刺してそのまま正気に覆われた壁向こうへと落下。
一瞬の出来事だったが、死を覚悟した軽薄騎士の顔に笑みが浮かんだ。
『だから魔力剤を飲みまくって援護を作り出すってさ』
王城から商店街を突き抜けて、住宅街の煉瓦道を焼きながら進む精霊魔法の応用。
高温の炎が動物の形を借りて走るのを人々は見送り、その視線が竜が迎撃を繰り返す壁へと向けられる。
落ちてくる大岩を撃ち落としながら、竜は驚愕を隠さずに言い放つ。
{霊竜の加護を受けた人間がこの国にいるのか!?}
『子孫だけどねー。でもまあ実力だけなら、歴代随一じゃない?』
炎から感じる精霊の気配を、竜は懐かしく感じた。
正しくは竜ではないからこそ、仲間にはなれずとも友になることができる相手。
かつて出会った人間の話を何百年でも繰り返す、火山に住む美しき焔の化身。それを恋だと語り、溶岩の涙をこぼす姿は今でも理解できない。
しかし人間の限界以上の魔力を注ぎ込まれて作られた精霊魔法は、人類を守るためにただまっすぐ突き進んでいる。
その願いを体現するのが誇りであるかのように、壁を越えて結界の向こうへ。
目指すは黒い軍勢。その進軍を止めるために魔物の群れへと攻撃を始めたのだ。




